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真実を観る眼力 91 人生の選択② 正しい選択、「間」をつくる
人の選択の根源は、自分が選択しているようでいて、本当は脳の反応に沿った選択をしているということでした。
人は「選択している」のではなく、多くの場合「脳の反応を追認している」これは脳科学的にも事実です。
そして同時に、それでもなお、人は“自由”を取り戻す余地がある、
ここが核心です。
1. 脳は「先に決めている」— 実験の正体
この実験は、リベット実験系といいます。
被験者が「選ぼう」と意識する、
その数百ミリ秒〜数秒前に運動野・補足運動野が既に活動している。
つまり、
「私が選んだ」と感じる前に
脳はもう準備を終えている
これが事実です。
ここから導かれる重要な点は、
「意識は決定者ではない」ということです。
運動命令を伝えるメカニズム:
運動野.pdf (0.52MB)
2. では「自由意志」は幻想なのか?
ここで二極化が起きます。
自由意志は幻想だ
いや、人は主体的に選んでいる
この対立は、前提が間違っているために起きます。
自由意志=
❌「脳が決める前に、意識が決めること」
ではありません。
3. 正確な構造:選択は3層で起きている
選択は次の三層構造で起きています。
① 反射層(脳の自動反応)
- 本能
- 記憶
- 条件付け
- 報酬回路
- 恐怖回路
👉 ここで「選択肢A」が浮上する
(本人は気づいていないが、「選ぼう」と意識するその数百ミリ秒〜数秒前に運動野・補足運動野が既に活動し、すでに選択している)
② 意識層(追認・物語化)
「自分が選んだ」と感じる
理由を後付けする
正当化する
👉 ほとんどの人はここで止まる
③ 介入層(中断・保留・非反応)
脳が反応し、意識が選択したと感じても
- 今は決めない
- 動かない
- 従わない
👉 ここが「自由」の唯一の入口
4. 自由意志は「選ぶ力」ではなく「止める力」
実は、脳科学でも一致している点があります。
人は「何を選ぶか」は先に決まるが、
「それに従うかどうか」は止められる
これはベトー(veto)と呼ばれます。
脳が「やれ」と言う
でも「今はやらない」は可能
自由意志とは
👉 反応に即座に従わない能力です。
5. では「正しい選択」はどう生まれるのか?
「正しい選択」は、
脳が決める
意識が考えるのではなく、
反応が立ち上がった瞬間に「“間”」を入れられるか
で決まります。
6. 身体を使った「"間"」の作り方(核心)
この「間」は思考ではなく身体操作でしか作れません。
この間の作り方が、真実を観る眼力 91『正しく選択するための体現』で紹介した、実践1です。
✅ 実践1:「選択前の3呼吸・ゼロポジション」
何かを決める前に必ず行う身体操作
- 口を軽く開く
- 息を吐き切る(6秒)
- 吸うのは自然に任せる(努力しない)
これを3回
ポイントは
👉 胸を使わず、下腹と背中が同時に緩むこと
さらに、上の呼吸法に次の身体操作を加えると、一層、反応からの選択を無効化しやすくなります。
✅ 実践1+α:「反応を無効化する0.5秒」
- 反応(衝動・快・嫌悪)を感じたら
- 即、吐く(長く)
- 目線を少し下げる
- 舌を上顎から離す
これだけで、
補足運動野の暴走が止まり
報酬回路が沈静化し
「選ばされる流れ」が切れます。
その後に浮かぶ感覚は、
静か
判断がない
どちらでもよい
この状態から出た行動は、
反射ではなく、調和行動です。
7. 最重要な誤解を正す
「脳が先に決めているなら、すべて決まっている」これは誤りです。
正確は、
- 反応は決まる
- 同一化は選べる
- 追従は止められる
人間の尊厳は
「選択肢を生む力」ではなく、
反応に巻き込まれない力にあります。
8. まとめ(核心)
人は「選んでいるつもり」で
多くの場合、脳の反射を追認している
自由意志は幻想ではないが
「選ぶ自由」ではない
自由意志とは
🌟 反応を止める自由
正しい選択とは
🌟 身体が歪まない選択
真実を観る眼力 90 人生の選択① 快と不快、「正しい選択」とは?
