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真実を観る眼力 193 「いい人」を演じることに疲れていませんか? ― 嫌われないための自分から、自分らしく生きる自分へ ―
はじめに
「いい人でいたい」
そう思うことは、決して悪いことではありません。
人に親切にする。
相手の気持ちを考える。
困っている人がいれば助ける。
場の空気を乱さないようにする。
こうした優しさは、人と人がともに生きていくために、とても大切なものです。
けれど、ときどき、
「本当は嫌なのに、断れない」
「疲れているのに、頼まれると引き受けてしまう」
「相手に嫌われないように、自分の気持ちを抑えてしまう」
そんなことはないでしょうか。
そして、家に帰って一人になった途端、
「どうして私は、こんなに疲れているんだろう」
と感じる。
もしかすると、その疲れの一部は、
人に優しくしていることではなく、
「いい人でいなければならない自分」を演じ続けていること
から生まれているのかもしれません。
第一章 「いい人」でいたいのは、悪いことではない
まず、ここを間違えないことが大切です。
「いい人をやめよう」という話ではありません。
人を思いやることも、親切にすることも、協力することも、人間関係には必要です。
問題になるのは、
「相手を大切にすること」と
「自分を犠牲にすること」が、
いつの間にか一つになってしまうことです。
たとえば、
「今日は疲れているから、できない」
と思っているのに、
「でも、断ったら悪いかな」
と引き受けてしまう。
相手のために行動したように見えても、自分の中には、
「本当は嫌だった」
「また無理してしまった」
という気持ちが残ります。
優しさそのものが問題なのではありません。
自分の本音を消してまで優しくしようとすることが、
心を疲れさせることがあるのです。
第二章 なぜ「嫌われたくない」と思うのか
人間にとって、他者とのつながりは大切です。
私たちは一人だけで生きているわけではありません。
家族、友人、職場、地域、さまざまな人との関係の中で生活しています。
だから、
「仲間外れになりたくない」
「嫌われたくない」
「人から認められたい」
という気持ちが生まれるのは、特別なことではありません。
むしろ自然な感情です。
ただ、その気持ちが強くなりすぎると、
「自分がどうしたいか」
よりも、
「相手からどう見られるか」
を優先するようになることがあります。
すると、いつの間にか、
「私は何をしたいのだろう?」
ではなく、
「何をすれば嫌われないだろう?」
という基準で生きるようになってしまいます。
第三章 「本当はどうしたい?」が分からなくなる
「いい人」を長く演じていると、ある変化が起こります。
それは、
自分の本当の気持ちが分かりにくくなること
です。
「何が食べたい?」
と聞かれても、
「何でもいいよ」
「あなたの好きなものでいいよ」
と答える。
「今度の休日、どうしたい?」
と聞かれても、
「みんなが行きたいところでいいよ」
と答える。
もちろん、それが本当に「何でもいい」なら問題ありません。
けれど、本当は希望があるのに、
「言わないほうがいい」
「相手に合わせたほうがいい」
と考えているのなら、少し注意が必要です。
小さな場面で自分の気持ちを抑え続けていると、
やがて、
「自分は何が好きなのか」
「本当は何を望んでいるのか」
さえ、分からなくなってしまうことがあります。
第四章 「我慢できること」と「我慢し続けていいこと」は違う
人間関係では、ある程度の我慢が必要なこともあります。
自分の希望ばかりを通していたら、誰かと一緒に生きることは難しくなります。
だから、
「我慢することは全部悪い」
というわけではありません。
大切なのは、
その我慢を、自分が納得して選んでいるのか
ということです。
「今回は相手を優先したい」
と思って選ぶのなら、それは一つの思いやりです。
しかし、
「嫌だけれど、嫌われたくないから仕方なく」
という我慢を繰り返しているなら、そこには別の問題があります。
同じ「我慢」でも、
自分で選んだ我慢と、恐れから続けている我慢は違います。
第五章 断ることは、相手を否定することではない
「断ったら、嫌な人だと思われるかもしれない」
そう考えると、断ることが難しくなります。
けれど、
「今回はできません」
という言葉は、
「あなたが嫌いです」
という意味ではありません。
「今日は休みたい」
「今は余裕がない」
「それは自分には合わない」
という自分の状態や意思を伝えているだけです。
相手にも事情があります。
そして、自分にも事情があります。
人間関係とは、
どちらか一方が、いつも相手に合わせること
ではありません。
お互いの事情や気持ちを認めながら、関係をつくっていくことでもあります。
第六章 「いい人」と「信頼される人」は同じではない
「何でも引き受けてくれる人」は、一見すると「いい人」に見えるかもしれません。
しかし、本当に信頼できる人とは、
いつでも「はい」と言う人だけではありません。
「それはできません」
「今日は難しいです」
「私はこう思います」
と、必要なときには自分の意思を伝えられる人でもあります。
なぜなら、
本音を隠し続けている関係では、お互いを本当に理解することが難しい
からです。
無理をして笑っているだけでは、
相手は「大丈夫なんだ」と思ってしまう。
そして、自分はますます苦しくなる。
だからこそ、
小さくてもいい。
自分の本当の気持ちを伝えてみる。
そこから、より自然な人間関係が始まることがあります。
第七章 「いい人」を演じている自分に気づく
ここで、すぐに自分を変えようとする必要はありません。
まずは、
「今、私はいい人を演じていないだろうか?」
と観てみることです。
たとえば、
「本当は断りたいのに、引き受けようとしている」
「本当は嫌なのに、笑っている」
「本当は意見が違うのに、相手に合わせている」
「本当は休みたいのに、頑張ろうとしている」
そんな瞬間がないかを、少しだけ観察してみる。
そして、
「なぜ私は、そうしているのだろう?」
と問いかける。
すると、その奥に、
「嫌われたくない」
