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真実を観る「眼力」43 利他と利己2 ホセ・ムヒカ(元ウルグアイ大統領)に観る利他
「世界一貧しい大統領」として知られた
南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領がお亡くなりになりました。89歳でした。
ウルグアイの第40代元大統領、
ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ。愛称はぺぺ。
報酬の大部分を財団に寄付し、月に約1000ドルで生活していたため、「世界でいちばん貧しい大統領」として知られることになりました。
「私は少しのもので満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」
ムヒカ氏は若かりし頃、革命に燃えるゲリラ戦士でした。貧困層出身のムヒカ氏は、青年期から貧困と格差が生む社会に疑問を抱き、左翼ゲリラとして行動。何度も投獄され、脱走を繰り返し、過酷な拷問を受けた経験もあります。
<ホセ・ムヒカ元大統領が、若き日の左翼ゲリラ活動家(トゥパマロス)から、国民を第一に考える「実践的で寛容な民主主義者」へと変化していった背景>
(若き日の「武装闘争」とその挫折)
ムヒカ氏は1960年代、貧困や不平等に抗議するため、都市型ゲリラ組織「トゥパマロス」に参加。貧困層の権利を武力で守ろうとしました。
複数回の逮捕・脱獄の後、1970年代の軍事政権下で13年間投獄され、そのうち10年以上を独房や非人道的な環境で過ごしました。
【獄中体験】
→ 自由を奪われた時間の中で、「暴力による革命は真の変化を生まない」と実感し、人間の尊厳・対話・多様性の尊重こそが重要であると気づいていく。
独房で、人間とは何なのかと、何度も自分に問いかけ長い投獄生活で、内省し続け、確固とした信念を持つことに!
「すべては孤独な月日のおかげだ。人は好事や成功より、苦痛や逆境からより多く学ぶのだ。」
4度目の投獄から13年ぶりに釈放され、どんな拷問にも屈しなかったムヒカ氏は、熱狂的な市民に迎えられた。
【釈放後、政治参加への移行】
1985年の民政復帰後に釈放。トゥパマロスの元構成員たちは政治政党「ムヘール(広範な左翼連合)」を結成。
次第に、「過激な理想より、現実に根ざした政治が必要」と考えるようになり、穏健化していく。
【民主主義の尊重と再評価】
→ 独裁政権と自らの過去を見つめ直し、「敵を倒すよりも、共に生きる道を探る方が難しく、だが価値がある」と気づく。
「私は、たとえ私たちにひどい仕打ちをした人々でも憎もうとは思わない。憎しみは何も産まないからだ。私はあの獄中生活の中で学んだ。人はわずかなものしか持っていなくても幸せになれることを。」
【農民としての生活と思想の深化】
投獄後、政治家になる前は小さな農園で自給自足に近い暮らしをしていた。
この体験から、彼は「本当に豊かな生き方とは何か?」を深く考え、物質的な豊かさより「質素さ・連帯・自由」を重んじる哲学に至る。
【生活実感と哲学の融合】
→ 「消費社会」や「グローバリズム」を内在的に批判し、持続可能性と人間の幸福を政治の軸に据えるようになる。
その後、政治家として活躍し、
【2010年からウルグアイ大統領に就任】
「大統領就任後の実践」
2010~2015年の大統領在任中も、質素な暮らしを続け、給料の大半を寄付。公用車を使わず、愛車のビートルを運転。
イデオロギーよりも、国民の暮らしに直結する実利的・倫理的な政策を重視(教育、農業、貧困削減、同性婚合法化など)。
【「国民を最優先する」政治理念の完成】
→ 左右の枠を超えた実用的政治と、「言葉と行動の一致」が国民の信頼を集めた。
格差の解消に努め、大麻の合法化や中絶、同性婚の合法化など、先進的な政策を打ち出した。
ムヒカ氏が世界的に知られる理由は、その質素な生活にありました。大統領官邸に住んで42人の職員を雇うぐらいなら、学校のために経費を使いたいので大統領官邸には住まないと、首都郊外の質素な住居で暮らしていました。大統領在任中も収入の9割を貧困層に寄付し、生活費は毎月1千ドル(約15万円)程度だったため、マスメディアは彼を「世界で一番貧しい大統領」と呼びました。ムヒカ氏の個人資産は、愛車の水色のフォルクスワーゲンビートルとトラクター、そして農地のみ。
「大統領は、多数派が選んでくれたんだから、多数派と同じ生活をしなきゃいけない。」
「我々はあの世に何も持っていけない。後世に教育を残すのです。」
ムヒカの思想変化は、
「暴力革命」→「政治参加」→「生活哲学の深化」→「倫理的な民主政治」という流れを経ています。
これは単なる「思想の転向」ではなく、実体験と苦悩に裏打ちされた人間的・倫理的成長の結果、「理想を現実に活かす方法を変えた」ものでした。