『人生とは選択の連続』
私たちは日々の生活においても様々な選択をしています。食べ物、着るもの、仕事の段取り…etc、
とうぜん人生に於いての岐路では大きな選択をして、自身の人生を構築します。
生きる事とは、正に選択の連続です!
しかし本当に私たちは自らの意志で選択しているのでしょうか?
自分の意志した行動を普段取っているかについては、行動には一定のパターンがあり、この行動パターンは脳の潜在下(常識・先入観・概念・観念など)にあるものを適宜適切にくみ上げ、それに沿った反射的な行動を取るのが「人間の行動」実態という事が脳生理学・脳科学的な知見・エビデンスからもわかっています。
つまり行動は予め決まった(推測可能な)、意志でない脳からの反射活動であると結論付けられます。
このように「行動」以前の「選択」する事においても、自身にとって「快」に感じるもの=「本能的なもの、自分の欲求を満たすもの、満たされるもの、自ら利になるもの(利害)」を、反射的に選択している可能性があります。
人生において選択する自由、
自らの意志に基づいて行動する自由、
も無いのであるならば、人生は予測可能な反射的で、受動的、自由の無い、退屈なものという事になってしまいます。
『脳生理学的な選択』
脳生理学的には何を「快」に感じて、何を「不快」と感じているかにより選択されます。
しかし、何を快感として感じ、何を不快感に感じるかには個人差があり、正に感性の問題でもあります。
放射線医学総合研究所である興味深い研究が行われました。
平均年齢が22歳の男女19人に参加してもらい、「かつての同級生が社会的に成功して羨ましい生活を送っている」シーンを想像してもらいました。
この時、脳部位の活性をみると前頭連合野の後にある「前帯状皮質」でした。
この部位は不安や不快な情動、苦痛の時に活性する脳です。
次いで、「その同級生が不慮の事故や相方の浮気で不幸に陥った」事を知ったときに活性された時の脳部位は「前帯状皮質」のかわりに報酬系の脳「側坐核」でした。
「側坐核」は心地良いと感じる時に活性する快感を感じる脳です。

「報酬系」:とは、ヒト・動物の脳において、欲求が満たされたとき、あるいは満たされることが分かったときに活性化し、その個体に快の感覚を与える神経系です。
ドイツ語でこのような感情を表す言葉をシャーデンフロイデと言います。
シャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)とは、他者の不幸、悲しみ、苦しみ、失敗を見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情。ドイツ語で「他人の不幸(失敗)を喜ぶ気持ち」を意味する。日本語で言う「ざまあみろ」の感情であり、日本でのシャーデンフロイデの類義語としては「隣(他人)の不幸は鴨(蜜)の味」、同義の「メシウマ(他人の不幸で飯が美味い)」という俗語が近い物として挙げられます。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
他人の不幸(失敗)を喜ぶ気持ちは大変に卑しい心と顕在的には思ってはいても、それは本心で無い事を正直に反応する脳が露呈する結果となったのです。
『ヒトにより、快・不快に感じるものは異なる』
ヒトにより、快・不快に感じるものには違いがあります。
あるヒトは、他者を罵倒し貶め、自然が破壊されても、自分の利となれば快感、極端な例ですが…。
しかしながらシャーデンフロイデは誰しもの本質的な心に潜む邪悪さでもあります。
「快」に感じるものとは、本能的なもの、自分の欲求を満たすもの、満たされるものでもあり、これが快・不快の個人差ともなります。
一方、「快」・「不快」に感じるられるものとは個々の感性の違いにもよるものなので、ヒトによっては同じ事象でもそれが「快」ともなり「不快」ともなります。
ヘビメタ好きな人が、その音楽を聴けば脳は「快」となり、クラッシック好きな人は「不快」な反応が現れるでしょう。
『正しく感性を働かすとは』
正しく感性を働かすという事は、脳においては最も精緻正確な「快」情報であるとも言えます。
では、正しく感性を働かすとは?
