asa insight
真実を観る眼力 211 自分の考えは、本当に自分自身で選び取ったものなのでしょうか? ― 環境・経験・情報が形づくる「自分の考え」を見つめる ―
「これは、自分が正しいと思っていることだから」
私たちは、仕事の進め方、人との付き合い方、健康に対する考え方、社会で起きている出来事などについて、それぞれ自分なりの考えを持っています。
そして、その考えは、自分自身で判断して選び取ったものだと感じています。
しかし、少し立ち止まって考えてみると、疑問が生まれます。
その考えは、いつ、どこで身についたのでしょうか。
たとえば、子どものころから「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられてきた人は、大人になっても、困っているときに助けを求めることをためらうかもしれません。
また、「安定した仕事に就くことが一番大切」と聞かされて育った人は、仕事を選ぶとき、収入や雇用の安定を重視するかもしれません。
こうした考えには、家庭での教育、学校での経験、周囲の人々の価値観、社会の常識、日々触れている情報などが影響しています。
もちろん、周囲から学んだ考えが間違っているということではありません。私たちは、他者から多くの知識や知恵を学びながら成長していきます。
ただし、長く信じてきた考えが、今の自分にとっても最適とは限りません。
自分の考えを持つことと、その考えがどのように形づくられたのかを理解することは、別のことなのです。
今回は、心理学や脳科学の視点も交えながら、自分の考えに影響を与えるものを見つめ、自分自身で考え、選び取るとはどういうことなのかを考えていきます。
第一章 私たちの考えは、どのように形づくられるのか?
人間は、成長する過程で、家族や周囲の人々との関わりを通じて、言葉や習慣、善悪の判断、社会で生きるためのルールなどを学んでいきます。
心理学では、こうした学びの一つとして、周囲の人の行動や、その結果を見て、自分の行動の仕方を学ぶことが研究されています。
たとえば、職場で先輩が丁寧に仕事を進め、周囲から信頼されている姿を見れば、「自分も丁寧に仕事をしよう」と考えることがあります。
反対に、失敗した人が強く責められる様子を見れば、「失敗しないことが何よりも大切なのだ」と感じ、新しいことへの挑戦を避けるようになるかもしれません。
このように、私たちは、自分が直接経験したことだけでなく、他者の行動や周囲の反応からも学んでいます。
さらに、脳には、経験や学習に応じて、神経細胞どうしのつながりや働き方が変化する性質があります。これは「脳の可塑性」と呼ばれています。
たとえば、自転車の乗り方を覚えたり、楽器の演奏を繰り返し練習したりすると、最初は意識しなければできなかったことが、次第に自然にできるようになります。
考え方や行動の習慣についても、経験を重ねることで変化する場合があります。
ただし、脳が変化することと、特定の価値観がそのまま脳に刻み込まれることは同じではありません。
また、経験したことが必ず一つの考えを生み出すわけでもありません。
同じ出来事を経験しても、その受け止め方は人によって異なります。
その後に出会う人や情報、新しい経験によっても、考え方は変わっていきます。
つまり、今の自分の考えは、生まれつき決まっていたものでも、すべて自分一人で生み出したものでもありません。
さまざまな経験や学びを土台にしながら、少しずつ形づくられてきたものなのです。
第二章 「当たり前」は、本当に誰にとっても当たり前なのか?
私たちは、日常生活の中で、多くのことを「当たり前」と考えています。
人には親切にするべき。仕事では失敗しないことが大切。周囲と協調することが望ましい。
こうした考えは、社会生活を営むうえで役立つことがあります。しかし、どのような場面でも同じように役立つとは限りません。
たとえば、「人の役に立つべきだ」と考えて、職場で頼まれた仕事をいつも引き受けている人がいるとします。
最初は周囲から感謝されても、次第に自分の仕事が終わらなくなり、疲れがたまってしまうかもしれません。
他者を助けること自体が悪いのではありません。自分の状況を考慮せず、いつも他者を優先してしまうことが問題なのです。
心理学では、過去の経験によって身についた考え方や行動の傾向が、その後の判断にも影響することが知られています。
そのため、以前は役立っていた考え方でも、状況が変われば、かえって自分の行動を制限することがあります。
ここで大切なのは、ある価値観を良いか悪いかだけで判断しないことです。
「この考えは、どのような場面で役立っているのだろうか」
「反対に、どのような場面では自分を苦しめているのだろうか」
「今の自分にも、この考えは必要なのだろうか」
こうした問いを持つことで、自分の中にある「当たり前」を見つめ直すことができます。
価値観を見直すことは、これまでの自分を否定することではありません。
今の状況に合わせて、考え方や行動をよりよいものに整えていくことなのです。
第三章 情報環境は、私たちの考えにどう影響するのか?
現代では、インターネットやSNSを通じて、膨大な情報に触れることができます。
しかし、情報が豊富にあるからといって、必ずしも視野が広がるとは限りません。
たとえば、SNSである健康法を知り、「これは自分にもよさそうだ」と感じたとします。
その後、効果があったという投稿を何度も目にすると、「多くの人が勧めているのだから、きっとよい方法なのだろう」と思うかもしれません。
一方で、効果を感じなかった人の体験や、専門家による注意点には、あまり目が向かなくなることがあります。
心理学では、自分の考えや信念を支持する情報に注目しやすく、反対の情報を見落としたり、軽く扱ったりする傾向を「確証バイアス」と呼びます。
また、SNSなどのサービスでは、過去に閲覧した内容や関心を示した情報をもとに、似た情報が表示される場合があります。
こうした仕組みや、自分自身が好んで見る情報を選ぶ行動が重なると、目に入る情報が偏ることがあります。
その結果、自分と同じ意見を持つ人が、実際以上に多いように感じられる場合もあります。
ただし、SNSを利用すれば必ず考え方が偏るわけではありません。情報の表示方法や使い方、触れる情報の種類によっても影響は異なります。
大切なのは、画面に表示される情報を、社会全体の意見そのものだと思い込まないことです。
また、情報を受け取るときには、発信者が誰なのか、どのような根拠に基づいているのか、反対の結果を示す情報はないのかを確かめることが重要です。
異なる意見をすべて同じように信じる必要はありません。重要なのは、意見の数ではなく、それぞれの根拠や信頼性を確かめることです。
自分の考えを確かめるためには、自分に合う情報だけでなく、自分がまだ見ていない情報にも目を向ける必要があります。
第四章 自分の考えを持つことと、他者に影響されること
私たちの考えが環境や経験から影響を受けているなら、自分自身で考えることはできないのでしょうか。
決して、そうではありません。
他者から学ぶことと、他者の考えをそのまま受け入れることは違います。
たとえば、友人から「このお店はとてもよかった」と勧められたとします。
その友人を信頼していれば、自分も行ってみようと思うでしょう。これは、他者の経験を参考にする自然な判断です。
しかし、実際に行ってみると、料理が好みに合わず、店内も落ち着かないと感じるかもしれません。
そのとき、「友人がよいと言ったのだから、自分もよいと思うべきだ」と考える必要はありません。
友人にとっては居心地のよい店でも、自分にとってはそうではなかった。それぞれの好みや求めるものが違うからです。
社会心理学では、人が周囲の人の意見や行動を参考にして判断することが研究されています。
周囲に合わせることは、集団の中で協力したり、分からないことを判断したりする際に役立つ場合があります。
一方で、周囲の人が同じ意見を持っていると、自分の疑問を口にしにくくなることもあります。
たとえば、会議で全員がある案に賛成しているとき、本当は気になる点があっても、「自分だけ反対するのはよくない」と考えて、発言を控えてしまうことがあるでしょう。
しかし、周囲と異なる意見を持つことが、いつも正しいわけでもありません。
大切なのは、賛成するか反対するかという立場だけで判断するのではなく、その意見の根拠を自分でも確かめることです。
自分自身で選び取るとは、誰の影響も受けないことではなく、受けた影響を理解したうえで、自分なりに判断することなのです。
「本当に望んでいるもの」

「私たちの選択は、周囲の期待や社会の常識に影響されていることがあります。大切なのは、その選択が本当に自分の望みなのかを、立ち止まって見つめ直すことです。」
第五章 自分の考えを見つめ直す五つの問い
では、自分の考えがどのように形づくられ、今の自分にとってどのような意味を持っているのかを、どのように確かめればよいのでしょうか。
日常の中で、次の五つの問いを試してみましょう。
1.私は、なぜそう考えているのだろうか?