<名言(ムヒカ語録)>
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲望があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」
「多くのものを必要とする者が貧しいのだ。多くを求めれば人生の時間はいくらあっても足りなくなる」
「現代の超消費主義のおかげで、私たちは最も肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を、人類の幸福とはほとんど関係がないことに無駄使いしているのです。」
「人は物を買う時は、お金で買っていないのです。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ。」
「人間は命のあるものからしか幸せにしてくれないものなんだ、モノからでは幸せにしてくれない。」
「もので溢れることが自由なのではなく、時間で溢れることこそが自由なのです。」
「美しく生きるために戦ってください。人生の中で立ち止まって鏡をみる瞬間があるでしょう。市場に振り回され、物を買うことに追われると、自由が失われていくのです。」
「若い皆さん、皆さんには2つの選択肢があります。ひとつはただ生まれたから生きるということ。もうひとつは、私達自身の人生を操縦することです。」
「人間と他の生きものの生き方の違いは、あなた自身がある程度人生の方向性を決められるところです。自分自身で己の道を築くことができるのです。生まれたまま生きる植物ではないのです。」
「エゴにブレーキをかけてください。自分自身に向き合ってください。人は1人では生きていけない。生まれてきた奇跡に感謝して、人生を愛し、家族そして子どもを愛して向き合う自由を大切にしてください。愛のために生きてください。」
「世界を変えるのは難しい。でも、何かを残すことはできる。人生で最も重要なことは勝つ事ではありません。歩み続けることです。つまづいて何度転んでも立ち上がり、また歩み始めること。自分の道を歩むことを恐れず、強い心を持ってください。希望のある人生を!!」
「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。」
「命ほど価値のあるものはありません。どうか幸せのために戦って下さい!幸せとは人生を意味のあるものにし、人生の方向を定めること、奪われてはいけません。そのためのレシピなどないのです。この世に奇跡的に生まれたという素晴らしい機会を活用すれば、幸せはあなたの心の中にあるでしょう。」
「人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。」
「限りある人生を生きて、人生を愛し、どんな境遇であろうと人生のために戦い、それを伝えようとする美しさです。人生は受けとるがままではなく、何より持っているものを与えるものだからです。どんな悲惨な状態でも、常に他人に与えられるものはあるのです。」
「不躾ですが、鏡でご自身を見つめ、現実と関わることです。それは若くても、年寄りでも中年でも出来ることです。世の中を男女で分ける必要はないし、黄色や黒といった肌の色で分けるべきでもありません。むしろ二つの部門に分けるべきなのです。関わり合う人と、関わり合わない人に。関わり合うということは、お互いに理想を抱くことです。」
<2012年のムヒカ大統領 リオ+20スピーチ(要約 & 抜粋)>
『人間は、幸福になるために地球上に生まれてきたはずなのに、私たちは「成長」や「消費」の奴隷になっている。』
『現代文明は「浪費型」であり、持続可能ではない。』
『私たちは消費社会を築きました。でも、消費が経済成長を促すために必要ならば、果たしてその社会は永続できるのでしょうか?』
『貧困と闘うというのなら、まず我々のライフスタイルや価値観から変えなければなりません。開発とは、ただの市場や消費ではなく、人間の幸福と調和していなければなりません。』
・・スピーチの核心的なメッセージ・・
『幸福は「もっと多く持つこと」ではなく、「少なくても満足すること」にある。』
『経済や市場は、私たち人間に仕えるためにあるべきであって、その逆ではない。』
『環境問題も社会問題も、突き詰めれば「私たちの生き方」の問題である。』
『私たちは「成長」を追い求めることが絶対的な善であるかのように信じ込まされています。しかしその成長とは、限りある地球資源をいかに早く消費できるかという競争ではないでしょうか?』
『私たちは消費するために生まれてきたのではなく、幸せになるために生まれてきたのです。』