しかし「快」・「不快」に感じるのは思考(前頭葉)でなく、感性(頭頂葉)なのですから、正しく感性が機能(頭頂葉)していれば正しい選択をするということになり、正しい感性からの反射的、直感的な選択は、結果、「正しい選択」である、ということになります。
つまり、「正しく感性が機能していれば正しい選択をする、正しい感性からの反射的、直感的な選択は、正しい選択である」
これは、脳生理学・脳科学的な知見・エビデンスから導く推論です。
正しい感性が正しい「選択」を導くならば、迷いも少なくなるため(思考による彷徨いが減るため)定めた目標を達成する確率も高くなるでしょうし、、、、!?でも、失敗は成功の基でもあります。
正しい感性とは、常識・先入観・概念・観念・エゴイズム・主観(前頭葉)から切り離された、「ありのままを素直に感じられる」真心(頭頂葉)がもたらす感覚とでも言うのでしょうか!
しかしながらほとんどの場合、「我(エゴ)」というフィルターを通し感じているがため感性の純度は低く、このような感性からの「快」・「不快」情報は自身の欲求・欲望・執着・利害を反映しているがために、自分の都合がイイように感じているだけなのかもしれません。
それを証拠にヒトの不幸を喜ぶシャーデンフロイデが、側坐核(快を感じる脳)を活性化させる。だれしもの根源的な心にエゴイズムが横たわっています。
『正しい選択とは』
「正しい選択とは」は、感情や快・不快を“消す”ことではなく、快・不快が生まれる前の“静かな感知点”(ゼロポジション)に立ち戻れるかどうかで決まります。
① 選択を決めている正体は「脳」ではない
脳生理学的には、
快=報酬回路(ドーパミン)
不快=回避回路(扁桃体)
が選択を促します。
しかし重要なのは、
脳は「決定者」ではなく「反応器」だということです。
👉脳は
- 本能
- 過去の記憶
- 社会的刷り込み(常識・観念)
- 欲望・恐れ
に即座に反応しているだけです。
つまり感性が歪むのではなく反応が感性を覆い隠しているのです。
② 「正しい感性」は、欲望を否定すると壊れる
よくある誤解は、欲望・執着を手放さなければならないという考えです。
実際には、
- 抑える → 反発が起きる
- 否定する → 無意識で支配される
結果、より強く歪んだ選択になります。
正解は
🌟「手放す」のではなく「介入させない」ということです。
③ 正しい感性が働く状態とは?
正しい感性が働いている時、次の特徴があります。
- 急がない
- 正当化しない
- 説明しようとしない
- 得か損かで揺れない
- 他者比較が消える
この状態では、
「快でも不快でもないが、確かに“違和感がない”」 という感覚が現れます。
これが反応以前の感知(プレ・チョイス)です。
『健全なる精神は健全なる身体に宿る』
⭐身体で体現する:最重要ポイント
正しい感性を育むには、正しい心の在り方が求められ、「正しい心」とは「健全な肉体」から育まれます。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
感性は「思考」ではなく「身体」に宿ります。
正しい選択は、考えて出すものではなく、身体が緩んだ時に、自然に浮上するものです。
なぜか?
身体が緊張しているとき、
- 交感神経優位
- 防衛・獲得モード
- 利害・損得・評価に支配される
からです。
『正しく選択するための体現』
✅実践1「選択前の3呼吸・ゼロポジション」
何かを決める前に必ず行う身体操作
- 口を軽く開く
- 息を吐き切る(6秒)
- 吸うのは自然に任せる(努力しない)
これを3回
ポイントは
👉 胸を使わず、下腹と背中が同時に緩むこと
この時、「決めよう」としない。
すると一瞬、
思考が止まり
快・不快の評価が消え
静かな中立点(ゼロポジション)が現れます
ここが正しい感性の起点です。
✅実践2「身体に質問する」
思考に聞かないでください。
身体に聞きます。
選択肢を一つずつ思い浮かべ、
✔ 肩が上がるか?
✔ みぞおちが固くなるか?
✔ 呼吸が浅くなるか?
✔ 逆に、背骨が伸びるか?
✔ 足裏が重くなるか?
