asa insight

2026-09-10 17:36:00

asa information 9月号⑦ 私たちは、なぜ「自分で考えている」と思い込むのか? ― 情報社会・SNS・AIがつくる「見えない認識のフィルター」 ―

スマートフォンを開く。

ニュースを見る。

SNSを見る。

動画を見る。

誰かの意見を読む。

そして、

「なるほど」

と思う。

その後、

その考えを、

いつの間にか、

「これは、自分で考えて決めたことです」

そう思うことは、

ごく自然なことです。

けれど、

少し立ち止まって考えてみると、

こんな疑問が浮かんできます。

その「考え」は、

本当に自分だけから生まれたものなのでしょうか?

家族から聞いた言葉。

学校で教えられた価値観。

テレビや新聞から得た情報。

広告から受け取ったイメージ。

SNSで繰り返し目にする意見。

検索結果に並ぶ情報。

そして、

AIから提示される答え。

このように、

私たちの「考える」という行為には、

想像以上に多くのものが入り込み

日々触れている情報によって、

大きく影響されています。

 

つまり、

私たちは、

完全に何もないところから、

自由に考えているわけではありません。

しかも現代では、

それらの情報が、

一人ひとりに合わせて選ばれ、届けられる時代

になりました。

ここに、

これまでとは違う問題があります。

それは、

「自分で考えている」と思いながら、

知らないうちに考え方の方向を誘導される可能性

です。

今回のasa informationでは、

9月号⑤で考えた、

「現実をありのままに見ることの難しさ」

そして、

9月号⑥で考えた、

「他人との比較」

から、

さらに一歩進んで、

「そもそも、自分の考えとは何なのか?」

という問題を考えてみたいと思います。

 

第1章 「自分で考える」とは、本当はどういうこと?

例えば、

SNSを見ていて、

ある化粧品が何度も表示されたとします。

最初は、

「こんな商品があるんだ」

という程度だったのに、

何度も見ているうちに、

「これ、良さそう」

と思うようになる。

そして、

実際に購入する。

もちろん、

その商品が本当に必要だった可能性もあります。

しかし、

ここで一度、

考えてみたいのです。

「欲しい」と思ったきっかけは、

どこから来たのでしょうか?

自分の内側から生まれたのでしょうか。

それとも、

外から繰り返し与えられた情報によって、

「欲しい」という感覚が強くなったのでしょうか。

これは、

「広告はすべて悪い」

という話ではありません。

問題は、

自分の判断が、どのような情報環境の中で生まれたのか

を自分自身が知らないことです。

 

第2章 私たちは「見たもの」をそのまま見ているわけではない

人間の脳は、

目や耳から入ってきた情報を、

そのまま保存しているわけではありません。

過去の経験。

記憶。

期待。

感情。

価値観。

知識。

そうしたものを使いながら、

入ってきた情報に意味を与えています。

だから、

同じニュースを見ても、

人によって受け取り方が違う。

同じ出来事を見ても、

「良いこと」と感じる人もいれば、

「危険なこと」と感じる人もいます。

つまり、

私たちは、

単純に「現実」を見ているのではありません。

情報を受け取り、

脳の中で意味づけされた「現実」を見ている

とも言えます。

ここが、

「認識」を考えるうえで、

とても重要なポイントです。

 

第3章 そして現代には「アルゴリズム」が加わった

ここから、

現代社会ならではの問題が出てきます。

インターネットでは、

私たちがどんな情報に関心を持ったのかが、

さまざまな形で利用されています。

例えば、

  • 検索した言葉

  • 閲覧したページ

  • 購入した商品

  • SNSで見た投稿

  • 「いいね」をした内容

  • 動画の視聴履歴

  • 長く見ていたコンテンツ

などです。

こうした情報をもとに、

システムは、

「この人は、これにも興味を持つかもしれない」

と予測します。

そして、

関連する情報が、

次々に表示されます。

これは便利な仕組みです。

自分が探していた情報を、

簡単に見つけられることもあります。

しかし、

便利さの裏側には、

一つの問題があります。

 

第4章 「自分が選んでいる」のではなく、「選ばれたものから選んでいる」?

ここは、

現代社会でとても大切な視点です。

私たちは、

画面を見ながら、

「自分で選んでいる」

と思っています。

しかし、

その前に、

何を見ることができるのか

という段階があります。

例えば、

100万件の情報が存在していても、

私たちの目の前に表示されるのは、

そのごく一部です。

つまり、

私たちは、

100万件の中から自由に選んでいるのではなく、

何らかの仕組みによって選ばれた情報の中から選んでいる

のです。

この違いは、

とても大きなものです。

 

第5章 「あなたが興味を持ちそうなもの」が、あなたの世界をつくっていく

例えば、

ある健康情報を検索したとします。

すると、

その後、

似たような健康情報が、

次々に表示されることがあります。

最初は、

一つの情報を調べただけだった。

ところが、

次から次へと似た情報が現れる。

すると、

いつの間にか、

「世の中には、こういう情報ばかりある」

と感じるようになる。

さらに、

同じような意見を何度も見ていると、

こう思うかもしれません。

「みんな、そう考えているんだ」

しかし、

本当に「みんな」がそう考えているのでしょうか?