『市場経済が私たちの社会の中心に置かれ、気がつけばそれが「市場社会」と化しています。この社会では、あらゆるものが商業化され、人間の命さえもコストや効率で測られるようになってきています。』
『経済は、人間の幸福のためにあるべきであり、その逆ではないのです。』
『私たちはこの地球上で、ただ生きているのではありません。愛するために生き、子どもを育て、友と語り合い、自由を楽しみ、人生を味わうために生きているのです。』
『経済や技術はそれらを助ける道具であるべきであって、人間が道具に使われるようになってはならないのです。』
『私たちは、自然と共生することを学ばなければなりません。』
『人類は、自然の一部であり、自然に従って生きるべき存在です。自然なしには、私たちは存在できないのです。しかし今、私たちはまるで自然を敵のように扱い、利用し尽くす対象としてしか見ていません。』
『私たちの文明は、大量生産・大量消費を前提としたライフスタイルを構築してしまいました。しかしそれは、人間の本当の幸福や生きがいとはかけ離れてしまってはいないでしょうか?』
『真の自由とは、欲望をコントロールすること。もっとたくさん得ることではない。少なくても満足することができれば、人生はより豊かになる。』
『私は豊かさとは、「物を持つこと」ではなく、「時間を持つこと」だと考えています。たとえ高価な車や家を手に入れても、それを維持するために人生の時間をすべて捧げなければならないとしたら、それは本当に「豊か」なのでしょうか?』
『自由とは、自分の時間を持つこと。人生を生きることだ。』
『私たち政治家の役目は、人々をより幸福に導くための仕組みやルールを整えることであって、企業の利益のために働くことではありません。』
『進歩と開発を否定しているわけではありません。科学や技術の進歩は素晴らしいものです。しかし、それらが人間のために使われなければ、意味がないのです。』
『人類は、文明を再設計しなければならない時に来ている。』
『私たちは、物質的な富ではなく、精神的な豊かさと自然との調和の中で、持続可能な社会を築かなければなりません。』
『私たちは、次の世代によりよい地球を引き継ぐ責任があります。』
それこそが、政治であり、人間としての務めなのです。
2016年4月5日、ホセ・ムヒカ氏(ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ氏/Jose Alberto Mujica Cordano)が初来日、
<東京外国語大学の講演 2016年4月7日>
(「生きる」とは、奇跡であり、死に向かって歩むことでもある)
今、いろんな価値観がありますけれども、もっとも重要な価値観は「生きている」ということ。なぜなら、生きていること自体が奇跡だからです。
なぜ奇跡なのか? 無限の奇跡とも言えると思いますけれども、なぜならば、今これから生まれるであろうチャンスがいっぱいあるからです。そしてまた、宇宙全体を考えたときに、いろんなかたちでのチャンスがあるからです。そういうチャンスを与えられてること自体が奇跡だと私は思うのです。
さまざまな人間は意識があります。記憶も人間にはあります。情動も感情もあります。思考もあります。文化を創り上げることもできます。文明を創ることもできます。そして、理性的に考えることもできます。抽象的に考えることもできます。そして、それでも、私たちは文明の一部にすぎないのです。
自然は、私たちに対して特権を与えてくれました。おそらく「私たち自身のことを考えろ」という意味で、私たちにこういった特権を与えてくれたのだと思います。
(人間は自分自身の人生の道を築くことができる)
人間の人生は他の生き物の一生とは違うものがあります。というのは、ある程度まで、私たちは何かを創ることができる。すなわち、自分自身の人生の道を築くことができるからであります。なぜなら、私たちには意識があるからであります。
そのほかの動物はどうでしょうか? このような可能性をほかの動物は持っていません。いずれにしても、私たちは存在の方向性というものを作ることができるのです。
2つの選択肢があるのです。1つは、「生まれたから生きる」ということです。いずれのほかの生き物すべてと同じように、であります。また、もう1つの選択肢というのは「そこから出発して、私たち自身の人生というものを方向づける」。
そしてまた、それを自分自身で操縦していくということであります。すなわち、この奇跡のような生をうけたということの大義のために生きるのであります。
しかし、そのことは私たち自身の意思にかかっていることなのです。私たちがいかにコミットするかということに関わっているのです。すなわち、内部でどのような決断をするかということであります。
私たちはこれだけ多くのものを受け取ったのです。それであれば、私たちは、何かを今後の世代の人たちに残すことができるよう、貢献することができるのではないでしょうか?