「迷惑をかけたくない」
「悪い人だと思われたくない」
「期待に応えたい」
という気持ちが見えてくるかもしれません。
ここに、
「認識を観る」
という、真実を観る眼力の働きがあります。
第八章 「嫌われない自分」より、「無理をしない自分」へ
人に好かれることは、悪いことではありません。
誰だって、嫌われるより好かれたいと思うでしょう。
でも、
「嫌われないこと」を人生の最優先にすると、自分の人生を他人の評価に預けることになります。
相手がどう思うか。
相手が満足するか。
相手に認められるか。
そこばかりを気にしていると、
「私はどう生きたいのか」
という問いが後ろに追いやられてしまいます。
もちろん、他者への配慮は必要です。
でも同時に、
「私はどう感じているのか」
にも耳を傾けていい。
それは自分勝手になることではありません。
自分の存在も、相手の存在と同じように大切にするということです。
第九章 「自分を大切にする」とは、自分の本音を無視しないこと
192では、
「疲れていると、なぜ考え方まで変わるのか?」
を考えました。
疲れているときには、物事の見え方も変わります。
そして193では、
「いい人を演じること」にも、似たところがあります。
無理をしているのに、
「私は大丈夫」
と自分に言い聞かせ続ける。
嫌なのに、
「これくらい我慢しなければ」
と思う。
疲れているのに、
「みんな頑張っているから」
と、自分の状態を無視する。
こうした積み重ねは、
自分自身の声を聞かない習慣
にもなります。
だから「自分を大切にする」とは、
自分の好きなことを何でも優先することではありません。
むしろ、
「今、自分の中で何が起きているのか」を正直に観る
ことなのです。
第十章 「いい人」をやめるのではなく、「演じなくていい人」になる
ここまで考えると、
「では、いい人をやめればいいの?」
と思うかもしれません。
でも、そうではありません。
親切でいたいなら、親切でいい。
人を助けたいなら、助けていい。
相手を思いやりたいなら、思いやっていい。
ただし、
「いい人でなければ、自分には価値がない」
というところまで、自分を追い込まなくていいのです。
優しくすることも、
断ることも、
助けることも、
休むことも、
自分の意見を言うこともできる。
そんなふうに、
いくつもの自分を許せるようになる。
それが、
「演じる」ことから少しずつ自由になるということなのかもしれません。
最終章 「いい人」であることより、自分に正直であること
「いい人」とは、どんな人なのでしょう。
いつも笑顔の人でしょうか。
誰にでも優しい人でしょうか。
頼まれたら断らない人でしょうか。
自分より他人を優先する人でしょうか。
けれど、それらを全部やろうとしたら、
自分自身が疲れてしまうことがあります。
本当に大切なのは、
「いい人に見えること」ではなく、
自分の心と行動が大きく食い違っていないこと
なのではないでしょうか。
嫌なことを嫌だと思ってもいい。
疲れたら休んでもいい。
できないことは、できないと言ってもいい。
意見が違ってもいい。
人に好かれない可能性を、完全になくすことはできません。
それでも、
「嫌われないための自分」だけを生きる必要はありません。
「真実を観る眼力」とは、自分の本音さえ観る力
これまで私たちは、
「現実をありのままに見るとはどういうことか」
を考えてきました。
そして、そのためには、
自分の感情や思考、価値観、社会から受け取った「こうあるべき」という考えまで観る必要があることに気づいてきました。
今回、さらに一歩進めるなら、
「私は、なぜこの行動を選んでいるのだろう?」
という問いがあります。
優しいからなのか。
本当に相手を大切にしたいからなのか。
それとも、
嫌われるのが怖いからなのか。
期待を裏切るのが怖いからなのか。
「いい人」と思われたいからなのか。
どれが正しい、どれが間違いということではありません。
ただ、
自分の中で何が起きているのかを知る。
そのうえで、
「それでも私は、今回はこうしたい」と選ぶ。
そこには、以前とは違う自由があります。
「いい人」であることを捨てるのではない。
「いい人を演じなければならない」という思い込みを手放す。
そして、
人にも優しく、
自分にも正直に。
相手の気持ちも尊重しながら、
自分の気持ちも置き去りにしない。
それは、これまで考えてきた「自分を大切にすること」の、さらに先にある生き方なのかもしれません。
私は今、誰かのために生きているのだろうか。
それとも、嫌われないために生きているのだろうか。
本当は、どうしたいのだろう。
その問いに気づいた瞬間から、
「いい人を演じる人生」から、
「自分も相手も大切にする人生」
へと、少しずつ認識が変わり始めます。
そして、その小さな気づきこそが、
「真実を観る眼力」
なのです。
My Self: Truth and Falsehood ー真実と偽りー
真実を観る眼力 192 疲れていると、なぜ考え方まで変わるのか? ― 身体の疲れが、心と認識に与える影響 ―
はじめに
「今日は、なんだか何もかも嫌になってしまう」
「いつもなら気にならないことが、妙に気になる」
「昨日までは前向きに考えられたのに、今日は悪いことばかり考えてしまう」
そんな経験はないでしょうか。
同じ出来事なのに、元気なときには気にならなかったことが、疲れていると、とても大きな問題に感じられる。
誰かの何気ない一言を、
「嫌われたのかもしれない」
「自分は必要とされていないのかもしれない」
と受け取ってしまうこともあります。
そして、そんな自分に気づくと、
「どうして私は、こんなにネガティブなんだろう」
と、自分自身を責めてしまう。
けれど、本当にそれは「自分の考え方が変わった」のでしょうか。
もしかすると、その背景には、
身体の疲れが、心の状態を変え、さらに物事の見え方まで変えている
ということがあるのかもしれません。
第一章 疲れていると世界まで違って見える
疲れているとき、私たちは単純に「体力が落ちている」だけではありません。
眠気がある。
集中しにくい。
気持ちが重い。
判断するのが面倒になる。
人と話すことさえ疲れる。
