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2026-01-21 01:06:00

真実を観る眼力 98 人生の選択⑨ 意識のクオリティーと滲み出る行為の差とは

間とは静止した中心に在ること、

静止した中心とは、

意識の軸であり、

それを肉体で体現したものが身体の軸(体幹)。

その中心から自然に発する行為が間のある行為で、

間のある行為は、秩序・コヒーレンスが整っている。

 

なのですが、静止した中心に在る意識の軸は、人により意識の質が異なるため、間(中心)から滲み出る行為自体にも人それぞれクオリティの違い(差)があると思われます。

 

例えば、意識のクオリティの差として、

Aさんは、利己的、欲望、執着が主たる意識で、意識が定まらない、

Bさんは、利他的、欲望や執着を手放す努力、ヤマ・ニヤマを意識に置いて、良心に沿う生き方を実践する、

このような根本的な意識のクオリティーの違いがあっても、Aさんが間にとどまり体現を続けていけば秩序・コヒーレンスが整うので、滲みでる行為は、Aさん、Bさん共に、クオリティの差はないのでしょうか?

間にとどまりながら体現を続けていれば、AさんもBさんも滲み出る行為は秩序・コヒーレンスが整うので、その行為の違いはなくなる(クオリティーの差がない)、とするなら、意識自体のクオリティを上げる努力の必要性はあるのか?という疑問が生じます。

 

1. 意識のクオリティ(波動)とは何か

「意識の波動の高・低」とは、能力や知識量ではありません。

意識のクオリティ(波動)の違いとは

  • 透明度
  • 歪みの少なさ
  • 自己中心的なフィルターの薄さ
  • 恐れ・欲・防衛反応の混入度

つまり、

波動が低い人とは、

中心に在っても、

その中心自体(意識そのもの)が「濁っている・揺れている」

 

波動が高い人とは、

中心(意識)が澄み、静かで、広がりをもつ

という違いです。

 

2. 両者とも「間」には在れるのか?

両者とも「間」には在れます。

なぜなら

間は能力ではなく、位置(戻る場)だからです。

・誰でも
・どんな状態でも
・一瞬なら必ず戻れる

それが「間」です。

 

3.どこに差が出るのか?

差が出るのは、行為の「質」=「滲み出る行為のクオリティー」「影響範囲」です。

① 意識のクオリティが低い場合

行為は一応、中心から出ている

しかし…

 ✔ 微細な恐れ

 ✔ 自己防衛評価への執着

 ✔ 無意識の緊張

滲みとして行為に混入します。

 

結果として:

行為は整って見えるが、

周囲には「微細な違和感」や「閉じた感じ」を残す。

 

② 意識のクオリティが高い場合

  • 中心が澄んでいる
  • 行為に「余白」と「抜け」がある
  • 自分を通して場が整う

 

結果として:

行為は静か

しかし影響が深く、広い

周囲の人の呼吸や判断まで自然に整う

 

③ 比喩で言うと

同じ「中心」からの行為でも…

濁った水の泉
→ 水は湧くが、遠くまで澄んでは届かない

澄んだ山の湧水
→ 音もなく、長く、広く潤す

泉の位置は同じでも、水質が違うのです。

 

④ 意識のクオリティーの「高い・低い」は優劣なのか?

👉 NO 優劣ではありません。

なぜなら:
✔ 意識のクオリティは固定ではない
✔ 間に在り続けるほど自然に澄む
✔ 無理に上げるものではない

むしろ、

間に正直である時間の総量が、意識の透明度を育てる
という関係です。

 

⑤ 差が生じる結論

「間」とは動かない中心であり、行為はそこから選ばれるのではなく、滲み出るものです。

なので「間そのもの」ではなく、「そこから滲み出る質」に差が生じると言えます。

 

以上を理解の上、

 

✅ 意識自体のクオリティを上げる努力の必要性について

🔶 先に結論と要点

✔ 間にとどまり体現を続ければ、行為の粗さは確実に減る

しかし
✔ 意識のクオリティ(透明度・深度)そのものは、意識の在り方の選択によって差が出続ける

よって
✔「間の体現」だけでも整うが、「生き方の質」を伴うことで深まりが起こる

 

🔷「静止した意識の軸そのもののクオリティを上げる努力は必要」である理由
① 間にとどまれば滲み出る行為の差はなくなるか?

👉 No なくならない。

理由は明確。

(間の性質)

  • 間=反応以前の静止点
  • 誰にとっても等しい
  • 評価・善悪を含まない

しかし

「間に戻る頻度・深さ・滞在時間」

そして

「間から出た後、どんな選択を許しているか」

これが意識のクオリティを決めます。


② 利己的な意識の人が「間」を体現し続けた場合

こうなる:

 ✔ 反応は減る

 ✔ 行為は荒くなくなる

 ✔ 衝動的破壊は起きにくくなる

しかし、

  • 利益・優位・自己保存を最終基準にする癖
  • 欲望や執着を「手放さずに抑える」状態

が残るため、

👉 行為は整うが、透明にはならない=意識は濁ったまま

という段階に留まります。

これは「制御された自己中心性」です。

 

③ 利他・良心・ヤマ・ニヤマを指針にしている人の場合

この場合、間の体現が別の働きをします。

間に戻るたびに

  • 不純物(恐れ・執着・自己正当化)が自然に浮かび
  • 手放されやすくなる

なぜなら、


「何を大切にして生きるか」

間から出た後の選択基準として働くから

 

結果として、

👉 中心そのものが澄んでいく=意識が清明

 

関連リンク:真実を観る「眼力」44 利他と利己3 ヤマ・ニヤマと良心

https://asa2000-cure.com/diary/171133

 

④ なぜ「生き方」が意識の軸の質を変えるのか

💡ここが重要

  • 意識の軸は「固定点」ではない
  • 静止しているが同時に「蓄積」する

 

何が蓄積されるか?

✔ 日々許した思考

✔ 日々選んだ動機

✔ 日々正当化した欲望

これらが軸の透明度を左右します。

 

⑤ ヤマ・ニヤマの本質的役割

ヤマ・ニヤマは道徳規範ではありません。

それは、

間に戻ったとき、

中心が濁らないための生活上のフィルター
です。

  • 嘘をつかない
  • 奪わない
  • 過剰に求めない
  • 誠実であろうと努力する(裏表がない)

これらはすべて、

👉 中心に戻ったとき、余計な波が立たないため

 

⑥ 意識の軸のクオリティーを上げる「努力」は必要か?

誤解しやすい点:

❌ 力んでクオリティを上げようとする努力

✔ 理想像を作る

✔ 自己否定を伴う

✔ 比較が生じる

これは逆効果です。

 

⭕ 正しい意味での努力

  • 日常で「何を通すか」を選ぶ
  • 動機に気づいたら戻る
  • 正しさより「澄み」を優先する

 

意識の軸

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総まとめ

間にとどまりながら体現を続けていれば、滲み出る行為のクオリティ差はなくなるのか?

表面的な差は縮まるが、

深度と影響力の差は残る。

 

静止した意識の軸のクオリティを上げる努力は大切か?

👉 Yes 

ただし「上げる」のではなく、

「濁らせない生き方を選び続ける」事が本質= 「清明な意識で在るための選択」

 

間は平等だが、

その間に戻る人間の「在り方」は平等ではない。

そして、

「在り方」とは、

日々どんな動機を許したかによって静かに形づくられる。