だからこそ、私たちは「これからやってくる世界が、私たちが今生きている世界よりもよりよいものにしよう」という意思を持とうではありませんか。
(地上にあるもっとも重要なものは“愛”)
みなさんの人生の時間、例えば、若い時には愛のために多くの時間が必要でしょう。この愛というのは地上にあるもっとも重要なものなのです。人生の動力となるものです。もしもパートナーがいるのであれば、もし子供がいるのであれば、時間が必要です。子供に向き合う、子供と一緒になる時間が必要です。
もちろん物質的な必要性というものもあります。でも、もっと重要なのは、時間を持って、親愛を示す時間が必要なのです。モノというのは、親愛、愛というものをくれません。そうではなくて、「生きる」ということが愛をくれるのです。そのために時間が必要です。
しかしながら、この人間というのは欲のたくさんある動物であります。アリストテレスが言ったように、人間というのは政治的な動物です。なぜならば、他のものが必要だからです。例えば、1人で生きること、孤独で生きることはできないのです。あなたの存在というものは、そのほかのもの、社会の他者があるからこそ可能であり、また、確実なものとなるのです。
ここで貧しい人、かわいそうな人というのはコミュニティがない人であります。すなわち同伴してくれる、一緒に生きてくれる、その人のグループであります。なぜならば、一番大きな貧困というのは孤独だからです。貧困というのはモノの問題ではありません。それはこの人生というものを共有するということが重要なのです。
(人生のすべてを市場に委ねてはいけない)
私たちの人生のすべてを市場にまかせてはいけません。私たちの人生、そして人生の冒険のすべてを市場の手に委ねてはいけません。
私たちは文明を築き上げました。そして、文明の発展の速度が、創造の速度がどんどん加速度的に早くなっています。そして、本来ならば、その速度にリミット、制限をつけなければいけないけれども、現在はそれを統治する術もなく、その市場の力が、まるで自立的な生き物のように、まるで動物のように1人で加速度的に進んでいます。
ある物語で、地球をひっくり返す魔術の棒を見つけた。でも、ひっくり返したはいいけれども、ひっくり返したあとにそれをもとに戻す術を知らなかったという話がありました。今、そのような状況が起こっています。
(私たちは環境破壊を止める術を知らない)
私たちがこれから先、何が起こるのかわからない、という状況もあります。私たちは自分たちの人生を統治できるように、支配できるようにしなければいけないはずですけれども。でも、私たちは市場の力を現在統治できないくらいになっています。
世界中で1分間に200万ドルが軍事予算に使われています。しかし、これが最悪なのではありません。最悪なのは、こういった方向性を止めることができないことです。これはすべて何を意味してるんでしょうか? こういった例を数限りなくあげることができます。
でも、すべてに関して私たちはブレーキをかけられない。その結果、世界中の85人から100人のお金持ちが、300人の人の富と同じくらいの富を占めるようになってしまった。例えば、いっぱいお金を持っている人、あるいは富裕者から、何か学ぶことができるのでしょうか?