説明できない身体反応を採用します。
正しい選択ほど
✔ 静か
✔ 地味
✔ ドラマがない
のが特徴です。
✅実践3「歩きながら整える」
歩行中、
- 踵から着かない
- 足裏全体を「置く」
- 速くならない
- 視線を下げない
これだけで、報酬回路の暴走が鎮まりシャーデンフロイデ的快が弱まり中庸の感性が戻ります。
整った歩行=整った選択です。
『まとめ』
正しい選択とは、
- 成功する選択
- 得をする選択
- 評価される選択
ではありません。
👉 後から自分を歪めない選択です。
選択後に、
- 言い訳がいらない
- 身体が縮まらない
- 呼吸が自然に続く
これが真の指標です。
真実を観る眼力 89 「意識が現実を創る」という考えの構造 20 中心・中庸(ゼロポジション)を整える⑤...ゼロポジションを外れた身体のサイン
意識がゼロポジションを外れたかどうかは、思考ではなく「身体が必ず先に知らせます」。
この身体のサインを知っているかどうかで、体現は一気に深まります。
<ゼロポジションを外れた身体のサイン>
Ⅰ.最初に出る「超初期サイン」
① 呼吸が止まる/浅くなる
吸って止まる
吐き切れない
胸だけが動く
👉 これは最速のサイン
思考より先に起こります。
② みぞおち奥が「詰まる」「硬くなる」
圧迫感
リラックスしても抜けない
重さ
何かを押さえ込む感覚
👉 中庸から外れ、主観が前に出た合図
③ 視野が狭くなる
目が一点に固まる
周辺が見えなくなる
瞬きが減る
👉 世界が「自分中心」になる瞬間
Ⅱ.「筋・姿勢のサイン」
④ 肩・首・顎に力が入る
無意識に噛み締める
舌が固まる
歯の食いしばり
首が太く短く見える
👉 防御・正当化が始まっている
⑤ 重心が定まらない
立つと前か後ろに偏る
足裏の接地感が薄れる
体重が踵か前足に偏る
足指が浮く or 握る
👉 現実との接点が抜けている
⑥ 身体の動きが「速く」または「鈍く」なる
焦って速くなる
重くなって遅くなる
👉 時間感覚が歪んでいる
Ⅲ.感情・思考として現れるサイン(遅発)
⑦ 「正しさ」を軸に世界を見る
白黒思考
善悪・勝敗・上下でみる
説明したい
分かってもらいたい
👉 「ゼロ、中庸」ではなく「立場」に居る
⑧ 相手の反応が気になる
自分の内側より「外」を基準にする
嫌われたかも
評価
空気
常識
世間
👉 中心が外在化している
⑨ 頭の中で独り言が増える
反省
後悔
予測
👉 現実から離脱している
⑩ 被害者 or 加害者の物語に住んでいる
やられた
理解されない
こんなに頑張っているのに
👉 物語が現実より優先
Ⅳ.行動・関係性の特徴
⑪ いつも「忙しい」「余裕がない」
実際の量より消耗が大きい
休んでも回復しない
👉 中心を失ったまま動いている
⑫ 人間関係が摩耗しやすい
近づき過ぎる
距離を切り過ぎる
同じ問題が繰り返される
👉 中心が無いので距離感が安定しない
⑬ 静かな時間が苦手
何かしていないと不安
無音・無予定が怖い
👉 ゼロが怖い
Ⅴ.本人が気づきにくい「決定的特徴」
⑭ 自分を「客観視しているつもり」
分析は得意
理解している感覚がある
でも身体が変わらない
👉 頭だけの俯瞰=ゼロではない
⑮ 「整える」が癖になっている
姿勢を正す
呼吸を意識する
心を落ち着かせようとする
👉 戻るのではなく、操作している
<重要なポイント>
❌ 中心・中庸・ゼロポジションを「外れないようにする」→ 失敗
⭕ 「外れたら、すぐ分かる」→ 成功
<ゼロポジションの体現とは>
外れないことではなく、戻るスピードが速いことです。
ゼロポジションとは、
正しさではなく、帰還点。
👉 身体サインに気づいた瞬間に戻る
それだけです。
<まとめ(本質)>
ゼロポジションを外れた身体サインは
「失敗の証拠」ではなく
「目覚めのアラーム」
回復の第一歩(唯一)は
「直そう」としない
「変わろう」としない
⬇
戻すだけ
<即・復帰ワーク(10秒)>
外れたと感じた瞬間に:
1. 吐く(吸わない)
2. 足裏を一瞬感じる
3. みぞおち奥を空ける
