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真実を観る眼力189【中編】 「自分」とはいったい何なのでしょうか? ― 時間の中で変化する「私」と、「今ここ」にある意識 ―
はじめに
前編では、
名前。
肩書き。
記憶。
経験。
性格。
感情。
欲求。
社会。
そして、
時間。
さまざまな角度から、
「自分とは何なのか」
を考えてきました。
そこで見えてきたのは、
「自分」は、
最初から完成された一つの存在ではなく、
さまざまな要素が関係しながら、
時間の中で変化しているもの
なのかもしれない、
ということでした。
では、
もし「自分」が変化しているのだとしたら、
私たちは、
昨日の自分を、今日も演じ続ける必要があるのでしょうか?
ここからは、
「時間」と「意識」という、
もう一つ深いところから、
自分を見つめてみます。
第19章 昨日の自分と、今日の自分は同じなのか?
昨日、
誰かに言われた言葉に傷ついた。
その記憶が、
今日になっても残っている。
すると、
「自分は傷つけられた」
「自分は大切にされなかった」
という認識が、
今日の自分にも影響します。
でも、
昨日と今日では、
身体も、
状況も、
経験も、
少しずつ違っています。
それでも私たちは、
「私は昨日と同じ私だ」
と感じています。
ここには、
不思議なことがあります。
変化しているのに、
なぜ「同じ自分」だと感じるのでしょうか?
その一つの理由として考えられるのが、
記憶によって自分の連続性を感じている
ということです。
昨日の出来事を覚えている。
今日の自分が、
昨日の自分を思い出している。
そのつながりによって、
「私は私だ」
という感覚が生まれます。
つまり、
「自分」という感覚には、
時間が深く関係している
のです。
第20章「過去の自分」は、今どこにいるのか?
ここで、
少し不思議なことを考えてみます。
昨日の出来事を思い出してください。
その出来事そのものが、
今、目の前に存在しているわけではありません。
存在しているのは、
「昨日の出来事を思い出している」という現在の体験
です。
未来も同じです。
明日の予定を考えているとき、
まだ明日は来ていません。
今ここにあるのは、
「明日のことを想像している」という現在の意識
です。
つまり、
過去は「記憶」として、
未来は「予測や想像」として、
現在の意識の中に現れている
と見ることができます。
だから、
「過去に戻る」
「未来へ行く」
というより、
私たちはいつも、
現在という場所から過去や未来を思い出し、想像している
とも言えるのです。
第21章 人間は「今」だけを直接体験している
私たちは、
過去を思い出すこともできます。
未来を想像することもできます。
しかし、
実際に体験できるのは、
いつも、
「今」です。
昨日の痛みは、
昨日そのものとしては、
もう体験できません。
明日の出来事も、
まだ体験できません。
今、
思い出している。
今、
心配している。
今、
期待している。
今、
呼吸している。
今、
歩いている。
私たちの人生は、
いつも「今」という場所で、
経験されています。
ただし、
これは、
「過去も未来も存在しない」
という意味ではありません。
物理学における時間の捉え方には、
現在だけを実在と考える立場や、
過去・現在・未来を含む時空全体を捉える立場など、
さまざまな考え方があります。
大切なのは、
「人間の体験としては、今だけが直接経験できる」
ということです。
第22章「今に生きる」とは、過去を消すことではない
「今を生きる」
という言葉を聞くと、
過去を忘れなければならない。
未来を考えてはいけない。
何も考えてはいけない。
そんなイメージを持つかもしれません。
でも、
そうではありません。
過去を消す必要はありません。
未来を捨てる必要もありません。
記憶も、
予測も、
人間にとって大切な能力です。
大切なのは、
過去に現在を奪われないこと。
そして、
まだ起きていない未来に、現在を奪われないこと。
過去は、
学ぶために使う。
未来は、
選択するために使う。
そして、
実際に生きるのは、
いつも、
「今」です。
第23章 なぜ「今」に意識を置くことが難しいのか?
「今を大切にしましょう」
と言われても、
簡単ではありません。
気がつくと、
昨日のことを考えている。
誰かに言われた言葉を、
何度も思い出している。
まだ起きていないことを、
心配している。
SNSを見て、
他人と自分を比べている。
「こうしなければならない」
という考えに、
頭の中を占領されている。
これは、
意志が弱いからなのでしょうか?