こうした状態になると、同じ出来事に対する受け止め方も変わってきます。
たとえば、仕事でメールの返信が来なかったとします。
元気なときなら、
「忙しいのかな」
と、それほど気にしないかもしれません。
ところが疲れていると、
「何か悪いことを言ったかな」
「嫌われたのかな」
「自分は評価されていないのかな」
と、考えが広がってしまう。
ここで重要なのは、
出来事そのものが変わったわけではない
ということです。
変わったのは、
その出来事を受け取っている自分の状態
です。
第二章 脳はいつでも同じように考えているわけではない
私たちは、ときどき「考える力」を一定のものだと思っています。
しかし実際には、睡眠不足、疲労、空腹、ストレスなどによって、注意力や判断、感情の調整は影響を受けます。
つまり、
「私はこう考える人間だ」
というものも、いつでも同じ状態から生まれているわけではありません。
身体の状態が変われば、
「考えやすいこと」
「気になりやすいこと」
「選びやすい行動」
も変わります。
だから、
「今日はどうしてこんなことばかり考えてしまうんだろう」
と思ったとき、
すぐに自分の性格や能力の問題だと決めつける必要はありません。
まず、
「私は今、かなり疲れていないだろうか?」
と、身体の状態を確認してみる。
それだけでも、見え方が少し変わることがあります。
第三章 疲れると「悪い方向」に考えやすくなる
疲労が強くなると、人は複雑なことを考えたり、複数の選択肢を比較したりすることが負担になりやすくなります。
そのため、
「まあ、いろいろな可能性がある」
と考えるより、
「もう無理だ」
「どうせ駄目だ」
「きっと嫌われた」
と、ひとつの結論に早くたどり着いてしまうことがあります。
もちろん、疲れていると必ず悲観的になるわけではありません。
人によって反応は違います。
イライラする人もいれば、
無気力になる人もいる。
不安が強くなる人もいれば、
何も考えたくなくなる人もいる。
大切なのは、
疲労によって、自分の「認識のクセ」が強く表れることがある
ということです。
第四章「考え方」だと思っていたものが身体から生まれていることもある
私たちは、
「考えるのは頭」
「疲れるのは身体」
と分けて考えがちです。
しかし、実際の人間は、身体と心を完全に切り離して生きているわけではありません。
眠れなかった朝。
身体が重い日。
お腹が空いているとき。
長時間緊張していたあと。
そうした状態では、同じ言葉を聞いても、同じ出来事を見ても、受け止め方が変わることがあります。
つまり、
身体の状態は、世界を見るときの「背景」になっている
のです。
元気なときの自分と、疲れ切ったときの自分。
どちらも「自分」ですが、同じ世界を同じように見ているとは限りません。
第五章 疲れているときに大きな決断をしない
ここから、とても大切なことが見えてきます。
疲れているときには、
「もう仕事を辞めよう」
「この人とは、もう付き合わない」
「自分には何もできない」
「これからもずっと、このままだ」
などと、人生全体に関わる結論を出したくなることがあります。
もちろん、本当にそう判断すべき場合もあります。
しかし、
「今そう感じていること」と「本当にそうなのか」は、同じではありません。
疲労によって視野が狭くなっている可能性もあります。
だから、大きな問題ほど、
一度休む。
眠る。
食事をとる。
身体を温める。
外の空気を吸う。
少し時間を置く。
そして、改めて考えてみる。
これは問題から逃げることではありません。
むしろ、
より正確に問題を見るための時間
なのです。
第六章「今の気持ち」と「現実」を分けてみる
疲れているときには、
「私は嫌われている」
「私は駄目な人間だ」
「何をやってもうまくいかない」
という考えが浮かぶことがあります。
しかし、ここで少しだけ言葉を変えてみます。
「私は嫌われている」
ではなく、
「今、私は『嫌われたかもしれない』と感じている」
「私は駄目な人間だ」
ではなく、
「今、自分を駄目だと思っている」
と捉えてみる。
すると、
「自分そのもの」と「今、自分の中で起きていること」が分かれてきます。
これは、189で考えてきた、
「自分」と「自分の認識」を分けて観る
ということにもつながっています。
感情を否定する必要はありません。
不安なら、不安がある。
悲しいなら、悲しさがある。
怒っているなら、怒りがある。
ただ、
「今そう感じている」ことと、「現実が本当にそうである」ことは別です。
第七章 休むことは「何もしないこと」ではない
現代では、
「頑張ること」
「努力すること」
「前に進むこと」
が、とても大切にされます。
そのため、
「疲れたから休む」
ことにさえ、罪悪感を覚える人がいます。
けれど、休むことは単なる停止ではありません。
身体を回復させる。
注意力を戻す。
感情を落ち着かせる。
そして、
自分の認識を本来の状態に近づける時間
でもあります。
疲れたまま無理に答えを出すより、
一度立ち止まって身体を整えたほうが、
「本当は何が問題だったのか」
が見えてくることがあります。
第八章 自分を大切にすることは認識を整えることでもある
191では、
「自分を大切にする」
ということを考えました。
それは、好きなことだけをすることでも、嫌なことからすべて逃げることでもありません。
自分の身体や心の状態に気づき、
「今の自分に何が起きているのか」
を丁寧に観ることです。
疲れているのに、
「もっと頑張らなければ」
と思っていないか。
眠れていないのに、
「自分の気持ちが弱いからだ」
と考えていないか。
身体が休みたがっているのに、
「こんなことで疲れる自分は駄目だ」
と責めていないか。
そこに気づくことも、
自分を大切にするということ
なのです。
第九章「今日は疲れている」と分かるだけで見え方が変わる
ここで、ひとつ簡単なことを試してみることができます。
何かにイライラしたとき。
不安になったとき。
人の言葉が気になったとき。
すぐに答えを出すのではなく、
「私は今、疲れていないだろうか?」
と、自分に問いかけてみる。
そして、
「眠れているだろうか」
「身体に力が入りっぱなしではないだろうか」
「食事をきちんと取れているだろうか」