4. 視野を広げる(周辺視)
真実を観る眼力 88 「意識が現実を創る」という考えの構造 19 中心・中庸(ゼロポジション)を整える④...ゼロポジションを生きるとは
例えばゼロポジションに意識を置き、体現することを続けていくと、今までの人間関係がリセットされ縁が切れたり、逆に、必要な人やモノとの縁が生まれたりすることがありますが、これには以下の理由があります。
<ゼロポジションで生きると人間関係や縁が変わる理由>
① 無意識の「歪み」が消えるから
多くの人間関係は、
承認欲求
恐れ
期待
防衛
という中心を外れた反応で結ばれています。
ゼロポジションに戻ると、
相手に期待しない
自分を守らない
操作しない
👉 歪みが消えると、歪みで成り立っていた関係は自然に終わるから
② 共鳴の法則(スピリチュアルではなく身体的)
人は「思考」ではなく、「姿勢・呼吸・在り方」に反応します。
ゼロポジションの身体は、
落ち着いている
押さない
引かない
👉 同じ在り方の人だけが残る
⬇
👯 必要な縁は「探さなくても入ってくる」
そしてこれは思想や哲学、スピリチュアルではなく、身体を通してしか本当に分からない領域です。
おそらく人の進化とは、『意識を中心、中庸、ゼロポジションに戻し』つつ、『身体で体現と行動』を通して発達していくために、肉体が与えられたのではないでしょうか?
これは、人の脳の進化構造からもうかがえます。人間の脳の進化は、基本的な生存機能を担う旧脳(運動脳)が先行し、その後に中脳や新脳が発展していったという考え方が一般的です。
旧脳(運動脳)は、人間の脳の進化において最も原始的な部分であり、生命維持や運動の制御、感情の基盤に関与しています。
中脳や新脳と連携しながら、基本的な生理機能を支えつつ、より高度な認知機能を発展させるための基盤を提供しています。
脳の進化ではまず、旧脳による基本的な行動と生存機能が先行し、その後に新脳が発展して高次の認知機能を持つようになったというプロセスを示しています。
つまり人間の進化は脳の進化構造からも、旧脳による『体現と行動』と、新脳による「認知」の相互作用によって形成されており、これが人間の適応能力や社会的な複雑さを高める要因となっています。
そして意識の進化とは、「中心、中庸、ゼロポジション」にもどりながら、『愛の体現』をしていくこと。
しかし意識が「中心、中庸、ゼロポジション」から外れていれば、主観やエゴを通し内外を見ているので、勝手な思い込みや自己都合で自分が見ているこの世界がすべての現実と勘違いしている可能性さえあります。
正邪善悪を見極め真実を生きるとは、ゼロポジションに戻りつつ、俯瞰、客観していかないと、いつまでも自身のエゴが作り出したイリュージョンをrealと勘違いしたまま、本質を生きることができなくなってしまうのではないでしょうか。
<人は「主観=現実」と誤認しているか?>
人は通常、
思考
感情
記憶
価値観
というフィルター越しの世界を見て、
「これが現実だ」
と無自覚に信じています。
👉 これは世界を見ているのではなく
世界に自分を投影している状態
『ゼロポジションで観る』とは、
- 世界を「判断前」に受け取る
- 良い悪いを付ける前に感じる
- 自分の内側の反応と事実を分ける
これにより、
👉 初めて「現実」が立ち上がる
<正邪・善悪・真実を見極めるとは何か?>
💡重要なポイント
❌ 善悪を超えようとする → エゴ
⭕ 善悪が生まれる「手前」に戻る → ゼロ
ゼロポジションでは、
善悪は消えない
正邪も消えない
しかし、 👉 「反応として使われなくなる」=「反射的に邪悪と共鳴しなくなる」
『真実を生きるとは』
正しいことをすることではない
間違わないことでもない
💡「中心から離れずに、現実に関わり続けること」
<イリュージョンから抜ける唯一の方法>
それは、
思想でも
知識でも
正論でもなく
👉 身体に戻り続けること
崩れたら戻る
外れたら気づく
そして、また戻る
最後に
「目覚めたい」ではなく
真のrealを、
「もう誤魔化さずに生きたい」