(私は貧しいわけではなく、質素が好きなだけ)
みんな、私のことを貧しいと言いますが、私は貧しいわけではありません。私は質素なだけです。以前は「慎ましい」(austerity)と言ってましたけれども、それはもう好きではありません。
「austerity」はヨーロッパの緊縮政策と結び付けられるので、今は好きではありません。私は単に質素が好きなだけです。私にとって重要なモノさえあれば、十分なのです。
質素であるほうが、私が本当にしたいことができる時間があるからです。私にとって大切なのは、例えば社会運動もそうですけど、ほかの人にとっては絵を描くことが大切かもしれません。
そういう時間を過ごすことが自由であるということです。本来の自由というのは、自分がしたいことをできるというのが自由です。
ほかの人に強制することなく、ほかの人の考え方を阻害することなく、それぞれの人の考えを尊重したなかで、自分がやりたいようにできること、ほかの人がやりたいようにできること。それが自由です。
そのために必ずしもモノが必要なわけではありません。ですから、本当に本当に必要なモノがあれば十分なわけです。
市場に操られてどんどん必要なモノが増えてしまうと、それは決してあなたは自由ではなくなります。なぜならば、あなたの大切な時間が、その市場によって失われてしまうからです。そして、あなたが欲しいモノを買うためにあなたの自由な時間が失われてしまうのです。
みなさま方自身が自分にとって何が一番大切なのか、何が一番いいのかを考えてほしいのです。
(誰でも抱える矛盾をいかに抑えていくか)
私たちは2つの矛盾する力によって作られています。すべての生命は誰でもエゴイズムを持っています。例えば、自分を守るため、あるいは自分が大切に思う人を守るために、エゴイズムというものがあります。エゴイズムというのは、自然が私たちに与えてくれた、ある意味では自然のものでもあります。
ただ、また同時に、もっと違った素晴らしい遺産を持っています。それは文明であったり、文化であったり、知識であったり。それは前の世代が築き上げたものであります。前の世代が築き上げた文明です。そして、世代間の団結、あるいは連帯です。
だからこそ私たちは、そういった大切な感情を中に秘めています。そういった感情を教育によってさらに精度を高めることができます。そして、正しく生きることによって、そういった感情を高めることができます。
それを高めることによって、自分で自分のエゴにブレーキをかけることができるわけです。そして、重要な教訓を学ぶこともできるのです。
一番大切なのは、ともに助け合うこと。そして連帯、協力です。それは男性、女性含めてすべての人間の協力であって。それが創造力になり、モノを創る力になります。そして、チームワークで働くからこそ、私たちの人生をよりいいものにすることができるのです。そういった意味で他者の存在というのは非常に大切です。
こういった、私たちが誰でも抱える矛盾をいかに抑えていくか、支配していくか。
(人生でもっとも重要なことは「歩き続けること」)
もっとも重要なことは勝利することではありません。人生でもっとも重要なことは「歩く」ということです。歩き続けることです。
すなわち転ぶたびに起き上がる。それから、また新たに何かを始める勇気を持つ。何かに打ち負かされたときに、また立ち上がる、ということです。
すべての分野で重要なことは愛です。愛というものを私たちは生きるべきです。例えば、仕事があります。そしてまた何かが起こって、そしたまた、例えば収監される。そしてまた、牢獄に入れられる。
しかしながら、またそこから開放される。そしてまた、生き始める。そして、息をすることができる。いずれにしても、あなたの体が動くうちは、毎朝体が動く、そして生きているという、この奇跡というものを歌い上げるわけです。
人間より強い動物というのはいません。非常に素晴らしいものです。しかしながら、それで自分自身を満足してはいけません。学ばなければなりません。そして、つねに心を持って行動しなければなりません。
すると、大きな教訓を得ることができます。完全に勝利を収めることは絶対にありえないのです。つねに何か欠けているものが出るでしょう。しかしながら、絶対に完全に敗北するということはありません。