新しい家電を買うとき、「有名なメーカーの製品なら安心だ」と考えたとします。
その判断は、実際に使った経験から生まれたのでしょうか。それとも、広告や周囲の評判から、いつの間にかそう思うようになったのでしょうか。
考えの出発点を振り返ります。
2.その考えは、どのような影響を受けて形づくられたのだろうか?
「大人になったら、結婚して家庭を持つのが普通だ」と考えている場合、その価値観は自分の希望から生まれたのでしょうか。それとも、家族や周囲の人々、社会の常識から影響を受けてきたのでしょうか。
背景を振り返ることで、自分が本当に望んでいることと、周囲から期待されていることを区別しやすくなります。
3.その考えを支持する根拠は、どの程度確かなのだろうか?
「この食品は身体によい」と聞いたとき、根拠は専門的な研究なのか、個人の体験談なのかを確認します。
印象だけで判断していないか。事実や信頼できる資料によって確かめられることは何かを整理します。
4.異なる見方をしたら、何が見えてくるだろうか?
職場で自分とは異なる提案が出されたとします。
すぐに「その方法はよくない」と判断するのではなく、相手が何を解決しようとしているのかを聞いてみます。
すると、自分が重視していた点とは違う問題に、相手が目を向けていたことに気づくかもしれません。
5.今の自分にとって、その考えは本当に役立っているのだろうか?
「頼まれたことは断らない」という考えを持っている人が、仕事や家事を抱え込み、疲れを感じているとします。
その場合、他者を大切にする気持ちは維持しながらも、自分の余裕がないときには事情を説明して断る、別の方法を提案するなど、行動を変えることができます。
価値観そのものを捨てるのではなく、今の自分や周囲にとって、よりよい形に整えていくのです。
これらの問いに、いつも明確な答えを出す必要はありません。
すぐには分からないこともあれば、新しい経験や情報に触れることで、答えが変わることもあります。
大切なのは、自分の考えを無条件に正しいとするのでも、すべてを疑って何も信じられなくなるのでもなく、
根拠や影響を確かめながら、より納得できる判断へと近づいていくことです。
考えの背景を知る
⬇
根拠を確かめる
⬇
別の見方を考える
⬇
今の自分に照らして選ぶ
この小さな積み重ねが、自分の考えを主体的に育てることにつながります。
おわりに 自分の考えを、自分で育てていく
私たちの考えは、何もないところから生まれるわけではありません。
家族や社会から受け継いだ価値観、これまでの経験、学んできた知識、日々触れている情報。
そうしたものが重なり合い、今の自分の物事の見方を形づくっています。
そのため、自分が正しいと信じていることの中にも、十分に確かめたうえで選んだものと、いつの間にか当たり前になっていたものがあるかもしれません。
しかし、それは、自分の考えが偽物だということではありません。
考えが形づくられた背景を知ることで、自分が何を大切にしているのか、何に影響されやすいのか、どのような判断を見直す必要があるのかが見えてきます。
自分自身で考えるとは、すべてを一から疑い、誰にも頼らずに結論を出すことではありません。
他者から学び、
経験から気づき、
情報を確かめながら、
自分なりに理解を深めていく
ことです。
そして、新しい事実や経験に出会ったときには、以前の考えを見直すこともできます。
自分の考えを持つことは、考えを固定することではなく、確かめながら育てていくことなのです。
「真実を観る眼力」とは、
外の世界にある情報を見極める力であると同時に、
自分の中にある価値観や思い込み、その背景にある影響を観察する力
でもあります。
何を信じるのか。
何を大切にするのか。
そして、
どのような根拠に基づいて選択するのか。
その一つひとつを自覚することで、私たちは、周囲の影響にただ流されるのではなく、自分の判断に主体的に関わることができるようになります。
ここで、次の問いが生まれます。
自分の考えの背景を理解し、さまざまな情報や価値観を見つめ直したとしても、実際の生活では、自分の望みと他者の望みがぶつかることがあります。
たとえば、家族との予定を優先したい気持ちと、自分一人で休みたい気持ち。職場の方針に協力したい気持ちと、その方針に疑問を感じる気持ち。
どちらにも大切にしたい理由があるからこそ、簡単には決められない場面があります。
では、自分の考えを大切にしながら、異なる考えを持つ他者とも共に生きていくには、何を基準に判断すればよいのでしょうか。
次回は、「自分の正しさ」と「他者の正しさ」が異なるとき、私たちはどう向き合えばよいのかという問いから、認識と対話、そして調和について考えていきます。
真実を観る眼力 210 自分の考えは、何を根拠に正しいと思うのか? ― 確信と事実、思い込みと判断のあいだ ―
たとえば、ある商品を選んで使ってみたところ、期待どおりの効果を感じたとします。
「やっぱり、この商品を選んで正解だった」
そう思っているとき、同じ商品を高く評価する口コミを見つければ、うれしくなり、自分の判断に自信が持てるでしょう。
一方で、効果を感じなかったという口コミを目にすると、「使い方が違ったのではないか」「その人には合わなかったのだろう」と考えるかもしれません。
もちろん、実際に効果があった可能性もあります。しかし、良い評価だけを根拠に商品の価値を判断しているとしたら、見落としていることがあるかもしれません。
私たちは日常のさまざまな場面で、自分の判断が正しかったと感じることがあります。
人間関係でも、仕事でも、健康に関する情報でも、社会問題について考えるときでも、いったん自分の考えを持つと、それを支持する出来事や情報が目につきやすくなります。
そして、そうした情報が重なるほど、自分の考えに対する確信が強まることがあります。
では、自分の考えに自信があるとき、私たちは本当に十分な根拠を持っているのでしょうか。
それとも、自分が正しいと思える情報を集めた結果、確信が強くなっているだけなのでしょうか。
自分が正しいと感じることと、実際に正しいと確かめられることは、必ずしも同じではありません。
今回は、確信と事実の違いを見つめながら、自分の判断をどのように確かめればよいのかを考えていきます。
第一章 なぜ、確信が強いほど正しいと思ってしまうのか?
私たちは、何かを強く信じているとき、その考えには十分な理由があるように感じることがあります。
長年の経験から得た知識であれば、なおさらでしょう。
実際に経験を重ねることで、判断が正確になることはあります。繰り返し起こる出来事の特徴をつかみ、適切に対応できるようになるからです。
しかし、経験が多ければ、いつでも正しく判断できるとは限りません。
たとえば、過去に何度か約束を破られた経験がある人は、相手からの返信が少し遅れただけで、「今回も約束を守ってくれないのではないか」と考えるかもしれません。
過去の経験は、注意を促す手がかりにはなります。しかし、今回も同じことが起こると決まったわけではありません。
それにもかかわらず、過去の経験と似た状況に出会うと、私たちは以前の判断を当てはめやすくなります。
また、自分の考えを支持する情報が繰り返し目に入ると、「やはり間違いない」と感じることもあります。
前回の209で取り上げた「確証バイアス」は、こうした傾向に関係しています。自分の考えに合う情報を集めたり、重く受け止めたりすることで、確信が強まる場合があるのです。
ここで注意したいのは、確信の強さは、そのまま根拠の確かさを表すものではないということです。
強く信じていることが正しい場合もあれば、十分に確かめないまま信じている場合もあります。
大切なのは、自信があるかどうかだけでなく、何を根拠にその判断をしているのかを確かめることです。
第二章 事実と解釈は、どこが違うのか?
