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真実を観る眼力 208 なぜ、私たちは物事を偏って見てしまうのか? ― 認知バイアスを知り、認識の精度を高める ―
私たちは、目の前で起きている出来事を見て、情報を集め、考え、判断し、行動しています。
自分では事実をもとに冷静に判断しているつもりでも、実際には、過去の経験や知識、感情、期待、先入観などが、物事の見方に影響を与えています。
例えば、同じニュースを見ても、ある人は「やはり自分の考えは正しかった」と感じ、別の人は「この報道には偏りがある」と感じることがあります。
同じ情報に触れているのに、なぜ受け止め方が違うのでしょうか。
その背景には、情報そのものの違いだけでなく、情報を受け取る人の認識の働きがあります。
前回の「asa health information 10月⑥」では、情報の伝え方や受け取り方、同調圧力などを通して、私たちが何を信じ、どのように判断するのかを考えました。
今回は、その続編として、心理学で研究されている「認知バイアス」を取り上げます。
認知バイアスとは、情報を理解し、判断するときに生じる、一定の偏りや傾向のことです。
認知バイアスは、特別な人だけに起こるものではありません。誰にでも生じうる、心の働きの一部です。
大切なのは、偏りを完全になくすことではなく、自分の見方にも偏りが生じる可能性を知り、それに気づき、必要に応じて判断を見直すことです。
「真実を観る眼力」を高めるために、まずは私たち自身の認識の仕組みから見つめていきます。
第一章 認知バイアスとは何か?
私たちの脳は、日々、膨大な情報を受け取っています。
目や耳から入る外部の情報だけでなく、身体の状態や過去の記憶、現在の感情なども、物事を理解する手がかりになります。
しかし、すべての情報を一つひとつ詳しく検討していては、日常生活の判断に膨大な時間がかかってしまいます。
そのため、人間は、経験や知識を利用して、素早く状況を理解し、判断しようとします。
このような働きは、日常生活を効率よく送るうえで役立ちます。
一方で、限られた情報から全体を判断したり、過去の経験を現在の状況に当てはめたりすることで、判断が偏ることもあります。
これが、認知バイアスが生じる背景の一つです。
例えば、以前に親切にしてくれた人に対しては、その後も好意的な印象を持ちやすいかもしれません。反対に、一度嫌な思いをした相手に対しては、その人の行動を否定的に受け取りやすくなることがあります。
もちろん、過去の経験が判断に役立つこともあります。しかし、過去に一度起きたことが、いつも同じように起きるとは限りません。
経験を判断の手がかりにすることと、経験だけで結論を決めてしまうことは違います。
認知バイアスを理解することは、自分の経験や知識を否定することではありません。それらを活用しながらも、今、目の前で起きている事実を丁寧に確かめるための視点なのです。
第二章 私たちの判断を偏らせる、四つの認知バイアス
認知バイアスにはさまざまな種類があります。ここでは、日常生活やニュース、SNSなどで気づきやすい四つの例を見ていきます。
1.確証バイアス ― 自分の考えに合う情報を集めてしまう
確証バイアスとは、自分がすでに持っている考えや信念を支持する情報に注目し、反対の情報を軽く扱ったり、見落としたりしやすくなる傾向です。
例えば、ある商品を良いものだと思っていると、その商品を高く評価する口コミには目が向きやすくなります。一方で、欠点を指摘する口コミは「たまたま合わなかっただけだろう」と考え、十分に検討しないことがあるかもしれません。
このような傾向は、健康情報や社会問題について考えるときにも生じます。
自分が支持する意見を見つけると、安心したり、自分の判断に自信を持ったりします。しかし、その情報が正しいかどうかは、自分の考えに合っているかどうかだけでは決まりません。
さらに、自分の考えに合う情報ばかりを集めていると、同じ意見が何度も目に入り、あたかも多くの根拠によって裏づけられているように感じることもあります。
そこで、意識してみたいのが、次の問いです。
「もし自分の考えが間違っているとしたら、どのような情報が見つかるだろうか?」
この問いは、自分の意見を無理に否定するためのものではありません。見落としている情報がないかを確かめ、判断の精度を高めるためのものです。
2.利用可能性ヒューリスティック ― 思い浮かびやすい情報を重視してしまう
利用可能性ヒューリスティックとは、記憶から思い浮かべやすい情報を手がかりに、物事の頻度や起こりやすさを判断する傾向です。
例えば、ニュースで事故の映像を何度も見たあとには、実際の発生頻度以上に、その事故が身近で頻繁に起きているように感じることがあります。
強い恐怖や驚きを伴う出来事は、記憶に残りやすいものです。そのため、印象的な事例が、全体の傾向を判断する際に大きな影響を与えることがあります。
SNSでも、衝撃的な体験談や極端な事例が繰り返し表示されると、それが一般的な状況であるかのように感じられることがあります。
しかし、目立つ事例が多く紹介されていることと、その事例が実際に多く発生していることは同じではありません。