実際にどういうことで勝利を得ることができるのかといえば、それは、意思を持って生きるということです。それは例えば、この人生の最終地点に、何らかのゴールとしてのアーチがあって、そこに到達するということではありません。
そうではなくて、自分自身が意思を持って生きるということです。そしてまた、生きる力によって立ち上がるのです。
(人生を1人で歩まないでください)
私たちはこの「生きる」という奇跡を得ています。みなさん、どうぞよく生きてください。そしてまた、毎晩あなたのベッドに入ったときに、例えば5分間使って、その日1日のことについて考えてください。
なぜならば、それぞれ自分自身の中に、それを評価する、審判する者がいるからです。ですから、自分自身に聞いてください。良かったのか、悪かったのか。そしてまた、それをもとに、より良い明日を築くようにしてください。
それから、ぜひ家族を持ってください。家族というものは、単純に血のつながった家族ということではありません。そうではなくて「考え方の家族」という意味です。同じように考える人です。人生を1人で歩まないでください。
ですから、なんらかの情愛、それを1つも持たないと、1人で歩かなければならないことになるでしょう、非常に重い孤独の中で。
もしほかの人に対して非常に大きな要求をするとなればどうなるのか。人間というのは完璧なものではないので、友人を得ることができなくなるでしょう。そして、1人で歩かなければならなくなるでしょう。
ですから、例えば社会というものを得る場合には、寛容性が必要であるとも言えます。なぜなら、人間というのは完璧ではないからです。だから、寛容性が必要なのです。
(金融が肥大化しても生産は大きくならない)
現状、私たちの身の上にはさまざまな問題があります。非常にグローバル化した世界に私たちは生きています。私にとっては、2つの基本的な問題が感じられます。
まず1つは、金融資本が爆発的に大きくなっているということです。それが「通貨をもとにした生活」を大きく変えているのです。
これはまさに、お金が重要になっている。そして、お金を得るために、人生のなかで大忙しで、あっちに行ったり、こっちに行ったりとしているわけです。
この金融の資金が非常に多くある場合、しかしながらそれは、例えば生産を大きくするものではない、ということもあるわけです。経済はこの金融を中心に成り立っている。それによって公共をなくし、みんなが忙しく動き回るようになった。
そして現在、非常に大きな困難が世間の中にあります。非常に莫大な量のお金があります。これはさまざまなかたちで、投機的に使われています。大量のお金です。すなわち、それらは単純に生産に向かっているわけではありません。
またもう1つ、ほかにも深刻な、重大な問題があります。私たちの文明のガバナビリティー(統率力)というものがない、ということです。
(自分自身を鏡で見るとき、そこに映るものは自分のエゴイズム)
自分自身を鏡で見るとき、そこに映るものは自分のエゴイズムにすぎないのです。その時にあなたは自分自身に対して失望するでしょう。
単純に世界を変えるために、勝つために戦うのではないのです。そうではなく、自分自身の心のなかにあるもののために考えるのです。戦うのです。私たちは感じることができます。
生まれたから生きる。それは馬かもしれないし、犬かもしれないし、そういうものと同じものになってしまいます。あるいは自動的な機械のように生きるのと同じことかもしれません。
でも、私たちには頭があります。心があるのです。ある程度までではありますけども、私たちは自分自身の人生を方向づけることを自分ですることができるのです。
ですから、何かあなた自身を幸せにするものを探してください。他の人を幸せにすることを考えてください。
それは世界を変えるということではなくて、自分自身を変えるということになるのです。例えば、私は世界を変えたかった。でも、現在、私は家の中の掃除をしている。ということがあるかもしれない。世界を変革するのは、かなり複雑で難しいものなのです。
でも、長期的には何かが残るでしょう。大きな闘争、大きな敗北のあとで。そして、その闘争のあとで、世界は違うものになっているでしょう。前とはまったく同じ、ということはないでしょう。
(テレビは利害関係を映し出すもの)