「ずっと緊張していなかっただろうか」
と、身体の状態にも目を向けてみる。
すると、
「相手が悪い」
「自分が悪い」
という二つだけの見方から、
「自分の状態も、この出来事の受け止め方に影響しているのかもしれない」
という、もう一つの視点が生まれます。
この小さな視点の変化が、とても大切なのです。
第十章「本当の自分」は元気なときだけではない
ここで、189から続いてきた「自分」という問いにも戻ってみましょう。
疲れているときの自分。
元気なときの自分。
悲しいときの自分。
楽しいときの自分。
自信があるときの自分。
自信を失っているときの自分。
どれも自分です。
だから、
「元気なときの自分こそ、本当の自分」
と決める必要もありません。
疲れている自分を否定するのではなく、
「今は疲れている自分がいる」
と認める。
そして、必要なら休む。
回復してから、もう一度考える。
そうすれば、
一時的な状態を「自分そのもの」だと思い込まずに済みます。
最終章 疲れたときほど「考え方」ではなく「状態」を観る
私たちは、何か悩みがあると、
「どう考えればいいのだろう?」
と、頭の中で答えを探します。
もちろん、考えることは大切です。
しかし、ときにはその前に、
「今の私は、どんな状態なのだろう?」
と観てみる必要があります。
眠れているのか。
身体は疲れていないか。
緊張が続いていないか。
お腹は空いていないか。
一人で抱え込んでいないか。
そして、
「今、私は何を感じているのだろう?」
と、自分の内側にも目を向けてみる。
すると、
「私はネガティブな人間だから」
「私は弱いから」
「私は考えすぎる性格だから」
という自己判断の奥に、
単純に、今の自分が疲れていた
ということが見えてくる場合があります。
Healing and Recovery
「認識革命」は、身体からも始まる
これまでの「真実を観る眼力」では、
私たちが世界をそのまま見ているのではなく、
自分の経験や感情、記憶、価値観、社会からの影響などを通して世界を見ていることを考えてきました。
そして今回、そこにもう一つ加えることができます。
それは、
「身体の状態」も、私たちの認識に影響している
ということです。
疲れているときと、元気なとき。
眠れているときと、眠れていないとき。
緊張しているときと、安心しているとき。
私たちは、同じ世界を見ているようでいて、同じようには見ていません。
だからこそ、
「この考えは、本当に現実そのものなのだろうか?」
「それとも、今の私の状態が、そう見せているのだろうか?」
と、一度立ち止まってみる。
それは、自分の考えを否定することではありません。
感情を抑えることでもありません。
自分を変えようとすることでもありません。
ただ、
自分の状態と、自分の認識を、少し離れて観てみる。
そこから、選択の余地が生まれます。
190で考えた「反応する人生から、選択する人生へ」。
191で考えた「自分を大切にすること」。
そして192では、その二つをつなぐものとして、
「自分の状態を知ること」
が見えてきました。
疲れているときに、人生の答えを急がなくてもいい。
まず休む。
身体を感じる。
今の感情に気づく。
そして、少し回復してから、もう一度世界を観てみる。
すると、昨日まで大きく見えていた問題が、少し違って見えるかもしれません。
もしかすると、
変わったのは世界ではなく、世界を見ている自分の状態だった。
そんなことに気づくかもしれません。
そして、その気づきこそが、
「真実を観る眼力」
の、もう一つの入り口なのです。
疲れた自分を責める前に、
「私は今、どんな状態なのだろう?」と観てみる。
そこから、自分を大切にすることも、
現実をありのままに観ることも、始まっていくのです。
真実を観る眼力 191 「自分を大切にする」とは? ― 自分の声を聴き、無理を「当たり前」にしない生き方 ―
はじめに
「自分を大切にしましょう」
最近では、
よく聞く言葉になりました。
疲れたら休む。
好きなことをする。
自分の時間を持つ。
無理をしない。
自分らしく生きる。
どれも大切なことです。
けれど、
「自分を大切にする」とは、
具体的にはどういうことなのでしょうか?
好きなものを買うこと。
自分の欲しいものを優先すること。
嫌なことをすべて断ること。
自分の気持ちを何より優先すること。
それだけなのでしょうか?
ここで少し立ち止まって考えてみると、
「自分を大切にする」という言葉の中にも、
私たちの認識が隠れていることに気づきます。
第一章「自分を大切にする」のに、なぜ難しいのか?
「今日は疲れたから休みたい」
そう思っているのに、
「でも、まだやらなければ」
と動いてしまう。
「本当は嫌だった」
と思っているのに、
相手に合わせてしまう。
「もう十分頑張った」
と思っているのに、
「もっと頑張らなければ」
と自分を追い立てる。
なぜでしょうか?
そこには、
これまで身につけてきた
「こうするべき」
という認識があります。
迷惑をかけてはいけない。
人に嫌われてはいけない。
ちゃんとしなければならない。
頑張ることは良いこと。
我慢できることが大人。
人より遅れてはいけない。
こうした価値観は、
私たちを支えてくれることもあります。
しかし、
いつの間にか、
自分を苦しめるルールに
変わってしまうこともあります。
第二章「頑張ること」と「自分を大切にすること」
頑張ることが、
悪いわけではありません。
仕事に向き合う。
家族を支える。
目標に向かって努力する。
誰かのために力を尽くす。
そこには、
充実感や喜びもあります。
問題は、
「頑張ることをやめられなくなる」
ことです。
疲れていても頑張る。
体調が悪くても頑張る。
気持ちが追いついていなくても頑張る。
そして、
休むことに罪悪感を持つ。
こうなると、
「頑張る」という行動そのものより、
「頑張らなければ価値がない」
という認識が、
自分を動かしている可能性があります。
自分を大切にするとは、
頑張らないことではありません。
頑張るときと、休むときを、
自分の状態に合わせて選べること。
そこに、
一つの大切な違いがあります。
第三章「我慢できる自分」が、本当に強いのか?