そうとは限りません。
人間の脳は、
過去の記憶を使い、
未来を予測し、
危険を察知し、
次に何が起きるかを考えながら、
行動するようにできています。
だから、
「考えるな」
と命令しても、
簡単には止まりません。
第24章 意識は、完全に自由自在に動かせるわけではない
ここも、
とても重要です。
「意識を今に置けばいい」
と言われても、
意識をスイッチのように、
自由自在に操作できるわけではありません。
突然、
昔の記憶が出てくる。
突然、
不安になる。
突然、
誰かと比較してしまう。
突然、
嫌なことを思い出す。
そうしたことは、
誰にでも起こります。
だから、
「今に集中できない自分はダメだ」
と考える必要はありません。
むしろ大切なのは、
意識が過去や未来へ動いたことに気づくこと。
そして、
もう一度、今へ戻ってくること。
「今にいる」とは、
一度も過去や未来へ行かないことではありません。
行ってしまったことに気づき、戻ってくること
なのです。
第25章「手放す」とは、消すことではない
ここで、
「手放す」
という言葉が重要になってきます。
手放すとは、
忘れることではありません。
無理やり消すことでもありません。
否定することでもありません。
たとえば、
過去の失敗を思い出したとします。
「こんなことを考えてはいけない」
と押し込めるのではなく、
ただ、
「今、過去の失敗についての記憶が浮かんでいる」
と観察する。
「私はダメだ」
ではなく、
「今、自分をダメだと思う考えが起きている」
と見る。
それだけです。
すると、
考えを消さなくても、
その考えに、
自分のすべてを支配されなくなっていきます。
第26章 「私は○○だ」から「○○が起きている」へ
この違いは、
小さく見えて、
実は大きな違いです。
「私は悲しい」
↓
「今、悲しみが生じている」
「私は不安な人間だ」
↓
「今、不安という感情が生じている」
「私は失敗した人間だ」
↓
「過去の失敗についての認識が、今ここに現れている」
こうすると、
「自分」と「感情」。
「自分」と「思考」。
「自分」と「記憶」。
その間に、
ほんの少し、
「間」
が生まれます。
そして、
その「間」に、
選択の可能性
が生まれます。
第27章「今ここ」に戻るとは身体を感じることでもある
考えすぎているとき、
意識は、
頭の中の過去や未来に、
強く引っ張られます。
そんなとき、
身体に意識を戻してみる。
呼吸。
足の裏。
手の温度。
肩の力。
お腹の動き。
風。
鳥の声。
太陽の暖かさ。
食べ物の味。
こうした、
今この瞬間の感覚に注意を向ける。
すると、
「今ここで起きていること」に、
注意を戻すきっかけになります。
これは、
「身体感覚こそが絶対的な真実である」
という意味ではありません。
身体感覚も、
脳によって処理されています。
ただ、
思考だけに偏っていた注意を、現在の身体経験へ戻す方法
の一つとして考えることができます。
第28章 量子の世界は、「当たり前」を問い直させる
ここで、
少しだけ量子の世界にも目を向けてみます。
量子の世界には、
私たちの日常感覚では、
想像しにくい現象があります。
たとえば、
「重ね合わせ」。
コインなら、
普通は「表」か「裏」のどちらかです。
ところが量子の世界では、
観測するまで、
複数の状態が重なった状態として、
扱われることがあります。
もう一つが、
「量子もつれ」です。
二つの量子が、
特別な関係を持つと、
遠く離れた後でも、
二つの間に非常に強い相関が現れます。
これは、
「二つが最初から別々に答えを決めて持っていた」
というだけでは説明できないことが、
実験によって確かめられています。
つまり、
私たちが普段、
「別々のもの」
「決まった状態」
と考えている世界とは、
まったく違う振る舞いが、
自然界には存在しているのです。
もちろん、
これは、
「人間の意識で現実を自由に変えられる」
という証明ではありません。
むしろ量子力学が教えてくれるのは、
「自分たちが当たり前だと思っている世界の見方が、自然界のすべてとは限らない」
ということです。
そして、
分からないものを、
無理に分かったことにしない。
「まだ分からない」
と認めることも、
世界を観るための、
大切な知性
なのです。
第29章 ここから問いは「今」から「観察している私」へ
ここまで来ると、
一つの不思議なことに気づきます。
過去の記憶がある。
↓
その記憶に気づいている。
未来への不安がある。
↓
その不安に気づいている。
怒りがある。
↓
その怒りに気づいている。
考えがある。
↓
その考えに気づいている。
では、
ここで、
もう一つ問いが生まれます。
「気づいている」のは、いったい何なのでしょうか?
これが、
中編から後編へつながる、
最も重要な問いです。
「自分とは何か」
という問いが、
ここで、
さらに一段深くなります。