自分の判断を確かめるために、まず理解しておきたいのが「事実」と「解釈」の違いです。
事実とは、観察や記録などによって確認できる出来事や情報のことです。
一方、解釈とは、その出来事に対して、私たちが意味や理由を与えることです。
たとえば、職場で同僚に挨拶をしたのに、返事がなかったとします。
このとき、「挨拶をしたが、返事がなかった」というのは、確認できる出来事です。
しかし、「自分を嫌っているから、返事をしなかったのだ」というのは、その出来事に対する解釈です。
相手は考え事をしていたのかもしれません。体調が悪かったのかもしれません。単に挨拶が聞こえなかった可能性もあります。
もちろん、本当に相手が不快な気持ちを抱いていた可能性もあります。しかし、一度の出来事だけでは、その理由を確定できません。
私たちは、出来事そのものを見ているつもりでも、実際には自分の経験や感情を通して意味づけをしています。
そのため、同じ出来事でも、人によって受け取り方が異なることがあります。
ここで重要なのは、解釈をすべて否定することではありません。日常生活では、状況を理解し、次の行動を決めるために解釈が必要です。
ただし、自分の解釈を、確認された事実と同じものとして扱わないことが大切です。
「相手は私を嫌っている」と決めつけるのではなく、「返事がなかったので、嫌われているのではないかと感じた」と捉え直す。
それだけでも、事実と自分の受け止め方を区別し、別の可能性を考える余地が生まれます。
『事実と解釈』
第三章 情報を集めれば、正しい判断ができるのか?
現代は、インターネットやSNSを通じて、さまざまな情報を簡単に入手できる時代です。
分からないことがあれば検索し、専門家の解説を読み、複数の意見を比較することもできます。
情報を集めることは、判断の根拠を確かめるうえで大切な方法です。
しかし、情報が多いことと、正しく理解できていることは同じではありません。
たとえば、ある健康法について調べたとき、効果があったという体験談をいくつも見つけたとします。
同じような体験談が並んでいれば、「多くの人が効果を感じているのだから、間違いない」と思うかもしれません。
しかし、体験談だけでは、その健康法が本当に効果をもたらしたのか、ほかの要因が関係していたのかを判断できない場合があります。
効果を感じなかった人の体験が紹介されていない可能性もあります。
また、複数のウェブサイトが同じ情報源をもとに記事を書いているなら、記事の数が多くても、独立した根拠がたくさんあるとは限りません。
このように、情報の量や繰り返し目にする回数だけで、正しさを判断することには注意が必要です。
では、何を確かめればよいのでしょうか。
情報に触れたときには、次の点を意識してみます。
-
情報の出所は明らかか。 誰が、どのような目的で発信しているのか。
-
根拠は示されているか。 個人の感想なのか、調査や研究に基づく情報なのか。
-
ほかの資料と照らし合わせられるか。 独立した情報源でも、同じ結論が支持されているか。
-
反対の結果や限界も説明されているか。 都合のよい情報だけが選ばれていないか。
-
結論は、根拠の範囲を超えていないか。 一部の事例から、すべての人に当てはまると判断していないか。
もちろん、すべての情報を自分一人で詳しく検証することはできません。情報の分野に応じて、信頼できる専門機関や研究資料を活用することも大切です。
重要なのは、情報をたくさん集めること自体を目的にせず、その情報が何を示していて、何までは示していないのかを見極めることです。
第四章 自分の考えが間違っている可能性を考えられるか?
ここで、自分の判断を確かめるための問いを一つ考えてみましょう。
「もし自分の考えが間違っているとしたら、どのようなことが分かれば、それに気づけるだろうか」
この問いは、自分の考えを否定するためのものではありません。判断の根拠を明確にするためのものです。
たとえば、「この方法は必ず効果がある」と考えているとします。
その場合、どのような結果が得られたら、その考えを見直す必要があるでしょうか。
もし、どのような反対の情報が出てきても「それは例外だ」「調べ方が悪い」と説明し続けるなら、自分の考えを確かめる機会を失ってしまいます。
もちろん、一つの研究や一つの反例だけで、すべての結論が覆るわけではありません。研究の方法や対象、結果の再現性などを検討する必要があります。
それでも、自分の考えを支持する根拠だけでなく、見直す必要があると判断する条件も考えておくことは、偏りを防ぐ助けになります。
また、自分の考えを見直すことに抵抗を感じるときには、その理由を振り返ってみます。
「間違いを認めると、自分の判断力がないと思われそうだ」
「これまで信じてきたことを手放したくない」
「自分が選んだものを否定したくない」
こうした気持ちが、判断に影響している場合もあります。
しかし、一つの判断を修正することと、自分自身を否定することは違います。
以前の自分には、そのとき得られていた情報や経験に基づく判断がありました。
そして、今は新しい情報を得て、以前より深く考えられるようになったのかもしれません。
考えを変えられることは、信念がないという意味ではありません。
根拠に応じて判断を更新できるということです。
自分の考えを大切にしながらも、必要なときには見直せる。その柔軟さが、より確かな認識につながります。
第五章 判断の精度を高めるための五つの実践
では、日常生活の中で、自分の判断をどのように確かめればよいのでしょうか。
難しい理論を覚える必要はありません。次の五つを意識することから始められます。
1.まず、実際に何が起きたのかを確認する
自分が見たこと、聞いたこと、記録されたことなど、確認できる情報を整理します。
人から聞いた話であれば、直接確認したことなのか、誰かを通して伝わってきたことなのかも区別します。
2.自分がどのような意味づけをしたのかを振り返る
事実を確認したら、次に、自分がその出来事をどう受け止めたのかを考えます。
その解釈は、過去の経験や感情に影響されていないでしょうか。ほかの説明も考えられないでしょうか。
3.判断の根拠を確かめる
自分の考えを支えているのは、具体的な事実でしょうか。それとも、印象や体験談、周囲の意見でしょうか。
根拠の種類によって、どこまで確かな判断ができるのかは変わります。
4.別の可能性や反対の根拠にも目を向ける
自分の考えと異なる情報を見つけたら、すぐに否定せず、その根拠を確かめてみます。
ただし、異なる意見をすべて同じ重さで扱う必要はありません。情報の信頼性や根拠の強さを比較することが大切です。
5.根拠に応じて、判断を維持したり修正したりする
十分な根拠があるなら、自分の判断を維持してもよいでしょう。
一方、根拠が不十分なら、結論を急がずに保留することもできます。
新しい事実が分かったときには、判断を見直します。
この五つの実践をまとめると、次のようになります。
事実を確認する
⬇
自分の解釈を振り返る
⬇
根拠を確かめる
⬇
別の可能性を検討する
⬇
判断を維持・修正する
これは、いつも疑い続けるための方法ではありません。
自分の考えを無条件に信じることも、何も信じられなくなることも避け、根拠に応じた判断をするための手順です。
日常の小さな判断から実践することで、自分がどのような場面で思い込みやすいのかにも気づきやすくなります。
おわりに 確信を守ることから、理解を深めることへ
私たちは、自分の考えに確信を持つことで、安心して物事を判断できるようになります。
これまでの経験や知識を生かし、自分なりの考えを持つことは大切です。
しかし、その確信が強いからといって、必ずしも十分な根拠があるとは限りません。
自分の解釈を事実だと思い込んだり、考えに合う情報ばかりを集めたりすることで、気づかないうちに判断の幅が狭くなることがあります。
だからこそ、自分の考えを持つことと、その考えを確かめ直すことの両方が必要なのです。
事実と解釈を分ける。
情報の根拠を確かめる。
異なる可能性を検討する。
そして、
新しい事実が分かったときには、必要に応じて判断を修正する。
こうした積み重ねが、認識を深めることにつながります。
「真実を観る眼力」とは、他者の間違いを見抜くことだけではありません。
自分が何を根拠に考え、なぜそれを正しいと思っているのかを観察することでもあります。
自分の考えを守るために情報を集めるのか。
それとも、より確かな理解に近づくために、自分の考えも確かめ直すのか。
その違いは、日々の情報の受け取り方や、判断の積み重ねの中に表れます。
自分の考えに確信を持つこと以上に、その確信を支える根拠を確かめ続けること。
そこに、思い込みにとらわれず、より確かな真実に近づくための大切な姿勢があるのではないでしょうか。
そして、ここで次の問いが生まれます。
私たちが「自分の考え」だと思っているものは、どこから生まれたのでしょうか。
生まれ育った環境、家族や友人の言葉、学校で学んだこと、社会の常識、日々触れている情報。
それらは、知らず知らずのうちに、私たちの判断に影響を与えています。
では、自分の考えは、本当に自分自身で選び取ったものなのでしょうか。
次回は、この問いから、周囲の影響と自分の判断の関係を考えていきます。
真実を観る眼力 209 なぜ、自分の考えを支持する情報ばかり求めてしまうのか? ― 確証バイアスと、信念を見つめ直す力 ―
たとえば、健康によいと聞いた食品を試してみたとします。しばらくして体調がよくなったように感じると、「やはり、この食品は身体によいのだ」と思うかもしれません。
その後、同じ食品の効果を紹介する記事を見つけると、興味を持って読みたくなります。一方で、効果には十分な根拠がないという情報を目にすると、「この研究は本当に正しいのだろうか」と疑問を感じることもあるでしょう。
こうした反応は、健康情報に限ったことではありません。
自分が選んだ商品、応援している人の言動、仕事で下した判断、社会問題についての意見など、私たちはさまざまな場面で、自分の考えを支持する情報に安心し、反対の情報には抵抗を感じることがあります。
では、なぜ私たちは、自分の考えに合う情報を求めやすいのでしょうか。
心理学では、自分がすでに持っている考えや予想を支持する情報を集めたり、重く評価したりする傾向を「確証バイアス」と呼びます。
もちろん、自分の考えに合う情報が間違っているとは限りません。しかし、考えに合うという理由だけで情報を信じ、合わないという理由だけで退けてしまえば、見えてくる事実は次第に偏っていきます。
大切なのは、自分の考えを持たないことではありません。自分の考えを支持する情報にも、反対する情報にも、その根拠を確かめる姿勢を持つことです。
自分が信じたいことと、事実として確かめられること。その違いに気づくことが、認識を深める第一歩になります。
今回は、自分の信念を守ろうとする心の働きを見つめながら、情報に振り回されず、より確かな判断へとつなげる方法を考えていきます。
第一章 自分の考えを支持する情報を求めるのはなぜか?
