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asa information 9月号⑥ なぜ人間は、比較することをやめられないのか? ― SNS時代に失われる「自分自身の価値」―
朝、
スマートフォンを開く。
すると、
誰かの楽しそうな旅行の写真が目に入ります。
おしゃれなレストラン。
幸せそうな家族。
充実した仕事。
美しい景色。
そして、
ふと、
こんな気持ちになることがあります。
「みんな、私より充実しているように見える」
「自分だけが取り残されているような気がする」
「もっと頑張らなければならないのだろうか」
SNSを見ること自体が、
悪いわけではありません。
遠く離れた人とつながることができる。
新しい情報を知ることができる。
美しい景色や、
楽しい出来事を共有することもできる。
しかし、
便利な道具であるSNSが、
いつの間にか、
「他人と自分を比較する場所」
になってしまうことがあります。
私たちは、
なぜ、
これほどまでに、
他人と自分を比較してしまうのでしょうか。
そして、
比較することで、
私たちは、
本当に幸せになれるのでしょうか。
今回のasa informationでは、
脳科学。
進化心理学。
SNS社会。
子どもたちの心。
そして、
私たちの日常生活を通して、
「比較する人間の心」
について考えてみたいと思います。
第1章
比較することは、人間の「悪い癖」なのか?
「あの人は自分よりきれい」
「あの人は仕事ができる」
「友人は素敵な家庭を持っている」
「自分より収入が多い」
私たちは、
日常生活の中で、
知らないうちに、
さまざまな比較をしています。
しかし、
比較することは、
必ずしも、
人間の悪い性格だから起こるわけではありません。
人間には、
自分が周囲の人々と比べて、どのような位置にいるのかを知ろうとする働き
があります。
人類は、
長い間、
集団の中で生活してきました。
その中で、
誰が信頼できるのか。
誰と協力するのか。
自分には、
どのような役割があるのか。
周囲の人を見ることは、
社会の中で生きるために、
必要な能力でもありました。
つまり、
「比較する能力そのものは、人間に備わった自然な働きの一つ」
なのです。
問題は、
比較することそのものではありません。
比較によって、自分自身の価値まで決めてしまうこと
なのかもしれません。
第2章
なぜ「自分より上の人」が気になるのか
私たちは、
自分より少し収入が高い人。
自分より若く見える人。
自分より仕事が成功している人。
自分より人気がある人を見ると、
無意識のうちに、
自分と比較することがあります。
心理学では、
自分より優れているように見える相手と比較することを、
「上方比較」
と呼びます。
しかし、
上方比較が、
必ず悪いわけではありません。
「あの人のようになりたい」
「自分も挑戦してみよう」
という、
成長のきっかけになることもあります。
問題は、
比較によって、
いつの間にか、
「自分には価値がない」
「自分は劣っている」
と考えてしまうことです。
そして、
ここで、
一つ大切なことがあります。
私たちが比較しているのは、
必ずしも、
相手の人生そのものではない
ということです。
SNSで見えるのは、
その人の人生の、
ほんの一部分です。
楽しい瞬間。
成功した瞬間。
美しく見える瞬間。
私たちは、
自分の人生のすべてと、
誰かの人生の、
最も輝いて見える瞬間
を比較している
ことがあります。
これは、
最初から、
自分にとって不利な比較
なのです。
第3章
SNSは「比較を終わらせない社会」をつくった
昔も、
人間は比較していました。
しかし、
比較する相手は、
家族。
学校。
職場。
地域。
など、
比較できる範囲には、
ある程度の限界がありました。
ところが、
SNSの登場によって、
私たちは、
世界中の人々と、
いつでも比較できるようになりました。
美容。
ファッション。
仕事。
結婚。
子育て。
旅行。
住宅。
料理。
趣味。
体型。
スマートフォンを開けば、
次々と、
「自分より素敵に見える人」
が現れます。
しかも、
そこに表示されるのは、
多くの場合、
その人が選んだ、
人生の「最も良く見える場面」(映え)です。
そのため、
私たちは、
比較を終わらせることが難しくなっています。
比較する相手が、身近な数人から、世界中の人々へ広がった。
これが、
SNS時代の大きな変化です。
第4章
「いいね」の数で、自分の価値を測っていないだろうか
SNSには、
さまざまな数字があります。
「いいね」の数。
フォロワー数。
再生回数。
コメント。
ランキング。
数字は、
とても分かりやすいものです。
しかし、
分かりやすいからこそ、
私たちは、
人間の価値まで、
数字で測り始めてしまうことがあります。
「いいね」が多い。
↓
人気がある。
フォロワーが多い。
↓
価値がある。
再生回数が多い。
↓
成功している。
しかし、
本当に、
そうでしょうか?
