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真実を観る眼力 195 本当に欲しいものと、欲しいと思わされているもの ― 「欲しい」は、どこから生まれているのだろう? ―
はじめに
「これが欲しい」
そう思って買ったものなのに、しばらくすると、それほど必要ではなかったことに気づく。
新しい服。
高価なバッグ。
最新のスマートフォン。
人気の美容商品。
旅行。
高級なレストラン。
資格や学び。
もっと広い家。
もっと良い車。
もっと評価される仕事。
私たちは、日々たくさんの「欲しい」に出会っています。
そして、その多くは、
「自分が欲しいと思ったのだから、自分の本当の欲求なのだ」
と考えます。
けれど、少し立ち止まってみると、不思議なことに気づきます。
その「欲しい」は、
本当に自分の内側から生まれたものなのでしょうか。
広告を見たから。
誰かが持っていたから。
SNSで話題になっていたから。
周囲から「持っていると素敵」と思われるから。
「これを持てば、もっと幸せになれる」と感じたから。
そう考えると、
「欲しい」という感情にも、さまざまなものが混ざっている
ことが見えてきます。
今回考えたいのは、
「欲しいものを我慢しましょう」
という話ではありません。
むしろ、
「私は本当に何を欲しいと思っているのだろう?」
という問いです。
第一章 「欲しい」は、どこからやってくるのか
私たちは普段、
「欲しい」という気持ちは、自分の中から自然に生まれるものだと思っています。
けれど、人間の欲求は、それほど単純ではありません。
お腹が空いた。
喉が渇いた。
眠りたい。
安心したい。
誰かとつながりたい。
こうした身体や心に直接関係する欲求もあります。
一方で、
「もっと良いものが欲しい」
「人から羨ましがられるものが欲しい」
「今より上の生活をしたい」
という欲求もあります。
そして後者には、
社会の価値観や周囲の人々、広告、メディアなどから影響を受けている部分があります。
つまり、
「欲しい」という気持ちは、自分だけで作っているわけではないのです。
第二章 「みんなが持っている」と、欲しくなる
たとえば、友人が新しいバッグを持っていたとします。
「素敵だな」
と思う。
そのうち、
「私も欲しい」
と思い始める。
さらにSNSを開くと、同じようなバッグを持っている人がたくさんいる。
すると、
「やっぱり今は、これが人気なんだ」
と思う。
そして、いつの間にか、
「持っていない自分のほうが遅れている」
ような気持ちになってくる。
でも、最初はどうだったでしょう。
本当に必要だったのでしょうか。
それとも、
「みんなが持っている」
という情報に触れたことで、欲しくなったのでしょうか。
もちろん、流行しているものを好きになることが悪いわけではありません。
問題は、
「欲しい」という気持ちが、どこから生まれたのかを知らないまま、
その気持ちを自分の本心だと思ってしまうことです。
第三章 SNSは「欲しい」を増幅する
SNSでは、毎日のように誰かの生活が目に入ります。
素敵な服。
美しい部屋。
おしゃれな食事。
旅行先の風景。
美容。
健康。
仕事の成功。
充実した休日。
それらを見ていると、
「私もこんな生活をしたい」
と思うことがあります。
それ自体は自然なことです。
しかしSNSで目にするのは、その人の人生全体ではありません。
その人が切り取った一場面です。
それでも、繰り返し見ていると、
「これが幸せな生活なのだ」
というイメージが、自分の中に少しずつ入り込んできます。
そして、
「私も、こうならなければ」
という新しい欲求が生まれることがあります。
つまりSNSは、
「欲しいもの」を見せるだけではなく、
「どんな人生を欲しいと思うか」そのものにも影響する
可能性があるのです。
第四章 「欲しい」と「必要」は同じではない
ここで、一度、
「欲しい」と「必要」を分けてみる
ことができます。
たとえば、新しい服が欲しい。
それは悪いことではありません。
おしゃれを楽しむことも、生活の喜びの一つです。
ただ、
「今ある服では本当に困っているのか?」
と考えてみる。
新しいスマートフォンが欲しい。
では、
「今のものでは、何が足りないのだろう?」
と考えてみる。
もっと大きな家が欲しい。
「本当に広さが必要なのか、それとも『豊かな暮らし』というイメージが欲しいのか?」