人間は、目の前の情報をすべて同じように扱っているわけではありません。
これまでの経験や知識、価値観、感情などを手がかりに、何に注目し、何を重要だと判断するかを決めています。
そのため、すでに自分が正しいと考えていることについては、それを支持する情報に気づきやすくなります。反対に、信念と食い違う情報は、受け入れにくく感じられることがあります。
心理学では、このように、自分の考えに合う情報には目が向きやすく、合わない情報は受け入れにくくなる傾向を「確証バイアス」と呼びます。
簡単にいえば、自分が正しいと思っていることを、裏づける情報ばかり集めてしまう心の働きです。
たとえば、ある人が「自分は人から嫌われやすい」と思っているとします。
誰かが挨拶を返してくれなかったときには、「やはり嫌われている」と考えるかもしれません。一方で、親切に接してくれた人がいても、「たまたま機嫌がよかっただけだろう」と受け流してしまうことがあります。
同じ人の行動であっても、自分の考えに合う出来事は強く受け止め、合わない出来事は軽く扱ってしまうのです。
このようなことは、人間関係に限りません。仕事、健康、政治、社会問題、商品選びなど、さまざまな場面で起こり得ます。
もちろん、自分の考えを支持する情報が、必ず間違っているわけではありません。
重要なのは、情報が自分の考えに合っているかどうかと、その情報に十分な根拠があるかどうかを、分けて考えることです。
第二章 信念を守りたくなる心の働き
では、反対の情報に出会うと、なぜ受け入れにくくなるのでしょうか。
その背景には、いくつかの心理的な働きがあります。
1.自分の判断が間違っていたと認めたくない
私たちは、自分なりに考え、時間をかけて選び、信じてきたことを簡単には手放せません。
たとえば、長年信頼してきた人の言動に問題があると分かったとき、その事実を認めることには抵抗が生じるかもしれません。
相手を信じてきた自分自身の判断まで、間違っていたように感じられるからです。
しかし、一つの判断が間違っていたからといって、それまでの経験や自分自身の価値がすべて否定されるわけではありません。
過去の判断を振り返り、必要に応じて修正することは、失敗ではなく、学びの一部です。
2.安心できる考えを維持したい
慣れ親しんだ考え方は、私たちに安心感を与えます。
反対に、これまで信じていたことと異なる情報は、不安や戸惑いを生むことがあります。
特に、自分の生活や健康、家族、仕事などに深く関わる問題では、事実を知ることそのものが心理的な負担になる場合もあります。
そのため、無意識のうちに安心できる情報を選び、不安を感じさせる情報から距離を置くことがあります。
ただし、安心できる情報が必ず正しいわけでも、不安を感じさせる情報が必ず正しいわけでもありません。
安心感と情報の正確さは、別の基準で確かめる必要があります。
3.自分の所属する集団や人間関係を守りたい
人は、家族や友人、職場、地域、社会的な集団など、さまざまなつながりの中で生きています。
自分が所属する集団の考え方に反対すると、仲間から距離を置かれるのではないかと不安になることがあります。
その結果、自分では十分に納得していなくても、周囲と同じ意見を支持したり、集団にとって都合のよい情報を受け入れたりすることがあります。
これは、単に知識が足りないから起こるのではありません。人とのつながりを大切にする心が、判断にも影響するためです。
しかし、誰かと良好な関係を保つことと、その人の意見をすべて正しいと認めることは同じではありません。
互いの違いを認めながら関係を築くこともできます。
第三章 情報があふれる社会で、偏りはどのように強まるのか?