ということです。
ゼロポジションは悟りの概念ではありません。
逃げられないほど現実的な、生き方の基準点です。
「地に足をつける」・「目を開く」・「体を動かす」スクワット
真実を観る眼力 87 「意識が現実を創る」という考えの構造 18 中心・中庸(ゼロポジション)を整える③...「ゼロポジションに戻り続ける」体現法
ゼロポジションで生きるとは、
『静』静寂、
『中』中心.ゼロポジション.中庸、
『整』肉体で体現して生きる、
そしてとても大切な点は、
それを「実現しようとする」のではなく、
そう“なってしまう”というところです。
整理してみます。
ゼロポジションで生きる、とは何か
① 静寂
- 思考を止めることではない
- 感情を消すことでもない
- 中心から外れていないため、波立たない状態
👉 静寂は「つくるもの」ではなく、身体が中心に戻り続けた結果として現れる
② 中心・ゼロポジション・中庸
- どちらにも寄らない
- 正解を選ばない
- 先回りしない
👉 反応の手前に留まる位置
ここにいると、
- 物事が「起きてから」対応できる
- 無理な判断が減る
- 人間関係で自分を失わない
③ 整(肉体で体現する)
💡ここが最重要です。
理解・思想・悟りではなく
姿勢・呼吸・重心・動作として現れる。
立ち方が変わる
歩き方が変わる
物の持ち方が変わる
言葉の出方が変わる
👉 肉体が先、意識は後💡
『日常動作』
その結果、何が起きるか
❌ 目指してはいけないもの
- 常に穏やかでいよう
- ブレない自分になろう
- 理想の在り方を保とう
これらはすべてゼロポジションから外れる行為
⭕ 自然に起きる現実
- 無理な縁が離れる
- 必要なことだけ残る
- 疲労が溜まりにくい
- 判断が早いのに後悔しない
👉 調和的で平安な現実は「副産物」
1.日常動作で「ゼロポジションに戻り続ける」体現法
① 車の運転でのゼロポジション
(ポイント)
運転は「操作」ではなく
空間の中で中心に居続ける行為に変えられます。
(実践)
ハンドルを握る前に
✅ 吐く → みぞおち奥を空ける
✅ 背中をシートに預けきる
✅腕でハンドルを操作しない
→ 体幹の微細な重心移動に手が付いてくる
(サイン)
■ 無駄なブレーキ・アクセルが減る
■ イライラが起きにくい
■ 周囲の流れが「読める」
👉 ゼロポジションの運転=反応しないが、遅れない
② 寝る・休むでのゼロポジション
(寝る前ワーク 2分)
1. 仰向け
2. 吐く息を3回
3. みぞおち奥 → 背中 → ベッドに溶ける
4. 眠ろうとしない
(ポイント)
✔ 寝る=意識を落とす → ❌
✔ 寝る=中心に戻ったまま委ねる → ⭕
👉 深い睡眠は「努力しない中心」から起きる
③ 仕事・作業でのゼロポジション
(開始前)
✔ PCを触る前に一呼吸
✔ 判断を急がない
(作業中)
✅ 手先でやらない
✅思考が走ったら
→ 即、身体に戻る
(終了時)
✔「終わらせよう」としない
✔一度ゼロへ戻ってから席を立つ
👉 仕事の質が上がるのではなく
「消耗が減る」
2.日常動作の「ゼロポジション」を体現する『動作』のヒント
ゼロポイントを軸に日常動作を行うポイントとして、
- 動作前後にゼロ、中心、中庸に戻る、
- 動作中は身体軸から自然と四肢を連動させて止めない、
通常、私たちは日常動作において手足や四肢で動作(操作)しているので、例えば、身体軸や体幹を意識、活用しての身体動作がおろそかになっています。
つまり、これは末端での操作(小手先の操作)が優勢となっているため、身体軸・体幹(中心)が抜けて、内(意識・心)・外(身体)ともに、『中心・中庸・ゼロポジション』から外れてしまいます。
1997年、オーストラリアのホッジス(Hodges)らの研究によると、「Early activity (早期活動)」といい、
「四肢」の動きは主に「体幹筋」が先行して筋活動が起こり、その後に「四肢」が働くことがわかってます。これは、効率的な動作のポイントとして、四肢を先行させて動作するより、「体幹」を意識して動作を起こす方が、「四肢」を動かすというより、自然と「四肢」が反射的に使われ、効率的な身体動作になることをしめしています。
