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真実を観る「眼力」2 (ミクロ編)
【量子とは】
物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったもので、 光を粒子としてみたときの光子やニュートリノや
20世紀初めに科学者達は光の正体が「粒」なのか「波」なのかで議論となり、光は「粒」であると同時に「波」でもある性質が分かりました。
「粒の性質」と「波の性質」を合わせ持つミクロの物質(素粒子、電子、原子、分子など)のことを「量子」と呼びます。
<実験方法>
電子を発射する「電子銃」の先に、二つのスリットの入った板を置きます。その先にスクリーンがあり電子がぶつかると感光して跡が記録されます。
1.電子を一つ発射します。
スリットAまたはBを50%の確率で通り抜け、スリットの先のスクリーンに点状の跡が一つ残ります。
2.電子の発射を何度も繰り返します。
するとスクリーンには少しずつ干渉縞が現れました。
3.一度に大量の電子を発射します。
明瞭な干渉縞が現れました。
4.測定器をスリット側に置き観測しながら電子を発射します。
電子をいくら飛ばしても片方ずつのスリットしかすり抜けなくなり、スクリーンには2つの線しか描かれなくなりました。
【実験結果からわかったこと】
量子のミクロの世界を理解する重要項目の一つに「波と粒子の二面性」があります。電子などのミクロな物質や光は、波のような性質と粒子のような性質の両方をもつということです。
二重スリット実験で、
①電子が単純な粒子であるならばスリットのまっすぐ先にしか到達できないはず!!<実験1>
②しかし電子の発射を多数回繰り返すと「干渉縞(かんしょうじま)」とよばれる独特な明確のしま模様がスクリーンに現れた!?<実験2、3>
③二重スリット実験で干渉縞が現れたのは「波特有の性質」であり、これは電子や光子などの量子は「波の性質」も持っている事の証拠であることがわかった。この実験から、ミクロな世界では電子などあらゆるものが「波と粒子の二面性」をもつことが確かめられた。
④電子などの量子は、観測する前は空間に広がった波として存在しているが、観測した瞬間に広がっていた波はどこか1点に縮み(波の収縮)、電子は「粒子」の姿に変わる。<実験4>
【④からわかったこと】
「量子」の不思議な性質は、人が見ていないときは姿のない「波」であり、ミクロの世界では人間(または観測機)が観測するまでは、物質の状態は確定していません。
そして人が見たとたんに、目に見える「粒子」となって姿を現します。
「未確定のミクロ(波動)世界を観測した時、波動はマクロ(粒子)となる」
つまり「量子は、人間が観測していないと波動となり、人間が観測すると物質になる」ということです。
量子論では、人間の「見ない」「見る」という行為が量子の状態を変え、
量子で作られている万物は人間が観測していない(人間が「意識」を介さない)と波動であり非物質で、人間が観測する(人間の「意識」が注がれる)と物質化する事を明らかにしました。
このように量子は、人間が観測すると「物質化」し、観測していないと「波動」になるという事を究明したのが「二重スリット実験」です。
【人間の観測行為とは】
「意識」をもった観測者が観測(意識を置く、意識を向ける)し、それを脳が認識した瞬間に、未確定だった波動が収縮(波の収縮)して波から粒子となり、現象化・顕在化・物質化(状態が確定)します。
「意識」が現象や状態を作っている根拠として、「多重人格障害の患者のケース」があります。
医療の現場では、「多重人格障害の患者」がAという人格の時、Bという人格の時、Cという人格の時では、それぞれ検査結果が異なる現象が起こることがあるようです。
Aという人格の時はガンがあり、Bという人格の時にはガンは消え、Cという人格の時は糖尿病であるなど。このことは、「意識にある」ものが現象化、顕在化するということを証明しています。
意識を置くところにEGが集約するのがエネルギーの法則です。
「意識」したとき、Egは意識したものに集約され、同質のものを引き寄せてくる、このように、量子の性質を「引き寄せの法則」のエビデンスとして推察することも出来ます。
意識したもの(選択したもの)が現れる(現象化、顕在化)は、量子の性質からも解せますが、なぜ私たちは自分の望んだもの(選択したもの)だけを引き寄せる事が出来ないのでしょうか?
ユングの言う潜在意識が97%に対し、顕在意識はたったの3%しか占めていないと言うことからも、いくら3%の顕在意識で意識し選択したところで、97%の圧倒的な潜在意識に打ち消されてしまうという事なのでしょうか!?