現在は、インターネットやSNSを通じて、膨大な情報に触れられる時代です。
以前なら簡単には見つからなかった専門家の解説や研究資料、さまざまな立場の人の意見にもアクセスできます。
一方で、情報が多いからといって、必ずしも認識が深まるとは限りません。
自分の考えに合う情報だけを検索し、同じ意見を持つ人の投稿を読み続ければ、自分の考えが多くの人に支持されているように感じることがあります。
SNSなどの推薦システムも、利用者の閲覧や反応に応じて、関心に合いそうな情報を表示することがあります。その仕組みや影響はサービスによって異なりますが、利用者自身の情報選択と重なることで、似た内容に繰り返し接する状況が生まれ得ます。
その結果、反対の意見に触れる機会が減り、自分の考えがどの程度の根拠を持っているのかを確かめにくくなることがあります。
さらに、同じ主張を何度も目にすると、内容を十分に検証していなくても、見慣れているという理由で、もっともらしく感じる場合があります。
ここで注意したいのは、繰り返し目にする情報の多さは、その情報の正しさを保証しないということです。
また、反対の意見を見つければ、それだけで公平な判断ができるわけでもありません。根拠の乏しい主張と、信頼性の高い研究結果を、単に「両方の意見」として同じ重さで扱うことも適切ではありません。
大切なのは、賛成と反対の情報を機械的に同じ数だけ集めることではなく、それぞれの根拠や情報源、確かさを検討することです。
『Seeing What We Want to See』
「見たいものを見る」
美術館に並ぶ異なる絵画は、私たちの多様な見方を象徴しています。自分の好みや考えに合うものに意識が向くと、別の視点を見落としがちです。自分の考えだけにとらわれず、異なる見方にも目を向けることが、認識を深める第一歩です。
第四章 自分の信念を守ることと、真実に近づくことの違い
ここまで見てきたように、私たちは自分の考えに合う情報を求めやすく、反対の情報を受け入れにくいことがあります。
しかし、確証バイアスがあるからといって、私たちの判断がいつも間違っているわけではありません。
これまでの経験や知識を手がかりに判断することは、日常生活に欠かせない働きです。
すべての情報を一から検証することはできないため、過去に確かめた知識や信頼できる情報源を活用することにも意味があります。
問題になるのは、自分の考えを支持する情報だけを正しいとみなし、反対の情報を確かめる前から退けてしまうことです。
ここで、自分自身に問いかけてみましょう。
-
この情報を信じているのは、十分な根拠があるからだろうか。それとも、自分の考えに合っているからだろうか。
-
もし反対の立場の人が同じ情報を示したら、私は同じように評価するだろうか。
-
自分の考えと矛盾する事実が見つかったとき、認識を修正する余地を残しているだろうか。
こうした問いは、自分の考えを否定するためのものではありません。
自分が何を根拠に判断しているのかを明らかにし、確かな部分と、まだ確かめる必要がある部分を区別するためのものです。
自分の信念を大切にすることと、その信念を絶対に変えないことは違います。
むしろ、根拠が十分にあるときには判断を維持し、新しい事実によって見直す必要が生じたときには修正できる。
その柔軟さが、認識の精度を高めるうえで重要になります。
真実を観るとは、自分の考えを守り抜くことではなく、自分の考えもまた、確かめ直す対象にできることなのです。
第五章 認識を深めるための五つの実践
では、日常生活の中で、確証バイアスに気づき、より確かな判断につなげるには、どうすればよいのでしょうか。
特別な知識がなくても、次の五つを意識することから始められます。
1.事実と解釈を分ける
まず、実際に起きたことと、それについて自分が考えたことを分けてみます。
たとえば、知人にメッセージを送ったのに返信がないとします。
「返信がない」というのは、確認できる事実です。
一方、「自分を嫌っているから返信しないのだ」というのは、その事実に対する解釈です。
相手が忙しい、まだメッセージを読んでいない、返信を忘れているなど、別の可能性も考えられます。
事実と解釈を分けるだけでも、最初に浮かんだ考えを、そのまま真実だと決めつけずに済みます。
2.自分が何を信じたいのかを観察する
情報に触れたとき、内容だけでなく、自分の反応にも目を向けてみます。
「この情報を読んで安心したのはなぜだろう」
「反対の意見に、なぜこんなに腹が立つのだろう」
「自分の判断が間違っていたと認めたくないのだろうか」
このように問いかけることで、情報そのものへの評価と、自分の感情や欲求を区別しやすくなります。
感情が生じること自体は、悪いことではありません。感情は、自分が何を大切にしているのかを知る手がかりにもなります。
ただし、強い感情が生じたときほど、その感情だけで情報の正しさを決めないことが大切です。
3.反対の情報を、結論を急がずに確かめる
自分の考えと異なる情報に出会ったら、すぐに受け入れる必要も、すぐに否定する必要もありません。
まずは、何を根拠に主張しているのかを確かめます。
その際には、元の資料や研究、一次情報に当たれるか、情報の出所は明らかか、専門家の見解や複数の独立した資料と整合しているか、といった点を確認します。
反対意見を探す目的は、自分の考えを無理に否定することではありません。自分の判断に見落としがないかを確かめることです。
4.自分の考えが間違っているとしたら、何が必要かを考える
これは、自分の信念を見直すための有効な問いです。
たとえば、「この方法は必ず効果がある」と考えているなら、どのような結果が得られたら、その考えを見直す必要があるのかを考えてみます。
もし、どのような情報が出てきても「それは例外だ」「調査方法が悪い」と説明してしまうなら、自分の考えが検証できない形になっていないか、立ち止まる必要があります。
もちろん、個々の研究には限界があり、一つの反例だけで結論が覆るとは限りません。それでも、どのような根拠があれば判断を修正するのかをあらかじめ考えておくことは、都合のよい説明だけを重ねることを防ぐ助けになります。
5.判断を固定せず、必要に応じて更新する
一度出した結論を、いつまでも変えてはいけないと考える必要はありません。
新しい情報が得られたり、根拠を詳しく調べたりすることで、最初の判断が変わることもあります。
そのとき、「以前は間違っていた」と自分を責めるのではなく、「今は、以前より多くのことが分かった」と捉えてみましょう。
大切なのは、いつも正しい判断をすることではなく、間違いや見落としに気づいたときに、認識を修正できることです。
以上の五つをまとめると、次のようになります。
事実と解釈を分ける
⇩
自分の反応を観察する
⇩
異なる情報を確かめる
⇩
判断の根拠を問い直す
⇩
新しい根拠に応じて認識を更新する
この流れを日常の中で繰り返すことが、認識の精度を少しずつ高めていきます。
おわりに 信念を守る心から、真実を確かめる姿勢へ
私たちは、自分の考えに合う情報を求め、反対の情報を遠ざけてしまうことがあります。
そこには、自分の判断を正しいと思いたい気持ち、安心していたい気持ち、人とのつながりを守りたい気持ちなど、さまざまな心の働きがあります。
だからこそ、認知バイアスを知ることは、単に「自分は偏っている」と反省するためだけのものではありません。
自分の認識が、どのような経験や感情、信念によって形づくられているのかを理解するための手がかりになります。
自分の考えに合う情報を見つけたときには、その根拠を確かめる。
反対の情報に出会ったときには、すぐに拒絶せず、何が事実で、何が解釈なのかを見極める。
そして、
新しい根拠が得られたときには、必要に応じて判断を見直す。
こうした姿勢は、いつも迷いなく答えを出すこととは違います。
むしろ、自分の認識には限界があることを受け入れながら、より確かな理解へと近づいていく姿勢です。
「真実を観る眼力」とは、他者の誤りを見抜く力だけではありません。
自分自身の思い込みや見落としにも気づき、認識を深めていく力でもあります。
自分の信念を守ることに意識を向けるのか。
それとも、
自分の信念も確かめ直しながら、より確かな真実に近づこうとするのか。
その違いは、日々の小さな情報の受け取り方や、判断の積み重ねの中に表れます。
自分の考えを持ちながらも、その考えに閉じこもらないこと。
そこに、認識を深め、より良い選択へとつなげていくための大切な一歩があるのではないでしょうか。
真実を観る眼力 208 なぜ、私たちは物事を偏って見てしまうのか? ― 認知バイアスを知り、認識の精度を高める ―
私たちは、目の前で起きている出来事を見て、情報を集め、考え、判断し、行動しています。
自分では事実をもとに冷静に判断しているつもりでも、実際には、過去の経験や知識、感情、期待、先入観などが、物事の見方に影響を与えています。
例えば、同じニュースを見ても、ある人は「やはり自分の考えは正しかった」と感じ、別の人は「この報道には偏りがある」と感じることがあります。
同じ情報に触れているのに、なぜ受け止め方が違うのでしょうか。
その背景には、情報そのものの違いだけでなく、情報を受け取る人の認識の働きがあります。
前回の「asa health information 10月⑥」では、情報の伝え方や受け取り方、同調圧力などを通して、私たちが何を信じ、どのように判断するのかを考えました。
今回は、その続編として、心理学で研究されている「認知バイアス」を取り上げます。
認知バイアスとは、情報を理解し、判断するときに生じる、一定の偏りや傾向のことです。
認知バイアスは、特別な人だけに起こるものではありません。誰にでも生じうる、心の働きの一部です。
大切なのは、偏りを完全になくすことではなく、自分の見方にも偏りが生じる可能性を知り、それに気づき、必要に応じて判断を見直すことです。
「真実を観る眼力」を高めるために、まずは私たち自身の認識の仕組みから見つめていきます。
第一章 認知バイアスとは何か?