私たちは、
我慢できることを
「強さ」と考えがちです。
嫌なことがあっても耐える。
つらくても笑う。
言いたいことを飲み込む。
誰かのために自分を後回しにする。
もちろん、
人生には我慢しなければならない場面もあります。
しかし、
すべてを我慢することが、
強さとは限りません。
むしろ、
「これはもう無理かもしれない」
と気づくこと。
「今は休む必要がある」
と認めること。
「これは自分にとって苦しい」
と言葉にすること。
それもまた、
自分を守るための強さです。
第四章 自分の「小さな声」に気づく
自分を大切にするために、
まず必要なのは、
自分の状態に気づくことです。
今日は疲れている。
少し不安を感じている。
本当は寂しい。
なんとなく気が進まない。
誰かの言葉が気になっている。
少し休みたい。
こうした感覚は、
大きな声で教えてくれるとは限りません。
むしろ、
「なんとなく」
という小さな感覚として、
現れることがあります。
身体が重い。
呼吸が浅い。
肩に力が入っている。
眠りが浅い。
食欲がいつもと違う。
落ち着かない。
こうした変化も、
自分の状態を知る手がかりになります。
だから、
自分を大切にする第一歩は、
何か特別なことをすることではなく、
「今、自分はどうなっているのだろう?」と、
「自分に目を向けること」
なのです。
第五章「自分の気持ち」と「自分の行動」は分けて考える
ここで、
大切なことがあります。
自分の気持ちを大切にすることと、
その気持ちのまま行動することは、
同じではありません。
腹が立った。
だから、
相手を傷つける言葉を言う。
寂しい。
だから、
無理に誰かにつながろうとする。
不安だ。
だから、
何度も情報を確認する。
欲しい。
だから、
すぐに買う。
このように、
感情から行動へ、
一直線につながってしまうと、
「自分を大切にしているつもり」が、
かえって自分を苦しめることがあります。
大切なのは、
感情を否定することではありません。
まず、
「私は今、こう感じている」
と受け止める。
そのうえで、
「では、どうすることが自分にとって本当に良いのだろう?」
と考える。
ここに、
190で考えた
「反応する人生」から
「選択する人生」へのつながりがあります。
第六章「嫌われたくない」と「大切にされる」は違う
人間関係の中では、
「嫌われたくない」
という気持ちが、
自分の選択に大きく影響することがあります。
相手に合わせる。
断らない。
無理をする。
本当は嫌でも笑う。
相手が望む自分でいようとする。
それによって、
人間関係が円滑になることもあります。
しかし、
いつも相手に合わせ続けていると、
少しずつ、
「自分は本当はどうしたいのか」
が分からなくなることがあります。
自分を大切にするとは、
すべての要求を断ることでも、
自分の意見を押し通すことでもありません。
相手を尊重しながら、
自分の気持ちや限界も尊重すること。
「できません」
「今日は休みたいです」
「少し考える時間がほしい」
「私はこう感じています」
そう言えることも、
自分を大切にする一つの方法です。
第七章「自分を大切にする」とは、自分を甘やかすことなのか?
ここで、
こんな疑問も出てきます。
「自分を大切にする」と言って、
何でも自分の好きなようにしていたら、
ただの甘えにならないでしょうか?
しかし、
自分を大切にすることと、
自分の欲求をすべて満たすことは違います。
身体にとって必要な休息を取ることと、
何もしたくないから、
すべてを放棄することは違います。
自分の気持ちを尊重することと、
相手の気持ちを無視することも違います。
自分を守ることと、
責任から逃げることも違います。
だからこそ、
「自分を大切にする」という言葉を、
単純に
「自分の好きなことをする」
と考えないことが大切です。
むしろ、
自分の身体、感情、生活、そして未来まで含めて、
自分にとって何が本当に必要なのかを考えること。
それが、
自分を大切にするということなのではないでしょうか。
第八章 自分を大切にすると、選択が変わる
ここまで考えると、
「自分を大切にすること」は、
190で考えた
「選択する人生」
ともつながってきます。
疲れているのに、
「頑張らなければ」
と反応するのではなく、
「今日は休む」
と選ぶ。
嫌なのに、
「嫌われたくない」
と反応するのではなく、
「今回は断る」
と選ぶ。
不安だから、
情報を探し続けるのではなく、
「今は情報から離れる」
と選ぶ。
誰かと比較して落ち込んだとき、
「自分は駄目だ」
と決めつけるのではなく、
「今、比較している自分がいる」
と気づく。
つまり、
自分を大切にするとは、
「自分の人生の選択権を、
少しずつ自分の手に戻していくこと」
でもあります。
第九章 自分を大切にすることは、未来の自分を大切にすること
目の前の欲求だけを見ると、
「今、楽なほう」
を選びたくなることがあります。
しかし、
自分を大切にするとは、
「今の自分」だけを見ることでもありません。
今日の睡眠。
今日の食事。
今日の働き方。
今日の人間関係。
今日の過ごし方。
その一つ一つが、
明日の身体や心にもつながっています。
だから、
自分を大切にするとは、
「今、気持ちいいか」だけではなく、
「この選択は、これからの自分を大切にすることにつながるか?」
と考えることでもあります。
これは、
自分を厳しく管理するということではありません。
未来の自分も、
今の自分と同じように、
大切な存在として扱う
ということです。
第十章「自分を大切にする」は、人生を丁寧に観ること
結局のところ、
自分を大切にするために、
最初から何か大きなことを
始める必要はないのかもしれません。
朝、目覚めたとき、
「今日はどんな状態だろう?」
と感じてみる。
疲れていたら、
「なぜ疲れているのだろう?」
と考えてみる。
何かに腹が立ったら、
「私は何に反応したのだろう?」
と観察してみる。
誰かに合わせようとしていたら、
「私は本当はどうしたいのだろう?」
と問いかけてみる。
そして、
必要なら、
小さく選び直してみる。
それだけでも、
自分との関係は少しずつ変わっていきます。
最終章 自分を大切にするとは、自分の人生を自分で観ること
「自分を大切にする」
という言葉は、
一見すると、
自分を甘やかすことのようにも聞こえます。
しかし、
ここまで考えてくると、
その意味はもっと深いところにあります。
それは、
自分の欲求をすべて優先することでも、
嫌なことからすべて逃げることでもありません。
まして、
「自分さえ良ければいい」
ということでもありません。
自分の身体に気づく。
自分の感情に気づく。
自分の限界に気づく。
自分の本当の望みに気づく。
そして、そのうえで、
自分の行動を選ぶ。
つまり、
自分を大切にするとは、
自分を「変えなければならない対象」として扱うのではなく、
まず
理解し、
観察し、
必要なものを選び取っていくこと。
なのかもしれません。
これまでの「真実を観る眼力」では、
私たちがどのように社会や情報の影響を受け、
比較し、
思い込み、
固定された認識の中で、
「自分」をつくっているのかを見てきました。
そして190では、
そこから一歩進んで、
「反応する」のではなく、
「選ぶ」
という可能性を考えました。
その次にあるのが、
「自分を大切にする」という選択
です。
自分を大切にすることは、
特別な誰かになることではありません。
もっと自分を好きになることを、
無理に目指す必要もありません。
まず、
「今の自分を、ちゃんと観てあげること」。
疲れているなら、
疲れている自分を。
迷っているなら、
迷っている自分を。
不安なら、
不安を抱えている自分を。
頑張っているなら、
頑張っている自分を。
そのまま観て、
必要なものを、
一つずつ選んでいく。
そうやって、
自分との関係を少しずつ取り戻していく。
それは、
「自分らしく生きる」という言葉よりも、
ずっと静かで、
現実的な生き方なのかもしれません。
そして、
自分を大切にできる人は、
自分以外の人も、
一人の人間として大切にすることができる。
自分を守ることと、
他者を尊重すること。
自分の意思を持つことと、
相手の意思を尊重すること。
その両方を大切にするところに、
これからの「共生」
というテーマも見えてきます。
だから、
「自分を大切にする」とは、
自分だけのための話ではありません。
自分との関係を整えることから、
人との関係、
社会との関係、
そして世界との関係まで、
少しずつ変わっていく。
その最初の一歩は、
とても小さなものです。
今日、
自分に問いかけてみる。
「私は今、本当はどうしたいのだろう?」
そして、
その答えを、
すぐに否定しない。
そこから、
「自分を大切にする」という、
新しい選択
が始まります。
自分を大切にする選択
真実を観る眼力191 「分かっているのに、なぜ変えられないのか?」 ― 知識と行動のあいだにある「見えない壁」 ―
はじめに
「こうしたほうがいい」
頭では分かっている。
健康のためには、もう少し運動したほうがいい。
睡眠を大切にしたほうがいい。
スマートフォンを見る時間を減らしたほうがいい。
疲れたら休んだほうがいい。
無理をしすぎないほうがいい。
それなのに、
なぜか変えられない。
「分かっているのに、できない」
という経験は、
誰にでもあるのではないでしょうか。
ここには、
私たちの行動を考えるうえで、
とても大切なことが隠れています。
それは、
「知っていること」と「実際に行動すること」は、同じではない
ということです。
第一章 知識があれば、人は変われるのか?