と考えてみる。
ここで大切なのは、
欲しいものを否定することではありません。
「私はなぜ、それを欲しいと思ったのだろう?」
と、その欲求を少し深く観てみることです。
第五章 物が欲しいのではなく、「気持ち」が欲しいことがある
ここには、もっと興味深いことがあります。
私たちは、物そのものを欲しがっているようで、
その「物によって得られる感情や状態を欲しがっている」
ことがあります。
新しい服が欲しい。
その奥には、
「きれいに見られたい」
「自信を持ちたい」
「気分を変えたい」
という気持ちがあるかもしれません。
高価なバッグが欲しい。
その奥には、
「認められたい」
「自分に自信を持ちたい」
「大切に扱われたい」
という気持ちがあるかもしれません。
旅行に行きたい。
その奥には、
「日常から離れたい」
「自由になりたい」
「自然の中で安心したい」
という願いがあるかもしれません。
すると、
「何が欲しいのか?」
という問いが、
「私は、どんな感覚を求めているのだろう?」
という問いに変わります。
ここから、本当の欲求が見え始めることがあります。
第六章 「もっと欲しい」の奥には、何があるのか
「もっと欲しい」
という気持ちは、際限なく続くことがあります。
一つ手に入れる。
しばらく満足する。
そして、また次のものが欲しくなる。
もっと良いもの。
もっと新しいもの。
もっと大きなもの。
もっと評価されるもの。
なぜでしょうか。
一つの理由として、
「手に入れたもの」そのものより、
「手に入れたときに感じる自分」を求めている
場合があります。
「これを手に入れれば、自分はもっと価値のある人間になれる」
「これがあれば、人から認めてもらえる」
そんな期待があると、手に入れた瞬間には満足しても、その感覚は長く続かないことがあります。
そして、また次を探す。
もちろん、欲望そのものが悪いわけではありません。
人間の欲求は、行動や成長の原動力にもなります。
ただ、
「これを手に入れれば、自分は十分になる」
という考えを繰り返していると、
いつまでも「足りない自分」を感じ続ける
ことがあります。
本当に「欲しい」は何? 本当の願いを見つめる
第七章 「誰かに認められたい」という欲求
人間には、
「人から認められたい」
という自然な欲求があります。
褒められると嬉しい。
感謝されると嬉しい。
評価されると自信が持てる。
これは、人間関係の中で生きる私たちにとって、ごく自然なことです。
けれど、
「人からどう見られるか」
が自分の欲求の中心になると、
「自分が好きだから」
ではなく、
「人から評価されるから」
という理由で、物や仕事、生活スタイルを選ぶようになることがあります。
すると、
自分の人生を生きているようで、
実は「他人から見た自分」を生きている。
193で考えた、
「いい人を演じること」
ともつながっています。
「いい人に見られたい」
「素敵に見られたい」
「成功しているように見られたい」
という気持ちが、自分の選択に入り込んでくるのです。
第八章 「本当に欲しいもの」を見つける方法
では、どうすれば、
「自分が本当に欲しいもの」と、
「欲しいと思わされているもの」
を見分けられるのでしょうか。
一つの方法は、
すぐに決めないこと
です。
「欲しい!」
と思った瞬間に買うのではなく、
少し時間を置いてみる。
そして、こう問いかけます。
「私は、なぜこれが欲しいのだろう?」
さらに、
「これを手に入れたら、どんな気持ちになりたいのだろう?」
と考えてみる。
「素敵に見られたい」
「安心したい」
「自信を持ちたい」
「自由になりたい」
「認められたい」
など、さまざまな答えが出てくるかもしれません。
そして、もう一歩。
「その気持ちは、別の方法でも得られるだろうか?」
と考えてみる。
たとえば「自由になりたい」という気持ちなら、必ずしも高価なものを買う必要はないかもしれません。
自然の中を歩く。
一人で静かな時間を過ごす。
予定を一つ減らす。
誰かの期待から少し離れる。
そうしたことで、求めていた感覚が得られることもあります。
第九章 「欲しいもの」を減らすことが目的ではない
ここで注意したいのは、
「欲望をなくしましょう」
という話ではないことです。
欲しいものがあっていい。
買っていい。
楽しんでいい。
美しいものを求めてもいい。