私たちの脳は、日々、膨大な情報を受け取っています。
目や耳から入る外部の情報だけでなく、身体の状態や過去の記憶、現在の感情なども、物事を理解する手がかりになります。
しかし、すべての情報を一つひとつ詳しく検討していては、日常生活の判断に膨大な時間がかかってしまいます。
そのため、人間は、経験や知識を利用して、素早く状況を理解し、判断しようとします。
このような働きは、日常生活を効率よく送るうえで役立ちます。
一方で、限られた情報から全体を判断したり、過去の経験を現在の状況に当てはめたりすることで、判断が偏ることもあります。
これが、認知バイアスが生じる背景の一つです。
例えば、以前に親切にしてくれた人に対しては、その後も好意的な印象を持ちやすいかもしれません。反対に、一度嫌な思いをした相手に対しては、その人の行動を否定的に受け取りやすくなることがあります。
もちろん、過去の経験が判断に役立つこともあります。しかし、過去に一度起きたことが、いつも同じように起きるとは限りません。
経験を判断の手がかりにすることと、経験だけで結論を決めてしまうことは違います。
認知バイアスを理解することは、自分の経験や知識を否定することではありません。それらを活用しながらも、今、目の前で起きている事実を丁寧に確かめるための視点なのです。
第二章 私たちの判断を偏らせる、四つの認知バイアス
認知バイアスにはさまざまな種類があります。ここでは、日常生活やニュース、SNSなどで気づきやすい四つの例を見ていきます。
1.確証バイアス ― 自分の考えに合う情報を集めてしまう
確証バイアスとは、自分がすでに持っている考えや信念を支持する情報に注目し、反対の情報を軽く扱ったり、見落としたりしやすくなる傾向です。
例えば、ある商品を良いものだと思っていると、その商品を高く評価する口コミには目が向きやすくなります。一方で、欠点を指摘する口コミは「たまたま合わなかっただけだろう」と考え、十分に検討しないことがあるかもしれません。
このような傾向は、健康情報や社会問題について考えるときにも生じます。
自分が支持する意見を見つけると、安心したり、自分の判断に自信を持ったりします。しかし、その情報が正しいかどうかは、自分の考えに合っているかどうかだけでは決まりません。
さらに、自分の考えに合う情報ばかりを集めていると、同じ意見が何度も目に入り、あたかも多くの根拠によって裏づけられているように感じることもあります。
そこで、意識してみたいのが、次の問いです。
「もし自分の考えが間違っているとしたら、どのような情報が見つかるだろうか?」
この問いは、自分の意見を無理に否定するためのものではありません。見落としている情報がないかを確かめ、判断の精度を高めるためのものです。
2.利用可能性ヒューリスティック ― 思い浮かびやすい情報を重視してしまう
利用可能性ヒューリスティックとは、記憶から思い浮かべやすい情報を手がかりに、物事の頻度や起こりやすさを判断する傾向です。
例えば、ニュースで事故の映像を何度も見たあとには、実際の発生頻度以上に、その事故が身近で頻繁に起きているように感じることがあります。
強い恐怖や驚きを伴う出来事は、記憶に残りやすいものです。そのため、印象的な事例が、全体の傾向を判断する際に大きな影響を与えることがあります。
SNSでも、衝撃的な体験談や極端な事例が繰り返し表示されると、それが一般的な状況であるかのように感じられることがあります。
しかし、目立つ事例が多く紹介されていることと、その事例が実際に多く発生していることは同じではありません。
判断するときには、印象に残った情報だけでなく、全体の統計や調査結果も確認する必要があります。
「よく見かけるから多いのだろう」と考える前に、
「実際には、どの程度の頻度で起きているのだろうか?」と問い直してみましょう。
3.アンカリング ― 最初に得た情報に引きずられてしまう
アンカリングとは、最初に得た情報や数値が、その後の判断の基準になりやすい傾向です。
例えば、ある商品の価格を最初に高い金額で提示されると、その後に値下げされた価格が、実際以上にお得に感じられることがあります。
また、人についても、最初に「仕事ができる人」「気難しい人」といった印象を持つと、その後の行動を、その印象に沿って解釈しやすくなることがあります。
最初に得た情報は、必ずしも間違っているわけではありません。しかし、それだけを基準にしてしまうと、後から得られた情報を十分に評価できなくなる可能性があります。
この偏りを避けるには、最初の情報だけで判断せず、別の資料や視点と比較してみることが役立ちます。
「最初に聞いた話を知らなかったとしても、私は同じ判断をするだろうか?」
そう考えることで、最初の印象に引きずられていないかを確認できます。
4.同調バイアス ― 周囲の意見に合わせてしまう
人間は、他者とのつながりを大切にする社会的な存在です。
周囲の人の意見や行動を参考にすることは、社会生活を送るうえで自然な働きです。自分だけでは判断できないとき、多くの人の経験や専門的な意見が、重要な手がかりになることもあります。
しかし、周囲の人に合わせたい気持ちが強くなると、自分の疑問を十分に検討しないまま、集団の意見に従ってしまうことがあります。
例えば、会議で全員が賛成しているように見えると、本当は疑問があっても、反対意見を言いにくくなることがあります。
また、SNSで多くの人が支持している意見を見ると、それが正しいのだと感じやすくなることもあります。
ここで大切なのは、多数派の意見を無条件に否定することではありません。
多くの人が支持しているという事実と、その意見の根拠が確かであるかどうかを、分けて考えることです。
「みんながそう言っているから」ではなく、「どのような根拠があるのだろうか」と考えることが、自分の判断を保つ助けになります。
第三章 感情や身体の状態も、認識に影響する
認知バイアスを考えるときには、情報や思考だけでなく、感情や身体の状態にも目を向ける必要があります。
私たちは、いつも同じ心身の状態で物事を判断しているわけではありません。
疲れているとき、眠れていないとき、不安が強いとき、怒りを感じているときには、普段とは違うものの見方をすることがあります。
例えば、相手からの短い返事を受け取ったとき、心に余裕があれば「忙しいのかもしれない」と考えられるかもしれません。
しかし、疲労がたまり、不安を抱えているときには、「自分は嫌われているのではないか」と否定的に受け取ることもあります。
同じ出来事でも、そのときの感情や身体の状態によって、意味づけが変わることがあるのです。
ただし、感情があるから判断が間違っているというわけではありません。
感情は、自分が何を大切にしているのか、何に不安を感じているのかを知るための手がかりにもなります。
大切なのは、感情を抑え込むことではなく、
感情と事実を区別して考えることです。
例えば、
「私は、相手の言葉に傷ついた」
というのは、自分が実際に感じたことです。
一方で、
「相手は、私を傷つけるつもりで言った」
というのは、相手の意図についての推測です。
自分が傷ついたという感情は大切にしながらも、相手がどのような意図で発言したのかは、別に確かめる必要があります。
このように、感情を認めながらも、その感情から導き出した解釈を見直すことができます。
自分の認識を観察するためには、
頭の中で何を考えているかだけでなく、身体がどのような状態にあるかにも気づく
ことが役立つのです。
第四章 事実と解釈を分けると、見える世界が変わる
私たちが物事を理解するときには、目の前の情報を受け取るだけでなく、その情報に意味を与えています。
例えば、知人に挨拶をしたのに返事がなかったとします。
このとき、確認できる事実は、「挨拶をしたが、返事がなかった」ということです。
そこから、
「無視された」
「嫌われている」
「何か怒っているのかもしれない」
と考えるのは、その出来事に対する解釈です。
もちろん、相手が意図的に無視した可能性もあります。しかし、考え事をしていて気づかなかったのかもしれませんし、声が聞こえなかった可能性もあります。
事実と解釈を分けることは、最初の解釈を間違いだと決めつけることではありません。
複数の可能性を残し、確かめる余地を持つことです。
この違いは、日常の人間関係だけでなく、ニュースや健康情報、社会問題を考えるときにも重要です。
ある出来事が起きたことと、その原因が何であるかは、同じではありません。
ある出来事のあとに別の出来事が起きたとしても、それだけで前者が後者の原因だとは限りません。
原因を判断するには、ほかの要因や、複数のデータ、専門的な検証なども必要になります。
情報を正しく理解するためには、
確認できた事実と、そこから導き出した解釈を分けて考えることが欠かせません。
事実を丁寧に確認し、解釈を一つに固定しないこと。
そこから、認識の精度を高める道が始まります。
『The Mind’s Filter』
「心のフィルター」
ガラス球の中に映る、逆さまの景色。私たちもまた、経験や感情、先入観という「心のフィルター」を通して、物事を見ています。目に映るものだけを真実と思い込まず、別の角度から見つめ直すことが、認識の精度を高める第一歩です。
第五章 認識の精度を高める、五つの実践
認知バイアスは、誰にでも生じる可能性があります。だからこそ、偏りに気づきやすくするための習慣を身につけることが大切です。
ここでは、日常生活で実践できる五つの方法を紹介します。
1.判断する前に、まず観察する
何かが起きたとき、すぐに良い・悪い、正しい・間違いと決めるのではなく、まず何が起きたのかを観察します。
自分が直接確認した事実と、人から聞いた情報、そこから推測したことを分けてみましょう。
最初の印象だけで結論を出さず、事実を確認する時間を持つことが大切です。
2.自分の感情と思い込みに気づく