私たちは、
正しい知識を得れば、
自然に行動も変わるように考えがちです。
健康に関する知識を得れば、
健康的な生活をする。
お金の使い方を学べば、
無駄遣いをしなくなる。
時間の使い方を知れば、
時間を大切にする。
ところが、
現実はそれほど単純ではありません。
「知っている」のに、
行動できない。
「やめたほうがいい」と分かっているのに、
やめられない。
「こうしたい」と思っているのに、
いつもの生活に戻ってしまう。
なぜでしょうか?
それは、
私たちの行動が、
知識だけで決まっているわけではないからです。
第二章 行動には「いつものパターン」がある
たとえば、
寝る前にスマートフォンを見る。
最初は少しだけのつもりでも、
気づけば30分、1時間と過ぎている。
「今日は早く寝よう」
と思っていたのに、
また同じことをしてしまう。
ここでは、
「スマートフォンを見すぎている」
という知識が足りないわけではありません。
むしろ、
本人も十分に分かっています。
それでも行動が変わらないのは、
その行動が、
すでに日常のパターンとして
身についているからです。
私たちは、
毎回すべてを考えてから行動しているわけではありません。
日常の多くの行動は、
「いつもの状況」→「いつもの行動」
という流れで、
かなり自動的に進んでいきます。
だから、
「分かっているのに変えられない」
ということが起こります。
第三章 脳は「正しさ」だけで行動を決めていない
では、
なぜ私たちは、
分かっていても、
いつもの行動を選んでしまうのでしょうか?
その一つに、
「すぐに得られるもの」
があります。
たとえば、
スマートフォンを見ると、
新しい情報が入ってくる。
誰かから反応がある。
面白い動画が見つかる。
気分転換になる。
つまり、
その瞬間には、
小さな満足があります。
一方、
「スマートフォンを置いて早く寝る」
という行動は、
未来の健康や睡眠という、
少し先の利益につながります。
人間の行動は、
長期的な利益だけではなく、
その瞬間に感じる快・不快や報酬にも大きく影響されます。
だから、
「将来のためには、こちらが良い」
と頭で分かっていても、
「今はこちらが気持ちいい」
という行動を選んでしまうことがあります。
第四章 環境は、私たちの行動を静かに決めている
もう一つ、
見落としやすいものがあります。
それが、
環境です。
たとえば、
机の上にスマートフォンが置いてある。
通知が鳴る。
目に入る。
手を伸ばせば、
すぐに情報を見ることができる。
この状況で、
「絶対に見ないぞ」
と意志だけで頑張るより、
そもそもスマートフォンを
少し離れた場所に置くほうが、
行動を変えやすいことがあります。
つまり、
私たちの行動は、
「本人の意志」だけで決まっているのではありません。
何が目の前にあるのか。
どんな刺激を受けているのか。
どのくらい簡単に行動できるのか。
そうした環境も、
行動に影響しています。
第五章 疲れていると、選択も変わる
さらに、
忘れてはいけないのが、
身体の状態です。
疲れているとき。
睡眠が足りないとき。
空腹のとき。
強いストレスを感じているとき。
私たちは、
普段ならできることが、
できなくなることがあります。
「今日はもう何も考えたくない」
「簡単なものですませたい」
「少しだけ動画を見たい」
そう思うこともあるでしょう。
これは、
意志が弱いから、
と簡単に片づけられるものではありません。
脳も身体も、
そのときの状態の影響を受けています。
だから、
行動を変えたいときには、
「もっと頑張る」
だけではなく、
「今、自分の身体はどんな状態なのか?」
を見ることも大切です。
第六章 感情も、行動を動かしている
私たちは、
いつも冷静に判断しているわけではありません。
寂しいときには、
誰かとつながりたくなる。
不安なときには、
何度も情報を確認したくなる。
疲れているときには、
甘いものや楽な行動を選びたくなる。
腹が立っているときには、
すぐに言い返したくなる。
つまり、
感情も行動を動かす力を持っています。
だから、
「こうすべきだ」
という理屈だけで、
感情を押さえ込もうとしても、
うまくいかないことがあります。
必要なのは、
感情をなくすことではありません。
まず、
「今、自分はどんな気持ちなのか」
に気づくことです。
第七章「変わる」とは自分を無理に変えることではない
ここまでを見ると、
行動を変えるためには、
「もっと強い意志を持たなければ」
と思うかもしれません。
しかし、
必ずしもそうではありません。
むしろ、
最初に必要なのは、
自分の行動がどのように生まれているのかを知る
ことです。
何がきっかけだったのか。
どんな感情があったのか。
身体は疲れていなかったか。
その行動によって、
何を得ようとしていたのか。
周囲の環境はどうだったのか。
そして、
その後、
どんな結果になったのか。
こうして見ていくと、
「私は意志が弱い」
という一つの決めつけから離れて、
自分の行動を、
より具体的に理解できるようになります。
第八章「反応」と「選択」の間を見る
ここで、
190で考えた
「反応する人生」から「選択する人生」へ
というテーマにつながります。
たとえば、
イライラした。
↓
すぐに言い返した。
↓
相手との関係が悪くなった。
この流れが、
いつものパターンになっていたとします。
しかし、
その途中で、
ほんの少し立ち止まることができれば、
別の選択肢が見えてきます。
「今、私は怒っている」
と気づく。
「すぐに返事をしなくてもいい」
と考える。
少し時間を置く。
そして、
自分が本当に伝えたいことを考える。
ここでは、
怒りを消しているわけではありません。