(優位なエネルギーは劣位のエネルギーを支配する法則)
私たちの潜在意識には、社会通念、概念、価値観、世間体、常識、体験(トラウマ、独断と偏見)、教育など、様々な観念(自分が信じている思い込み)が刷り込まれ、これら観念の根底にあるものは、恐れや不安により作られます。(自己処罰、罪悪感などによる)
顕在意識で何かを望んでも(ポジティブ)、圧倒的な潜在意識のpower(ネガティブ)によって打ち消されてしまい思い通りに成らないのが人の常です。
認知科学で「マインドワンダリング」と呼ばれる現象の重要性が指摘されています。マインドワンダリングとは意識が”心ここにあらず”の状態となり、目の前の作業とは無関係なことを考え始めてしまうことで生じる「思考のさまよい」のことです。普段の私たちの意識は生活時間の長い間を白昼夢やマインドワンダリングによる「こころの迷走」に占められているといいます。
ヒトはこのように日常の生活時間の大半を目の前にあることとは別のことを思考、想像しています。過去のネガティブな記憶や未来に対する不安などのマインドワンダリング(思考のさまよい)は、脳内においてはそれがまさに今現実に起こっているがごとくに反応をし、実際に身体ではストレス反応が起きていることが分かっています。
大切なことは、自身が何に意識を置き、何に意識を向けていくか、。
意識の原動からすると利己とは奪う、収奪、takeで、利他とは与える、愛、giveになります。
利己的意識から引き寄せられるEgは低下、縮小、破壊、消滅の方向で、利他的意識から引き寄せられるEgは向上、拡大、創造、発生です。
conscious「意識が在る」とconscience「良心」の語源が同じ(scire「精通している」)ことからも推測されるように、意識はほとんど良心と同義であると解すこともできます。
顕在意識(意識が在る)から、良心に沿った行動を心がけ実践することは、潜在意識を浄化する最も効果的な方法のように感じますし、そのような状態での観測者の観測行為は「真実」を観る眼に向けられているため、意識を自由にコントロールしながら必要なところにEGを動かす事ができ(自身が望む顕在化)、万象万物と調和し自然とEGが拡大(普遍真理との共鳴)していくように推察されます。
3次元世界は、「意識」し、「行動」を起こす事で生じる世界です。
何に意識を向け、行動するかは一人一人の自由意思によるところです。
真実を観る「眼力」1 (マクロ編)
目(眼)は、光を受容する感覚受容器で光の情報は眼で受容され中枢神経系の働きで視覚が生じます。
1.ヒトの眼は網膜に映った像を電気信号に変換して視覚情報を脳に送ります。視覚ははじめ、網膜の上で対象物を光点の集合として写し取り、その光信号は網膜で電気信号に変換されて脳の後頭葉(視覚野)に運ばれて第1次の情報処理を受けます。
2.網膜から1次視覚野(大脳皮質視覚野)までの情報は、単に視像の輪郭(エッジ)を映しているに過ぎず3次元空間を2次元の平面的情報に置き換えて見ています。
3.その情報がその後も脳の各部位をめぐりながら2次、3次と情報処理されて脳で対象物を認知していきます。これらの視覚情報は30ほどあるとされる視覚野に中継されながら情報処理されて視覚認識されます。最初の視覚情報の情報処理(線、エッジ、輪郭、コントラスト、色 等)は自動的に働きます。
4.更に視覚連合野という脳部位で3次元的空間に変換するための形態分析をおこないます。
5.高次連合野では入ってきた視覚情報を今までの自分の経験、知識、概念等に照らし合わせて視覚情報の解釈をします。この目から送られてきた基本情報が意味あるパターンに結び付けられ対象を解釈し視覚認知されるには、自身の脳にある既存の常識・先入観・知識・概念・経験等に照らし合わせることで対象を意味あるものとして視覚認識する仕組みとなっています。
しかし、入ってきた視覚情報で今までに自分の経験、知識、概念等の無いものに関しては情報の解釈が出来ないので推察して解釈し視覚化する必要があり、このような時にヒトが見るという行為は脳が作ったイメージを見ている、こころの反映を視覚化している、ということになります。
極端な話、文明に接した事の無い未開人が見たこともない飛んでる飛行機を見た時に飛行機と言う認識やそれに関する知識も無いので自分のいままでに体験した情報に転化して視覚化し、あれは鳥だとか、または何にも見えない等!?
このように視覚からの感覚認識さえも「常識・先入観・知識・概念」というフィルターを通すことでありのままの真実を正確に捉える事が出来なくなり脳で誤認識された結果、自身にとって都合の良い合理的な解釈をしてしまいます。ヒトは、他の生物と違い大脳新皮質という思考・演算機能を持つ強力な武器を身に付けたがゆえにその機能(思考回路)が反って仇となり、その産物である常識・概念・観念等が身体感覚からの入力にフィルターをかけて感覚能力を不純なものとしてしまいました。
正邪善悪の入り交じった現象社会において真実を見通す目は、自身の脳にある常識・先入観・知識・概念というフィルターを通さず、ありのままの現象を唯、観察・客観しようとする意識の持ち方と実践、それに基づく分析と行動により真の眼力が磨かれます。
では錯誤する感性(感覚)を、真実を感じとる確かな感性へ磨き育てることはできるのでしょうか?