「なぜ、私はこの情報を信じたいのだろう」
「何に不安を感じているのだろう」
「自分の期待に合うから、受け入れやすいのではないだろうか」
このように、自分の内側に問いかけてみます。
感情や思い込みに気づくことは、それらを否定することではありません。
自分の判断に何が影響しているのかを理解するための手がかりになります。
3.異なる視点や反対の情報も確認する
自分の考えに合う情報だけでなく、異なる意見や、それを支える根拠にも目を向けます。
ただし、すべての意見を同じように正しいと考える必要はありません。情報の発信元、根拠の確かさ、説明の一貫性などを比較し、どの見解がより妥当なのかを検討します。
自分の意見を守るために情報を選ぶのではなく、より確かな理解に近づくために情報を集めることが大切です。
4.複数の可能性を考える
何かを見たり聞いたりしたとき、一つの説明だけで結論を出さず、ほかの可能性も考えてみましょう。
「ほかに、どのような理由が考えられるだろうか」
「自分がまだ知らない事情はないだろうか」
こうした問いによって、最初の解釈に引きずられにくくなります。
複数の可能性を考えることは、判断を先延ばしにすることではありません。
必要な情報を見落とさず、より妥当な判断をするための方法です。
5.新しい情報に応じて、判断を見直す
一度決めたことを変更するのは、簡単ではありません。
自分が時間をかけて考えたことや、長く信じてきたことほど、間違いを認めにくい場合があります。
しかし、新しい根拠が見つかったときに考えを修正することは、弱さではありません。
その時点で得られた情報をもとに判断し、新しい情報が加われば再び検討する。
それは、認識を深めるための自然な過程です。
判断を見直す際には、なぜ考えが変わったのかを振り返ってみましょう。
何を新しく知り、どのような根拠によって判断が変わったのかを整理する
ことで、次の選択にも生かすことができます。
この五つの実践をまとめると、次の流れになります。
観察する → 自分の認識を自覚する → 視野を広げる
→ 根拠を比較して判断する → 選択し、振り返る
この流れは、一度で完結するものではありません。
振り返りによって新しい疑問が生まれたら、再び観察し、情報を集め直すこともできます。
認識の精度を高めるとは、いつも正しい答えを出せるようになることではなく、
間違いや見落としに気づき、より妥当な判断へと近づいていくことなのです。
おわりに 自分の見方を観ることが、真実を観る力につながる
私たちは、自分の目で見て、自分の頭で考えているからこそ、自分の判断は正しいと思いやすいものです。
しかし、私たちの認識は、外から入ってくる情報だけで決まるわけではありません。
過去の経験、知識、感情、期待、身体の状態、そして周囲の人々との関係など、さまざまな要因が影響しています。
認知バイアスを知ることは、そうした自分の認識の特徴を理解するための一つの手がかりになります。
大切なのは、誰かの考えを偏っていると指摘することだけではありません。
自分自身もまた、情報を選び、意味づけ、判断する過程で、何かを見落としているかもしれないと気づくことです。
自分の考えに合う情報だけを集めていないか。
印象に残った事例だけで全体を判断していないか。
周囲の意見に流されていないか。
感情から生まれた解釈を、確かな事実だと思い込んでいないか。
こうした問いを持つことで、私たちは自分の認識を少しずつ見直していくことができます。
「真実を観る眼力」とは、何でも疑うことでも、誰よりも多くの知識を持つことでもありません。
事実と解釈を分け、
自分の思い込みに気づき、
異なる視点に耳を傾け、
根拠に応じて判断を見直す力
です。
そして、その力は、特別な知識を身につけたときだけに育つものではありません。
日常の小さな出来事の中で、
自分の反応を観察し、別の可能性を考え、必要に応じて考えを修正する。
その積み重ねによって育まれていきます。
物事を正しく観るためには、目の前の対象だけでなく、
それを観ている自分自身の認識にも目を向けることが大切なのです。
asa health information 10月⑥ 情報に触れるとき、私たちは何を信じているのか? ―「洗脳」と「認知バイアス」から考える、真実を観る力 ―
その情報をもとに、何が正しいのか、何を信じるのか、そして、どう行動するのかを判断しています。
けれども、私たちは目にした情報を、そのまま客観的に受け止めているのでしょうか。
同じ出来事でも、伝え方によって受ける印象は変わります。何度も聞いた話を信じやすくなったり、多くの人が支持している意見を正しいと思ったりすることもあります。
こうした心の働きを理解することは、情報に振り回されず、自分で考え、判断するための大切な一歩です。
今回は、新型コロナワクチンをめぐる情報発信などを例に、「情報操作」と「洗脳」、そして私たち自身の認識の働きについて考えてみます。
1.「情報操作」と「洗脳」は、どう違うのか?
情報操作とは、情報の選び方や伝え方によって、受け手の印象や判断に影響を与えることです。
例えば、ある商品の長所だけを繰り返し伝え、短所や注意点をほとんど説明しなければ、受け手はその商品を実際以上に良いものだと感じるかもしれません。
一方、洗脳という言葉は、一般に、情報や人間関係、心理的な圧力などを利用して、人の信念や行動を強く変えようとすることを指します。ただし、どこからを洗脳と呼ぶかについて、誰もが認める一つの明確な基準があるわけではありません。
また、情報によって人の行動が変わったからといって、すべてが洗脳というわけでもありません。正確な情報を伝え、本人が理解したうえで判断できるようにすることもあります。
大切なのは、何を伝えているかだけでなく、何が伝えられていないのか、どのような方法で判断を促しているのかにも目を向けることです。
2.新型コロナワクチンをめぐる情報から考える
新型コロナウイルスの感染拡大時には、政府や医療機関、報道機関などが、感染症のリスクやワクチンの効果、安全性に関する情報を発信しました。
一方で、接種をめぐっては、効果や副反応、個人の選択、社会的な責任など、さまざまな意見や不安も生まれました。
このような状況では、情報の内容だけでなく、その伝え方や受け止め方にも注意が必要です。
例えば、次のようなことが考えられます。
① 善悪の二択にしてしまう
「接種する人は社会に協力する人」、「接種しない人は無責任な人」というように、人の選択を善悪で分けてしまうと、個々の事情や考えを理解する余地が狭くなります。
反対に、接種した人を一律に「情報にだまされた人」と決めつけることも、同じように相手を理解する機会を失わせます。
② 多くの人が選んでいることを、正しさの根拠にしてしまう
接種率や著名人の発言、専門家の見解は、判断の参考になる情報です。しかし、多くの人が選んでいることだけで、あらゆる人にとって最善の選択だと結論づけることはできません。
多数派であることと、科学的に正しいことは、必ずしも同じではないからです。
③ 恐怖や安心感によって、判断が左右される
感染や重症化への恐怖は、感染症対策を考えるうえで重要な感情です。また、ワクチンによってリスクを減らせるという期待も、行動を後押しします。
ただし、恐怖が強すぎれば冷静に考えにくくなり、安心感が強すぎれば、残るリスクを見落とすこともあります。
④ 都合のよい情報だけを見てしまう
ワクチンの効果を示す情報ばかりに注目すれば、限界や副反応に関する情報を十分に検討できないかもしれません。
反対に、健康被害を訴える事例ばかりを見ていれば、効果を示す研究や、感染症そのもののリスクを見落とす可能性もあります。
ワクチンの効果やリスクは、個別の事例だけで全体を判断せず、複数の信頼できる資料を照らし合わせることが大切です。
ここで考えたいのは、接種することと、接種しないことのどちらが正しいかを一律に決めることではありません。
どのような情報を根拠に判断したのか。
そして、
その判断を支えた情報には、偏りや見落としがなかったのか。
この問いは、ワクチンに限らず、政治、経済、健康、教育など、あらゆる情報に向き合うときに役立ちます。
“From Information to Wise Choices” 「情報から、賢明な選択へ。」
<The meaning of Ayaka’s scene>
情報を集めることと、真実を見極めることは同じではありません。
私たちは、さまざまな情報に触れ、その根拠や確かさを確認しながら、物事を理解していきます。
しかし、判断を左右するのは、外から得られる情報だけではありません。
自分の経験や先入観、感情、思い込みも、情報の受け止め方に影響しています。
だからこそ、情報を確かめると同時に、それを受け取っている自分自身の認識にも目を向けることが大切です。
情報収集(Gather) → 情報の確認(Verify) → 自分の認識を観る(Reflect)
→ 多角的な判断(Judge) → 選択と振り返り(Choose)
「情報収集 · 確認 · 自己認識 · 判断 · 選択」 の流れ
STEP 1
情報を集める
複数の情報や異なる意見に触れる
⬇
STEP 2
情報を確かめる
発信元・根拠・事実と解釈を確認する
⬇
STEP 3
自分の認識を観る
感情・思い込み・先入観に気づく
⬇
STEP 4
多角的に判断する
複数の視点と、選択による影響を考える
⬇
STEP 5
選択し、振り返る
判断に基づいて行動し、必要に応じて見直す
この流れは、一度決めたら終わりではありません。選択した結果を振り返り、新しい情報が得られれば、もう一度情報を確かめ、判断し直すこともできます。
このプロセスを繰り返すことで、私たちは思い込みに気づき、より広い視野から物事を捉え、納得できる選択へと近づいていくことができます。
3.なぜ、私たちは情報に影響されるのか?