怒りに反応するだけだった状態から、
怒りを感じたうえで行動を選ぶ状態へ移っている
のです。
第九章 小さな変更が行動のパターンを変えていく
行動を変えるとき、
大きな決意をする必要はありません。
むしろ、
小さな変更のほうが、
日常には取り入れやすいことがあります。
「毎日1時間運動する」
と決める代わりに、
まず10分歩く。
「スマートフォンを完全にやめる」
のではなく、
寝る前だけ手の届かない場所に置く。
「絶対にイライラしない」
のではなく、
怒ったときには一度深呼吸してから話す。
大切なのは、
完璧にできることではありません。
「いつものパターンに、少し違う選択を入れてみること」
です。
その小さな違いが、
次の行動を変えるきっかけになります。
DIGITAL DETOX 行動パターンを変える
第十章「できなかった自分」を責めない
そして、
もう一つ大切なことがあります。
一度決めたことが、
できなかったとしても、
すぐに、
「自分は駄目だ」
と結論づけないことです。
できなかった。
↓
なぜだろう?
↓
疲れていたのかもしれない。
環境に原因があったのかもしれない。
感情に動かされていたのかもしれない。
目標が大きすぎたのかもしれない。
こうやって、
失敗を「自分への評価」ではなく、
自分を知るための情報
として見る。
すると、
「できなかった」という出来事も、
次の選択を変えるための材料になります。
最終章「分かっているのに変えられない」から、一歩先へ
私たちは、
「分かっているのに、なぜ変えられないのか?」
という問いから、
いくつものことを見てきました。
行動には、
習慣があります。
報酬があります。
環境があります。
感情があります。
身体の状態があります。
そして、
それまでの経験によってつくられた、
行動のパターンがあります。
だから、
「分かっているのにできない」
という現象を、
単純に「意志が弱いから」と考える必要はありません。
大切なのは、
できなかった自分を責めることではなく、
「自分の行動は、何によって動いているのだろう?」
と観察することです。
そして、
その反応に気づいたところから、
ほんの少しだけ、
別の選択をしてみる。
それが、
190で考えた
「反応する人生」から「選択する人生」へ
進むための、
具体的な一歩になります。
知識を増やすだけでは、
人生は変わらないことがあります。
しかし、
自分の反応を知り、
その背景を理解し、
小さな選択を変えていく。
その積み重ねによって、
少しずつ、
行動のパターンも変わっていきます。
そして、
ここで大切なのは、
「自分を別人にする」ことではありません。
自分を、もっとよく知ること。
そのうえで、
これまで自動的に選んでいたものを、
一つずつ、
自分の意思で選び直していくこと。
それが、
「分かっているのに変えられない」
という問いの先にある、
もう一つの自由なのかもしれません。
知る。
気づく。
観察する。
そして、選ぶ。
その小さな繰り返しが、
やがて、
「反応して生きる人生」から、
「自分で選びながら生きる人生」
へとつながっていくのです。
真実を観る眼力190 「反応する人生」から「選択する人生」へ ― 気づくことで、人生の選び方は変わる ―
はじめに
私たちは、
毎日の中で、
たくさんのことを選択しています。
何を食べるか。
何を着るか。
誰と付き合うか。
何を買うか。
どんな仕事をするか。
何を信じるか。
そして、
人生の大きな選択も、
小さな選択の積み重ねによって
つくられていきます。
けれど、
そのすべてを、
本当に「自分で選んでいる」のでしょうか?
第一章「選んだ」と思っていても、実は「反応している」
たとえば、
誰かに嫌なことを言われたとします。
その瞬間、
腹が立つ。
言い返したくなる。
距離を置きたくなる。
あるいは、
何も言えずに我慢する。
一見すると、
自分がその行動を「選んだ」ように見えます。
しかし、その前には、
もっと速い反応が起きています。
出来事
↓
感情が動く
↓
過去の記憶や価値観が反応する
↓
いつもの考え方が出てくる
↓
行動する
私たちは、
この一連の流れを、
ほとんど意識しないまま行っていることがあります。
第二章「反応」と「選択」は、似ているようで違う
ここで大切なのは、
反応すること自体が悪い、
ということではありません。
危険を感じたときに、
すぐ身を守る。
熱いものに触れて、
手を引っ込める。
突然の出来事に、
素早く対応する。
こうした反応は、
生命を守るために必要です。
問題になるのは、
本来なら選択できる場面まで、
過去のパターンによって自動的に反応してしまうこと
です。
「また同じことを言われた」
「どうせ私なんて」
「いつもこうなる」
「嫌われたくない」
「失敗したくない」
「こうするのが普通」
そうした言葉が、
気づかないうちに、
行動を決めていることがあります。
第三章 人生をつくっているのは「出来事」だけではない
同じ出来事が起きても、
人によって反応は違います。
同じ言葉を聞いても、
気にする人もいれば、
気にしない人もいます。
同じ失敗をしても、
「自分は駄目だ」
と考える人もいれば、
「次はどうすればいいだろう」
と考える人もいます。
つまり、
私たちの人生を形づくるのは、
出来事そのものだけではありません。
出来事をどう受け取り、
どう意味づけ、
どう行動するのか。
そこにも、
大きな違いがあります。
そして、その背景には、
これまで189まで見てきた
「認識」
があります。
第四章「自分の反応」に気づく
では、
どうすれば、
反応するだけの人生から、
選択する人生へ移っていけるのでしょうか?