判断するときには、印象に残った情報だけでなく、全体の統計や調査結果も確認する必要があります。
「よく見かけるから多いのだろう」と考える前に、
「実際には、どの程度の頻度で起きているのだろうか?」と問い直してみましょう。
3.アンカリング ― 最初に得た情報に引きずられてしまう
アンカリングとは、最初に得た情報や数値が、その後の判断の基準になりやすい傾向です。
例えば、ある商品の価格を最初に高い金額で提示されると、その後に値下げされた価格が、実際以上にお得に感じられることがあります。
また、人についても、最初に「仕事ができる人」「気難しい人」といった印象を持つと、その後の行動を、その印象に沿って解釈しやすくなることがあります。
最初に得た情報は、必ずしも間違っているわけではありません。しかし、それだけを基準にしてしまうと、後から得られた情報を十分に評価できなくなる可能性があります。
この偏りを避けるには、最初の情報だけで判断せず、別の資料や視点と比較してみることが役立ちます。
「最初に聞いた話を知らなかったとしても、私は同じ判断をするだろうか?」
そう考えることで、最初の印象に引きずられていないかを確認できます。
4.同調バイアス ― 周囲の意見に合わせてしまう
人間は、他者とのつながりを大切にする社会的な存在です。
周囲の人の意見や行動を参考にすることは、社会生活を送るうえで自然な働きです。自分だけでは判断できないとき、多くの人の経験や専門的な意見が、重要な手がかりになることもあります。
しかし、周囲の人に合わせたい気持ちが強くなると、自分の疑問を十分に検討しないまま、集団の意見に従ってしまうことがあります。
例えば、会議で全員が賛成しているように見えると、本当は疑問があっても、反対意見を言いにくくなることがあります。
また、SNSで多くの人が支持している意見を見ると、それが正しいのだと感じやすくなることもあります。
ここで大切なのは、多数派の意見を無条件に否定することではありません。
多くの人が支持しているという事実と、その意見の根拠が確かであるかどうかを、分けて考えることです。
「みんながそう言っているから」ではなく、「どのような根拠があるのだろうか」と考えることが、自分の判断を保つ助けになります。
第三章 感情や身体の状態も、認識に影響する
認知バイアスを考えるときには、情報や思考だけでなく、感情や身体の状態にも目を向ける必要があります。
私たちは、いつも同じ心身の状態で物事を判断しているわけではありません。
疲れているとき、眠れていないとき、不安が強いとき、怒りを感じているときには、普段とは違うものの見方をすることがあります。
例えば、相手からの短い返事を受け取ったとき、心に余裕があれば「忙しいのかもしれない」と考えられるかもしれません。
しかし、疲労がたまり、不安を抱えているときには、「自分は嫌われているのではないか」と否定的に受け取ることもあります。
同じ出来事でも、そのときの感情や身体の状態によって、意味づけが変わることがあるのです。
ただし、感情があるから判断が間違っているというわけではありません。
感情は、自分が何を大切にしているのか、何に不安を感じているのかを知るための手がかりにもなります。
大切なのは、感情を抑え込むことではなく、
感情と事実を区別して考えることです。
例えば、
「私は、相手の言葉に傷ついた」
というのは、自分が実際に感じたことです。
一方で、
「相手は、私を傷つけるつもりで言った」
というのは、相手の意図についての推測です。
自分が傷ついたという感情は大切にしながらも、相手がどのような意図で発言したのかは、別に確かめる必要があります。
このように、感情を認めながらも、その感情から導き出した解釈を見直すことができます。
自分の認識を観察するためには、
頭の中で何を考えているかだけでなく、身体がどのような状態にあるかにも気づく
ことが役立つのです。
第四章 事実と解釈を分けると、見える世界が変わる
私たちが物事を理解するときには、目の前の情報を受け取るだけでなく、その情報に意味を与えています。
例えば、知人に挨拶をしたのに返事がなかったとします。
このとき、確認できる事実は、「挨拶をしたが、返事がなかった」ということです。
そこから、
「無視された」
「嫌われている」
「何か怒っているのかもしれない」
と考えるのは、その出来事に対する解釈です。
もちろん、相手が意図的に無視した可能性もあります。しかし、考え事をしていて気づかなかったのかもしれませんし、声が聞こえなかった可能性もあります。
事実と解釈を分けることは、最初の解釈を間違いだと決めつけることではありません。
複数の可能性を残し、確かめる余地を持つことです。
この違いは、日常の人間関係だけでなく、ニュースや健康情報、社会問題を考えるときにも重要です。
ある出来事が起きたことと、その原因が何であるかは、同じではありません。
ある出来事のあとに別の出来事が起きたとしても、それだけで前者が後者の原因だとは限りません。
原因を判断するには、ほかの要因や、複数のデータ、専門的な検証なども必要になります。
情報を正しく理解するためには、