全般的なかたちで唯一私がこれについて申し上げられることは、当然ながら、私たちは市場社会に住んでいます。文明とその周りには、市場の機能があります。テレビがそれらの全体的なものを示しているとも思いません。
しかしながら、「このクリームを使えばシワがなくなる」とか言って、いろいろなコマーシャル、いろいろなプロモーションをするわけです。「こういうものを買いなさい」というようなことがたくさん言われます。
なぜならば、当然、企業というのは予算を組んで、その製品を売るためのいろいろなキャンペーンしなければならないからです。でも、世界の中においては客観性があります。すなわち、客観性ある名誉ということです。
だけど、中立なんてありえないんです。誰も中立であることはありえません。なぜなら私たちは物事を見るときに、自分が考えることに基づいて、いろいろなものを見るからです。ですから、利害と社会階級があるのです。
そして、情報は人間によって作られるものです。ある意味でテレビはそういった利害関係を映し出すものかもしれません。情報は、そういった人たちによって作り上げられているからです。それは現実かもしれません。
ですから、しっかり学ぶ必要があります。自分自身の考え方を、いろんな情報源を当たりながら、自分の考えを構築する必要があります。必ず疑いの目を持って、裏を取る必要があると思います。
私たちはマスコミが大きな比重を占める社会に生きています。テレビのない社会はありません。例えば、テレビに出てこないものは、まるで存在しないかのようです。見かけ上は。
しかし、テレビは世論形成に重要です。今、私は学生、大学生に向けて話しています。一般の市民、一般の市井の人々というのはわりと無邪気で、何か言われたことを鵜呑みにして信じてしまいます。
でも、みなさま方はもっと高い教養を持っている人だとすれば、さらに深い洞察をする義務があります。もっと深く考えること。ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。そういったことをみなさま方がしなければいけません。それが闘争の一部でもあると思います。
私たちは理性で考えなければいけません。しっかり物事を見なければいけません。それに基づいて、現在、社会に何が起きているのかを、深い洞察をすることによって分析し、それをほかの見えない人に伝えなければいけないと思います。
ですから、よく考えてください。そして、口を閉じないでください。ちゃんと伝える手段を、みなさんは持っているんですから。私は好きじゃないですけど、みなさんが毎日毎日使っている、こういう使える道具(注:スマートフォン)があるんですから。
もちろんバカげたことに使うこともできるでしょう。でも、非常にすばらしい高貴な大義のために、この道具を使うこともできるでしょう。
関連リンク:
「幸せであるということは、生きていることに心から満足していることです。毎日太陽が昇るのに感謝する、幸せとは人生を愛し憎まないこと。」 ホセ ムヒカ氏 2016.4.7東京外国語大学のスピーチより
心のエネルギー循環 2・・・感性を磨く17
<まとめ>
ホセ・ムヒカ元大統領(José Mujica)は、ウルグアイの第40代大統領(2010年〜2015年)、彼の生き方や価値観、政治的姿勢は、現代のグローバリズム社会と大きく対照をなすものでした。
(ムヒカ元大統領の考え方)
1. 質素な生活
物質主義に反対し、「幸福は物にあるのではない」と繰り返し述べていた。
2. 人生観・哲学
自由と人間の尊厳を何よりも重視。
「自由とは、自分の時間を持つこと」と考え、労働や消費に縛られない生き方を提唱。
(政策)
1. マリファナ合法化
犯罪組織の資金源を断ち、国が管理することで安全性と透明性を確保。
2. 同性婚の合法化
すべての人の愛と権利を尊重する姿勢を示した。
3. 中絶の合法化
公衆衛生と女性の権利を重視し、安全な環境での中絶を保障。
4. 貧困削減
社会福祉を拡充し、貧困率を大幅に減少させた。
<ムヒカ氏とグローバリストの相違>
項目 | ムヒカの姿勢 | グローバリズム社会の傾向 |
経済観 | ローカル重視、共有経済 | 消費拡大、経済成長至上主義 |
幸福観 | 質素・時間の自由 | 物質的豊かさ |
政治姿勢 | 国民目線、自己犠牲 | 利益誘導、エリート主導 |
環境観 | 自然と共生、簡素な生活 | 開発優先、資源消費型 |