最初に必要なのは、
「反応しないこと」ではありません。
自分が
反応していることに気づく
ことです。
たとえば、
誰かの言葉に傷ついたとき。
すぐに答えを返す前に、
ほんの少しだけ、
自分を観察してみる。
「今、怒っている」
「今、悲しくなっている」
「今、認めてもらいたいと思っている」
「今、怖くなっている」
「今、昔の経験を思い出している」
そうやって、
自分の内側で起きていることを、
一歩離れて見る。
すると、
これまで一つに見えていた
「自分」と「反応」の間に、
小さな空間が生まれます。
第五章 その「間」に、選択肢が生まれる
ここが、
とても重要です。
反応している最中は、
「こうするしかない」
と思いやすい。
けれど、
自分の反応を観察できると、
少しずつ、
別の可能性が見えてきます。
言い返す。
黙る。
その場を離れる。
相手に確認する。
時間を置く。
自分の気持ちを伝える。
あるいは、
今回は何もしない。
選択肢が、
一つではなくなります。
つまり、
「反応」と「行動」の間に、
「選ぶ」という瞬間が生まれる。
これが、
「反応する人生」から
「選択する人生」への、
大きな変化です。
第六章 選択するとはいつも「正解」を選ぶことではない
ここで、
一つ注意したいことがあります。
「選択する人生」とは、
いつも正しい選択をする人生ではありません。
未来のことを、
完全に予測することはできないからです。
どれほど考えて選んでも、
思い通りにならないことがあります。
間違えることもあります。
後悔することもあります。
大切なのは、
結果を完全にコントロールすることではなく、
自分が何を考え、
何を感じ、
何を大切にして、
その選択をしたのかを知る
こと。
そこに、
「自分で生きる」ということの意味があります。
第七章「自分を変える」必要はない
これまで、
「自分を変えなければ」
と思ってきた人もいるかもしれません。
もっと前向きにならなければ。
もっと強くならなければ。
もっと自信を持たなければ。
もっと頑張らなければ。
しかし、
無理に自分を変えようとする必要はありません。
まず、
「自分は今、どう反応しているのか」
を知る。
そして、
「なぜ、そう反応しているのだろう?」
と観察してみる。
その中に、
過去の経験があるのか。
社会から与えられた価値観があるのか。
「こうあるべき」という思い込みがあるのか。
恐れがあるのか。
承認されたいという欲求があるのか。
そこまで見えてくると、
「変えなければならない自分」
ではなく、
「理解できる自分」
が見えてきます。
第八章 選択とは、「自分らしさ」をつくり直すこと
ここで、
189の「自分」という問いにも、
もう一度つながります。
「私はこういう人間だ」
と思っていたとしても、
その「私」は、
過去の経験や記憶、
社会から受け取った価値観、
そして、
これまでの選択によって、
つくられてきた部分があります。
だから、
今日の選択が変われば、
少しずつ、
明日の自分も変わっていきます。
過去を消す必要はありません。
過去を否定する必要もありません。
ただ、
過去の自分が選んできたパターンを、
これからも繰り返し続ける必要はない。
そこに、
新しい可能性があります。
チアドラという選択 あやかさん
第九章 自由とは、「何でもできること」ではない
自由というと、
「好きなことをする」
「誰にも縛られない」
というイメージがあります。
しかし、
本当の自由は、
それだけではないのかもしれません。
怒ったから、
怒りのまま行動する。
不安だから、
逃げる。
寂しいから、
誰かに依存する。
みんながそうしているから、
自分もそうする。
そうした反応だけで、
人生を決めていくなら、
選択しているように見えても、
実際には、
自分の内側にあるパターンに、
動かされている可能性があります。
だからこそ、
自由とは、
「反応できる自分」の中に、
「選べる自分」を育てていくこと
とも考えられます。
第十章 反応をなくすのではなく、「気づいて選ぶ」
人間である以上、
感情は起こります。
不安も、
怒りも、
嫉妬も、
悲しみも、
欲求も生まれます。
それらを、
なくす必要はありません。
むしろ、
感情があるからこそ、
人間らしく生きることができます。
大切なのは、
感情が生まれた瞬間に、
その感情だけで、
すべてを決めてしまわないこと。
感じる。
↓
気づく。
↓
観察する。
↓
考える。
↓
選ぶ。
この小さな「間」が、
人生を変えていきます。
第十一章 そして、選択は「今」から始まる
大きな人生を、
一度に変える必要はありません。
今日、
どんな言葉を選ぶのか。
何を食べるのか。
誰に連絡するのか。
何を見ないのか。
何を大切にするのか。
疲れているときに、
休むのか、
無理をするのか。
誰かと比較したとき、
自分を責めるのか、
その感情に気づくのか。
そうした、
一つ一つの小さな選択が、
次の自分をつくっていきます。
人生を変えるのは、
特別な一度の決断だけではありません。
毎日の小さな「選び方」が、
少しずつ人生の方向を変えていくのです。
最後に
私たちは、
完全に自由な存在ではありません。
生まれた環境も、
過去の経験も、
身体も、
社会も、
簡単には変えられません。
それでも、
自分の中で
「起きていることに気づく」
ことで、
「反応するしかない」
という状態から、
「どうするかを選べる」
という状態へ、
少しずつ移ることはできます。
それは、
自分を否定することでも、
別の人間になることでもありません。
自分を知り、
自分の反応を観察し、
そのうえで、
自分の選択を取り戻していくこと。
それが、
「反応する人生」から
「選択する人生」へ向かう、
最初の一歩です。
そして、
その一歩は、
未来のどこかで始まるのではありません。
今、この瞬間から始まります。
「私は、今、何に反応しているのだろう?」
その問いに気づいた瞬間、
そこにはもう、
一つの選択肢が生まれています。
反応するのか。
それとも、
観て、考えて、
選ぶのか。
人生とは、
その小さな選択の積み重ねなのかもしれません。