関連リンク:https://mountain-top.jugem.jp/?eid=856 山体を支えるtraining法 2 理論編
この研究は、『ゼロポジションの体現』と運動科学、神経制御の3点すべてで一致していることを科学的に裏付けています。
① ホッジスらの研究と「ゼロポジション」は同じ現象を別の言語で見ている
(ホッジス(Hodges)の示した事実)
四肢を動かす前に
腹横筋・多裂筋・骨盤底筋など深層体幹筋が先行収縮する
👉 これは「意識的」ではなく予測制御(anticipatory postural adjustment)
つまり身体は本来、
中心(体幹)が先に整い、
その上で四肢が自然に動く
ように設計されています。
これはまさに、
ゼロポジション → 動作 → ゼロポジションに還る
という流れと同一です。
② 四肢主導の動作が非効率になる理由
(四肢から動かそうとすると、何が起きるか)
- 体幹が後追いになる
- 無意識にブレーキ筋が働く
- 余計な緊張が入る
- 動作が「部分最適」になる
結果として、
■ 疲れやすい
■ 微調整が多い
■ ケガ・慢性痛につながる
■ 判断も遅くなる(神経負荷が高い)
これはゼロポジションを外れた動作です。
③ 「丹田に意識を置く」とは「体幹筋を意識する」のと同義
「丹田に意識を置く」とは力を入れることではありません。
正確には、
✔ みぞおちも持ち上げない
✔ 下腹を固めない
✔ 呼吸を止めない
✔ 骨盤底が自然に張力を持つ
👉 腹腔内圧が“均等”に整う状態
これが起きると、
✅ 体幹筋(腹横筋)が先行
✅ 脊柱が安定
✅ 四肢が反射的に動く
つまり、「四肢を使う」のではなく
👉「中心が動き、四肢がついてくる」
『動作中は丹田に意識をおき四肢は自然に連動』
④ ゼロポジションからの効率的動作の3原則
原則ⅰ 動作前:ゼロに還る
- 呼吸が自然
- 体重が左右均等
- 頭が上に引かれ、足裏が地面に溶ける
👉 ここで“何もしない”
原則ⅱ 動作中:止めない・分断しない
- 体幹の軸から動きが始まる
- 四肢を「動かそう」としない
- 途中で評価しない
👉 動き続ける=コヒーレンスが保たれる
原則ⅲ 動作後:必ずゼロに戻る
- 余分な力を抜く
- 呼吸を一呼吸だけ観る
- 立位・座位で中心に戻る
👉 これが神経系のリセット
3. 「意識で動かす」と「反射で動く」の違い
| 意識主導 | ゼロポジション主導 |
| 四肢から動かす | 体幹から始まる |
| 判断が介入 | 反射が働く |
| 疲労が残る | 疲労が抜ける |
| 再現性が低い | 再現性が高い |
これはスポーツだけでなく、
歩行
車の運転
掃除
仕事の手作業
対人動作
すべてに共通します。
4. ゼロポジションとは「最も神経が賢く働く場所」
重要なのは、
ゼロポジションは
力の位置ではなく、
『神経の位置』
ということです。
ゼロポジションにいるとき
✅ 判断が速い
✅ 反応が正確
✅ 無駄がない
✅ 後悔が残らない
これは
身体・意識・行動が同一の中心から起きている状態。
5. 『ゼロポジションの体現』流れ
動作前:みぞおち奥(マニプーラチャクラ、横隔膜)の静かさを一瞬感じる
(意識=流す)
✅横隔膜がゆるむ、
✅腹腔神経叢が静まる
⬇
動作中:丹田に重心
(意識=置く)
✅ 体幹筋(腹横筋・多裂筋・骨盤底筋など深層体幹筋)が先行収縮
✅ 四肢が自然に連動する
⬇
動作後:みぞおち奥(マニプーラチャクラ、横隔膜)に戻る
(意識=流す)
✅ ゼロポジションに還る
✅ 行動と意識が一致する
6. まとめ(核心)
ゼロポジションからの動作とは、
体幹(丹田)が世界に先に応答し、
四肢がそれに従って自然に現れる現象です。
ホッジスらの研究はこれを「筋活動」で説明し、
ゼロポジションの体現とは、
両者は同じ真実を違う角度から見ているだけです。