豊かな暮らしを望んでもいい。
新しいことに挑戦してもいい。
大切なのは、
「誰かに与えられた欲望なのか、自分が選んだ欲望なのか」を知る
ことです。
自分で選んだのであれば、
それを楽しめばいい。
その選択に納得できるのであれば、
堂々と欲しがっていい。
反対に、
「本当はそれほど欲しくないのに、周囲に合わせている」
と気づいたなら、
手放してもいい。
つまり、
欲望を減らすことではなく、
欲望との関係を自分で選べるようになること、
が大切なのです。
第十章 「本当に欲しいもの」は、物とは限らない
ここまで考えてくると、
「本当に欲しいもの」
という言葉の意味も変わってきます。
欲しいのは、
物ではないかもしれません。
安心かもしれない。
自由かもしれない。
つながりかもしれない。
自信かもしれない。
静けさかもしれない。
自然とのつながりかもしれない。
自分らしくいられる時間かもしれない。
誰にも評価されなくても、自分が心地よく感じられる生活かもしれません。
そう考えると、
「何を買うか」よりも、
「どんな状態で生きたいのか」
のほうが大切になってきます。
そして、それが分かると、
物を選ぶときにも、人間関係を選ぶときにも、仕事を選ぶときにも、
少しずつ基準が変わっていきます。
最終章 「欲しい」は、本当に私の声なのだろうか?
私たちは毎日、
たくさんの「欲しい」に囲まれています。
「これがあれば幸せになれる」
「これを持っていれば素敵に見える」
「これを手に入れれば、もっと豊かになれる」
「もっと頑張れば、もっと認めてもらえる」
そんなメッセージを、さまざまな場所から受け取っています。
それらをすべて否定する必要はありません。
広告も、SNSも、社会の価値観も、
私たちの人生にとって必ずしも悪いものではありません。
問題は、
それらから受け取ったものを、自分の本心だと思い込んでしまうこと
です。
だから、ときどき立ち止まってみる。
「私は、本当にこれが欲しいのだろうか?」
そして、
「これを手に入れたら、私はどんな自分になりたいのだろう?」
さらに、
「その気持ちは、別の方法でも満たせるのだろうか?」
と問いかけてみる。
すると、
「欲しいもの」の奥に、
自分が本当に大切にしているものが見えてくる
かもしれません。
「欲しいもの」ではなく、「どう生きたいか」を観る
189から続いてきた今回の流れを振り返ってみましょう。
189では、
「自分とは何なのか」
を問い直しました。
190では、
「反応する人生」から「選択する人生」へ。
191では、
「自分を大切にする」
ということを考えました。
192では、
疲れていると、世界の見え方まで変わる
ことを観ました。
193では、
「いい人」を演じることから少し自由になる
ことを考えました。
194では、
「何かをしている自分でなければならない」という思い込み
から離れてみました。
そして195では、
「欲しいと思っているもの」さえ、
自分の認識を通して生まれている
ことに気づきます。
ここに、「真実を観る眼力」の大切な働きがあります。
それは、
「欲しいものを我慢すること」ではありません。
「物を持たないこと」でもありません。
まして、
「欲望をなくすこと」でもありません。
自分の欲望さえ、一度観察してみること。
「私は、なぜこれを欲しいと思ったのだろう?」
「誰かにそう思わされていないだろうか?」
「その奥で、私は何を求めているのだろう?」
そうやって、
自分の欲望を少し離れて観てみる。
すると、
「物が欲しかった」のではなく、
「安心したかった」。
「羨ましがられたかった」のではなく、
「自分に自信を持ちたかった」。
「もっと豊かになりたかった」のではなく、
「もっと自由に生きたかった」。
そんな、本当の願いが見えてくることがあります。
そして、その願いが分かったとき、
初めて、
「では、私はどう生きたいのだろう?」
という次の問いが生まれます。
欲しいものを追いかける前に、
その「欲しい」は、どこから来たのかを観てみる。
その奥にある、本当の願いを見つめてみる。
そして、自分にとって本当に大切なものを、自分自身で選んでいく。
それは、
「他人が望む人生」から
「自分が選ぶ人生」へ
移っていくということでもあります。
そして、
自分の「欲しい」さえも観る
ことができたとき、
「真実を観る眼力」は、さらに一歩深くなっていくのです。