生物学的に動物とは「動く生物」との如く、物質環境のなかで身体運動を行ってきた生命体です。
これを裏付けるようにヒトの脳は進化的に古い旧脳(脳幹・小脳・大脳基底核)の上に大脳新皮質がのっている構造となっています。
旧脳(脳幹・小脳・大脳基底核)は身体活動、身体運動(出力)に深い関係をもつ脳部位です。
ヒトの脳の構造からも分かるよう、旧脳から派生し後付けで大脳新皮質を発達させて来たことは生物は本来、身体運動(出力)を重点に作られ、それから身体感覚(入力)と身体運動(出力)のバランスを発展させて来たことをうかかがわせます。
米デューク大学のクルパ博士の実験では、ネズミがヒゲを積極的(能動的)に動かし(身体運動=出力)モノに触れた(感覚神経=入力)時と、ヒゲを(受動的)に(身体運動=出力)なしでモノに触れさせた(感覚神経=入力)時の感覚神経の活性度は、積極的に身体運動からモノに触れた時の方が10倍も感覚神経が活性化したそうです。
この事からも感性(感覚神経)は、身体運動や行動という(出力)から発信した方が活性化しやすい特性があるので、この脳の特性を使い、意志から行動を通し体感しながら感性を磨いて行くことは脳生理学的にも順当な方法だと思われます。
感覚・感性の活性化の方向 |
脳・前頭前皮質(意志)→身体運動、行動(出力)→身体感覚、感性(入力)の活性化 |
五大元素の取り入れ "白湯”
エネルギー保存の法則といい、エネルギーがある形態から他の形態へ変換する前後で、エネルギーの総量は常に一定不変であるという法則があります。
例えば物質が高い場所にあれば物質は位置エネルギーをもっています。そこで高いところから物質を落下させればエネルギーが位置エネルギーから運動エネルギーに変換されて物質が速度をもちます。このとき速度は最初にあった位置エネルギーの量に相当する速度になります。
つまり高所にある物体は落下によって位置エネルギーが減少するが、運動エネルギーを得て、その和は常に一定でありつづけます。
熱エネルギーも1kWhというエネルギーを利用する場合は860kcal以上の熱量を生み出すことができないという法則があり、電気エネルギーを考えた場合、1kWhのエネルギーは860kcalでありこれは変化しないのが「熱力学第一法則」です。
つまり孤立するエネルギーは、Aという状態からBという異なる状態に変化が生じてもエネルギーの総量は変わらないと言う事になります。
この法則を生命エネルギーの変換に置き換えてみます。
例えば、食物を摂取(入力)し、その物質を分解吸収し熱Egに転化(出力)し生命活動を維持します。
食物の摂取(入力)と、分解吸収し熱Egに転化(出力)される総量が同じなら、入出力バランスが均等しEgバランスが良い循環状態です。
呼吸・睡眠(入力)から動作・活動など随意運動Egに転化(出力)します。
*随意運動・・・運動の中でも、自己の意思あるいは意図に基づく運動の事。
呼吸・睡眠(入力)と、動作・活動など随意運動Egに転化(出力)される総量が同じなら、入出力バランスが均等しEgバランスが良い循環状態です。
このように、生命Eg(個人差あり)の入力が10で出力も10であれば入出力バランスが均等しEgバランスが良い循環状態といえます。
しかしながら人間は心身の不調、病気、など常に肉体を心身ともに良好に保てているわけではなく、入力系と出力系にアンバランスが生じています。
例えば入力10に対して出力15の場合を仮定すると、何か努力や集中しながら活動(日常生活)を続け出力過多(15)となり、疲労が蓄積されていきます。
「エネルギー保存の法則」では、ある形態から他の形態へ変換する前後で、エネルギーの総量は常に一定不変であるのに、生命エネルギーでは入力と出力の総和にアンバランスが生じ、生命エネルギーの循環に滞りが生じて不調和(疲労、身心の不調、病気など)となっています。
生命エネルギーの変換様式
入力(感覚神経系) | 出力系(運動神経系) |
食事 から | 熱(熱Eg) へ変換 |
呼吸・睡眠 から | 動作(随意運動Eg) へ変換 |
瞑想 から | 自律機能(不随意運動Eg) へ変換 |
現代社会において、ほとんどの人々が出力過剰となり「生命エネルギーの法則」の観点から、エネルギーの総量が一定していません。
これが生命エネルギーの循環に滞りを生じさせ、身心などに不調和をもたらす元にもなっています。
五感により意識(入力)を向け、感性を潤し、磨き、高め、入力(感覚神経系)と出力系(運動神経系)の調和を図ることは、身心の健康だけに留まらず、平安で幸福な人生を構築する礎にも繋がるように感じます。
<簡単 入力方法> "白湯”
古代インドの生命科学であるアーユルヴェーダは、毎朝まず一番先に "白湯” を飲みことを勧めています。
アーユルヴェーダでは白湯を飲むことで、ヴェーダの基礎となっている五大元素(地・水・火・風・空)のEgを取り入れ、白湯の持つ熱Eg作用で消化力(ヴェーダではアグニといいます)を旺盛にして未消化物・毒素(ヴェーダではアーマという)が溜まりにくい体にし、生命力を高めます。
関連リンク:
嗅覚 「におい」を感じる仕組み
5Gの人体への影響とスマホ、電磁波からの防御
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