確認できた事実と、そこから導き出した解釈を分けて考えることが欠かせません。
事実を丁寧に確認し、解釈を一つに固定しないこと。
そこから、認識の精度を高める道が始まります。
『The Mind’s Filter』
「心のフィルター」
ガラス球の中に映る、逆さまの景色。私たちもまた、経験や感情、先入観という「心のフィルター」を通して、物事を見ています。目に映るものだけを真実と思い込まず、別の角度から見つめ直すことが、認識の精度を高める第一歩です。
第五章 認識の精度を高める、五つの実践
認知バイアスは、誰にでも生じる可能性があります。だからこそ、偏りに気づきやすくするための習慣を身につけることが大切です。
ここでは、日常生活で実践できる五つの方法を紹介します。
1.判断する前に、まず観察する
何かが起きたとき、すぐに良い・悪い、正しい・間違いと決めるのではなく、まず何が起きたのかを観察します。
自分が直接確認した事実と、人から聞いた情報、そこから推測したことを分けてみましょう。
最初の印象だけで結論を出さず、事実を確認する時間を持つことが大切です。
2.自分の感情と思い込みに気づく
「なぜ、私はこの情報を信じたいのだろう」
「何に不安を感じているのだろう」
「自分の期待に合うから、受け入れやすいのではないだろうか」
このように、自分の内側に問いかけてみます。
感情や思い込みに気づくことは、それらを否定することではありません。
自分の判断に何が影響しているのかを理解するための手がかりになります。
3.異なる視点や反対の情報も確認する
自分の考えに合う情報だけでなく、異なる意見や、それを支える根拠にも目を向けます。
ただし、すべての意見を同じように正しいと考える必要はありません。情報の発信元、根拠の確かさ、説明の一貫性などを比較し、どの見解がより妥当なのかを検討します。
自分の意見を守るために情報を選ぶのではなく、より確かな理解に近づくために情報を集めることが大切です。
4.複数の可能性を考える
何かを見たり聞いたりしたとき、一つの説明だけで結論を出さず、ほかの可能性も考えてみましょう。
「ほかに、どのような理由が考えられるだろうか」
「自分がまだ知らない事情はないだろうか」
こうした問いによって、最初の解釈に引きずられにくくなります。
複数の可能性を考えることは、判断を先延ばしにすることではありません。
必要な情報を見落とさず、より妥当な判断をするための方法です。
5.新しい情報に応じて、判断を見直す
一度決めたことを変更するのは、簡単ではありません。
自分が時間をかけて考えたことや、長く信じてきたことほど、間違いを認めにくい場合があります。
しかし、新しい根拠が見つかったときに考えを修正することは、弱さではありません。
その時点で得られた情報をもとに判断し、新しい情報が加われば再び検討する。
それは、認識を深めるための自然な過程です。
判断を見直す際には、なぜ考えが変わったのかを振り返ってみましょう。
何を新しく知り、どのような根拠によって判断が変わったのかを整理する
ことで、次の選択にも生かすことができます。
この五つの実践をまとめると、次の流れになります。
観察する → 自分の認識を自覚する → 視野を広げる
→ 根拠を比較して判断する → 選択し、振り返る
この流れは、一度で完結するものではありません。
振り返りによって新しい疑問が生まれたら、再び観察し、情報を集め直すこともできます。
認識の精度を高めるとは、いつも正しい答えを出せるようになることではなく、
間違いや見落としに気づき、より妥当な判断へと近づいていくことなのです。
おわりに 自分の見方を観ることが、真実を観る力につながる
私たちは、自分の目で見て、自分の頭で考えているからこそ、自分の判断は正しいと思いやすいものです。
しかし、私たちの認識は、外から入ってくる情報だけで決まるわけではありません。
過去の経験、知識、感情、期待、身体の状態、そして周囲の人々との関係など、さまざまな要因が影響しています。
認知バイアスを知ることは、そうした自分の認識の特徴を理解するための一つの手がかりになります。
大切なのは、誰かの考えを偏っていると指摘することだけではありません。
自分自身もまた、情報を選び、意味づけ、判断する過程で、何かを見落としているかもしれないと気づくことです。
自分の考えに合う情報だけを集めていないか。
印象に残った事例だけで全体を判断していないか。
周囲の意見に流されていないか。
感情から生まれた解釈を、確かな事実だと思い込んでいないか。
こうした問いを持つことで、私たちは自分の認識を少しずつ見直していくことができます。
「真実を観る眼力」とは、何でも疑うことでも、誰よりも多くの知識を持つことでもありません。
事実と解釈を分け、
自分の思い込みに気づき、
異なる視点に耳を傾け、
根拠に応じて判断を見直す力
です。
そして、その力は、特別な知識を身につけたときだけに育つものではありません。
日常の小さな出来事の中で、
自分の反応を観察し、別の可能性を考え、必要に応じて考えを修正する。
その積み重ねによって育まれていきます。
物事を正しく観るためには、目の前の対象だけでなく、
それを観ている自分自身の認識にも目を向けることが大切なのです。