情報の受け止め方には、脳の働きと心理的な仕組みが関係しています。
脳は、入ってきた情報をすべて同じように処理しているわけではありません。過去の経験、記憶、期待、感情、身体の状態などを手がかりに、目の前の出来事を理解しようとします。
この働きは、膨大な情報を効率よく処理するために必要です。しかし、その一方で、判断に偏りが生じることもあります。
例えば、次のような心理的な働きがあります。
● 繰り返しによる影響
同じ情報を何度も目にすると、内容に親しみを感じ、真実らしく思えることがあります。ただし、何度も聞いたからといって、その情報が正しいとは限りません。
● 同調圧力
周囲の人が同じ意見を持っていると、自分も同じように考えたくなることがあります。集団に受け入れられたいという気持ちは、人間にとって自然なものです。しかし、孤立を恐れるあまり、疑問を口にできなくなることもあります。
● 感情による判断の変化
恐怖や怒り、不安が強いときには、危険を感じさせる情報に注意が向きやすくなります。反対に、安心したい気持ちが強いときには、自分を安心させてくれる情報を選びやすくなることがあります。
● 脳の学習と習慣
繰り返し経験したことや、その後に得られた結果は、次の判断や行動に影響します。脳の可塑性は、経験に応じて神経回路の働きが変化する性質です。
ただし、情報を繰り返し見れば必ず特定の信念が脳に固定される、という単純な仕組みではありません。人の考え方は、経験や環境、他者との対話、新しい情報など、さまざまな要因によって変化します。
つまり、私たちは情報を受け取るだけの存在ではありません。
自分の内側にある経験や感情、期待などを通して、情報に意味を与えているのです。
4.SNS時代に気をつけたい「情報の偏り」
現在は、検索エンジンやSNSを通じて、膨大な情報に触れられるようになりました。
便利になった一方で、注意したいのが、似た意見や関心を持つ情報ばかりに触れやすくなることです。
閲覧履歴や反応などをもとに、利用者が関心を持ちそうな情報が優先的に表示される場合があります。こうした仕組みなどによって、特定の見方に偏った情報環境が生まれることがあります。
このような状態は、しばしば「フィルターバブル」と呼ばれます。
例えば、ある意見に賛成する投稿を何度も見ていると、その意見が社会全体の共通認識であるかのように感じるかもしれません。
さらに、刺激の強い言葉や怒りを誘う投稿は、注目を集めやすいことがあります。その結果、落ち着いた説明よりも、極端な主張のほうが目立つ場合もあります。
しかし、SNSで多く見かける意見が、社会全体の意見を正確に反映しているとは限りません。
また、フィルターバブルがどの程度生じるかは、利用するサービスや人によって異なります。アルゴリズムだけでなく、自分自身がどの情報を選び、誰の発信を追いかけているかも関係します。
情報の選択をすべて外部の仕組みのせいにするのではなく、自分の情報環境を見直すことも大切です。
5.情報に振り回されないための五つの習慣
では、私たちは情報に触れるとき、何を意識すればよいのでしょうか。
大切なのは、すべてを疑うことでも、何も信じないことでもありません。情報を確かめ、自分の考え方も見つめ直すことです。
① 事実と解釈を分ける
「何が起きたのか」という事実と、「それは何を意味するのか」という解釈を分けて考えます。
例えば、「ある人がワクチン接種後に体調を崩した」という情報と、「その体調不良はワクチンが原因だった」という判断は、同じではありません。原因を確かめるには、時間的な前後関係だけでなく、医学的な評価やほかの可能性も検討する必要があります。
② 発信元と根拠を確かめる
誰が、いつ、どのような根拠で発信した情報なのかを確認します。
公的機関や専門家の発信も、肩書きだけで無条件に受け入れるのではなく、根拠や説明の内容を確認します。一方、個人の体験談も、全体の傾向を判断する資料とは役割が異なることを理解しておきたいものです。
③ 反対の情報にも目を向ける
自分の考えに合う情報だけでなく、異なる見解にも触れてみます。
ただし、賛成意見と反対意見を機械的に同じ価値で扱えばよいわけではありません。双方の根拠の確かさや、証拠の量、説明の妥当性を比較することが大切です。
④ 感情が強く動いたときは、すぐに結論を出さない
恐怖や怒り、強い安心感を覚えたときには、いったん立ち止まってみましょう。
「私は今、何に反応しているのだろう」
「この情報のどの部分に心を動かされたのだろう」
そう問いかけるだけでも、感情と判断を少し切り分けやすくなります。
⑤ 新しい根拠があれば、考えを見直す
一度信じたことを変えるのは、簡単ではありません。
しかし、考えを見直すことは、過去の自分を否定することではありません。そのときに得られた情報をもとに判断し、新しい情報が加わったら、もう一度考える。それは、認識を深めていくための自然な過程です。
6.「真実を観る力」は、自分の認識を観察することから
情報操作について考えるとき、私たちはつい、誰かが情報を操作しているのではないか、誰が人々を誘導しているのか、という外側の問題に目を向けがちです。
もちろん、情報の透明性や説明責任を確かめることは重要です。
しかし、それと同時に、自分自身の内側にも目を向けてみる必要があります。
なぜ、その情報を信じたのでしょうか。
自分の期待に合っていたからでしょうか。
周囲の人が支持していたからでしょうか。
不安を解消してくれたからでしょうか。
それとも、十分な根拠を確認したうえで納得したからでしょうか。
こうした問いは、誰かを疑うためだけのものではありません。
自分の判断にも偏りが生じる可能性を認め、より確かな理解に近づくためのものです。
「真実を観る眼力」とは、最初から何でも見抜ける特別な能力ではありません。
事実と解釈を分け、異なる情報を比較し、自分の感情や思い込みにも気づきながら、必要に応じて考えを修正していく力です。
情報があふれる時代だからこそ、外側の情報を確かめるだけでなく、その情報を受け取っている自分自身の認識を観察することが大切なのではないでしょうか。
次回の「真実を観る眼力」では、こうした認識の偏りを、心理学で研究されている「認知バイアス」という視点から、さらに具体的に考えていきます。
私たちは、なぜ自分の考えを支持する情報に目が向きやすいのでしょうか。そして、どうすれば、見たいものだけを見るのではなく、物事をより広い視野から捉えられるようになるのでしょうか。
その問いから、認識の精度を高める方法を探っていきます。