そうとは限りません。

単に、

自分の目の前に、

似た情報が集中的に表示されている

可能性があります。

 

第6章 「繰り返し見る」ことが、認識を強くする

人間は、

同じ情報に何度も接触すると、

その情報に親しみを感じやすくなることがあります。

最初は、

「本当かな?」

と思っていた情報でも、

何度も目にしているうちに、

「聞いたことがある」

「よく見る情報だ」

という感覚が生まれます。

そして、

いつしか、

「たぶん本当なのだろう」

と感じてしまう。

ここで注意したいのは、

「よく見る」ことと「正しい」ことは、別だということです。

情報が繰り返し表示されることと、

その情報の真偽が証明されることは、

まったく違います。

 

第7章 「洗脳」という言葉を考えてみる

歴史を振り返ると、

人間の認識を特定の方向へ変えようとする、

さまざまな情報操作が行われてきました。

一つの情報だけを繰り返し伝える。

反対意見を見えなくする。

恐怖を利用する。

敵と味方を分ける。

権威を利用する。

「みんながそう思っている」と思わせる。

こうした方法は、

過去のプロパガンダや、

さまざまな心理的操作の中でも見られてきました。

しかし、

現代社会では、

少し事情が変わっています。

昔は、

「誰かが情報を選んで、大勢の人に同じものを届ける」

という形が中心でした。

現在は、

「一人ひとりに異なる情報が届けられる」

ようになっています。

ここが、

現代の大きな特徴です。

 

第8章 AIによって「自分に合った答え」が、さらに身近になる

そして、

ここにAIが加わります。

現在のAIは、

Transformerなどのモデル構造を利用し、

大量のデータから言語のパターンを学習して、

人間の入力に応じた文章などを生成します。

また、

RLHF(人間のフィードバックによる強化学習)のような手法によって、

人間にとって望ましい応答になるよう調整されることがあります。

これは、

「AIが人間を洗脳するための仕組み」

という意味ではありません。

しかし、

AIとの対話が、

私たちの情報環境をさらに変えていく可能性はあります。

なぜなら、

これまでなら、

自分で検索し、

複数のページを読み、

比較しなければならなかったことを、

AIが、

「あなたの質問に対する答え」

という形で、

目の前にまとめて提示できるからです。

便利です。

非常に便利です。

だからこそ、

もう一つの問いが生まれます。

「その答えを、どう判断するのか?」

です。

 

第9章 「もっともらしい答え」と「真実」は同じではない

AIは、

とても自然な文章を作ることができます。

そのため、

人間は、

文章が流暢であるほど、

「正しそうだ」

と感じることがあります。

しかし、

文章が自然であることと、

内容が真実であることは別問題です。

これは、

SNSでも、

ニュースでも、

動画でも、

同じです。

「分かりやすい」

「説得力がある」

「たくさんの人が言っている」

「AIがそう答えた」

ということだけで、

正しいとは限りません。

だから、

情報が増えるほど、

必要になる能力があります。

それが、

「見極める力」

です。

 

第10章 「考えさせられている」のに、「自分で考えている」と感じる

ここに、

今回の特集の最も重要な問いがあります。

人は、

自分の頭の中に浮かんだ考えを、

「自分の考え」

だと思います。

しかし、

その考えが生まれるまでには、

さまざまな情報が影響しています。

家庭。

学校。

社会。

広告。

ニュース。

SNS。

友人。

周囲の価値観。

そして、

アルゴリズム。

AI。

つまり、

「自分の頭の中にある」というだけでは、

それが完全に「自分自身から生まれた考え」とは限らない

のです。

これは、

とても怖い話でもあります。

同時に、

自分を責める必要のない話でもあります。

人間は、

周囲から情報を受け取りながら生きる存在だからです。

大切なのは、

その事実に気づく

ことです。

 

第11章 では、どうすれば「自分で考える」ことができるのか?

「誰にも影響されない人間になる」

必要はありません。

そんなことは、

おそらく不可能です。

大切なのは、

影響を受けていることに気づくこと。

そして、

一度立ち止まることです。

 

例えば、

こんな問いを持ってみます。

なぜ、自分はこれを信じているのだろう?

その情報は、どこから来たのだろう?

反対の情報はあるだろうか?

事実と意見が混ざっていないだろうか?

恐怖や怒りを刺激されていないだろうか?

「みんなが言っている」というだけではないだろうか?

そして、

もう一つ。

「分からない」

と言えることも、

大切な知性です。

 

第12章 「正しい情報」を探すだけでは足りない

ここで、

「真実を観る眼力」

というテーマにつながります。

真実を観るということは、

単に、

「正しい情報を集める」

ことではありません。

情報には、

事実もあれば、

意見もあります。

善意もあれば、

悪意もあります。

誤解もあれば、

意図的な操作もあります。

そして、

同じ事実であっても、

切り取り方によって、

受け取る印象は大きく変わります。

だから必要なのは、

情報量だけではありません。

その情報を、どう観察するか。

誰が、何のために伝えているのか。

何が語られ、何が語られていないのか。

自分自身の感情が、判断を動かしていないか。

こうしたことを、

一つ一つ確かめていく力です。

 

第13章 「正邪善悪を観る眼力」とは、誰かを裁くことではない

ここは、

「真実を観る眼力」の意味を、

誤解されないようにするためにも、

大切な部分です。

正邪善悪を観るというのは、

すぐに、

「これは悪だ」

「この人は悪い」

と、

誰かを裁くことではありません。

むしろ、

その逆です。

「感情に流されず、事実を観察する。」

一つの情報だけで決めつけない。

自分に都合のよい情報だけを集めない。

相手の立場も見る。

その情報によって、誰が利益を得るのかを見る。

そして、

必要なら、

「これは自分の認識が間違っていたかもしれない」

と修正する。

それこそが、

本当の意味での、

「自分で考える力」

なのではないでしょうか。

 

第14章 女性だからこそ、ではなく「一人の人間」として

現代の女性は、

美容。

健康。

仕事。

結婚。

子育て。

人間関係。

お金。

生き方。

自己実現。

SNS。

さまざまな情報に囲まれています。

「もっと美しく」

「もっと若く」

「もっと健康に」

「もっと働いて」

「もっと自分らしく」

「もっと幸せに」

そんなメッセージが、

日々、

さまざまな形で届いてきます。

もちろん、

そのすべてが悪いわけではありません。

でも、

ふと立ち止まってみます。

「もっと」という言葉は、

本当に自分が望んでいるものなのだろうか?

それとも、

誰かによって作られた「理想」を、

いつの間にか、

自分の願いだと思っているのでしょうか?

ここに、

「比較」の問題も、

「認識」の問題も、

「アルゴリズム」の問題も、

つながってきます。

 

シャットダウン

ayaka34.png

 

 

第15章 情報社会で、本当に守るべきもの

これからの時代、

情報は、

さらに増えていくでしょう。

AIも、

さらに身近になるでしょう。

そして、

一人ひとりに合わせて、

情報が届けられる時代も、

さらに進んでいくでしょう。

そのとき、

重要になるのは、

「どれだけ多くの情報を持っているか」

だけではありません。

むしろ、

どの情報を信じるのか。

何を疑うのか。

何を選ぶのか。

そして、

自分の認識そのものを観察できるか。

という能力です。

 

最終章 「その考えは、本当に自分自身のものですか?」

SNSを見る。

検索する。

ニュースを見る。

動画を見る。

AIに質問する。

私たちは、

毎日のように、

大量の情報を受け取っています。

その中には、

役に立つ情報もあります。

人を助ける情報もあります。

新しい可能性を教えてくれる情報もあります。

だから、

情報そのものを恐れる必要はありません。

AIを恐れる必要もありません。

SNSを否定する必要もありません。

大切なのは、

「受け取った情報を、そのまま自分の認識にしないこと」

です。

 

一度、

間を置く。

観察する。

問い直す。

比較する。

確かめる。

そして、

自分自身で判断する。

 

「自分で考える」とは、影響を受けないことではない。

影響を受けている自分に気づき、

その影響を含めて、自分自身で確かめること。

それが、

「自分で考える」

ということなのかもしれません。

 

そして、

そのために必要なのが、

真実を観る眼力。

単に、

「正しい・間違っている」

だけを見るのではなく、

事実と意見を見分け、

善意と悪意を見分け、

正邪善悪を見極め、

自分自身の思い込みさえも観察する力。

それは、

誰かを疑うための力ではありません。

誰かを攻撃するための力でもありません。

自分自身の認識を、自由に保つための力です。

 

情報が増えるほど、

AIが賢くなるほど、

アルゴリズムが高度になるほど、

私たちに必要になるのは、

「もっと多くの情報」ではなく、

「情報を観る眼」

なのかもしれません。

そして最後に、

こんな問いを残したいと思います。

 あなたが「自分で考えた」と思っているその考えは、 

 本当に、あなた自身のものなのでしょうか?

 それとも、いつの間にか、

 誰かがつくった「見えない道」の上を歩いているのでしょうか?