「いいね」の数は、
その人の優しさを測ることはできません。
フォロワー数は、
その人が、
本当に愛されているかどうかを、
測ることもできません。
年収や肩書きも、
人生の幸福を、
そのまま表しているわけではありません。
数字は、
ある一つの側面を示すことはできます。
しかし、
人間の価値そのものを測ることはできません。
👍 イイね!
第5章
女性ほど「比較の基準」が増えやすい社会
これは、
「女性が比較しやすい性格だから」
ということではありません。
現代社会では、
女性に対して、
非常に多くの価値基準が、
同時に求められることがあります。
美しくあること。
若々しくあること。
仕事でも活躍すること。
家庭も大切にすること。
子育ても頑張ること。
経済的にも自立すること。
そして、
いつも、
楽しそうに見えること。
しかし、
これほど多くの理想像を、
一人の人間が、
すべて満たすことはできるのでしょうか?
SNSには、
理想化された人生が、
次々と流れてきます。
美しい。
スタイルが良い。
仕事も充実している。
家庭も幸せ。
旅行にも行く。
料理も上手。
しかし、
誰も、
24時間、
完璧な人生を送っているわけではありません。
疲れる日もあります。
失敗する日もあります。
部屋が片付いていない日もあります。
何もしたくない日もあります。
それが、
人間です。
第6章
子どもたちは、早い段階から比較されている
9月号④では、
子どもたちの心の問題について考えました。
現代の子どもたちは、
非常に早い段階から、
比較される環境の中で生活しています。
テストの点数。
偏差値。
運動能力。
学校での人気。
容姿。
SNSの反応。
「いいね」の数。
そして、
進学。
就職。
子どもたちは、
常に、
「評価される社会」
の中で成長しています。
もちろん、
評価そのものが、
悪いわけではありません。
学校や社会では、
一定の評価が必要な場合もあります。
しかし、
問題は、
「評価されることと、自分自身の存在価値を混同してしまうこと」
です。
テストで悪い点を取った。
それは、
「今回のテストの結果」です。
しかし、
いつの間にか、
「自分はダメな人間だ」
という認識に変わってしまうことがあります。
ここには、
大きな違いがあります。
結果には、良い結果と悪い結果がある。
しかし、
人間そのものに、点数をつけることはできない。
これは、
子どもたちだけではありません。
私たち大人にも、
同じことが言えるのではないでしょうか。
第7章
比較すると、脳の中では何が起きているのか
私たちが、
他人と自分を比較するとき、
脳は、
単純に情報を処理しているだけではありません。
そこには、
感情も関係しています。
自分より成功している人を見る。
「すごい」
と思う。
しかし、
同時に、
「うらやましい」
「自分も頑張らなければ」
「自分は遅れているかもしれない」
という感情が生まれることがあります。
また、
SNSでは、
他者からの反応が、
繰り返し気になることがあります。
通知が来る。
↓
気になる。
↓
スマートフォンを見る。
↓
「いいね」が増えている。
↓
少しうれしくなる。
このような経験には、
報酬や期待、
学習などに関係する、
脳の働きが関係しています。
例えば、
ドーパミンは、
単純な「快楽物質」ではなく、
期待や動機づけ、
報酬を予測する働きなどにも関係しています。
そのため、
私たちは、
「次は何か反応があるかもしれない」
という期待から、
何度もSNSを確認してしまうことがあります。
つまり、
SNSは、
私たちの注意を、
外側の評価へ向け続けやすい環境
でもあるのです。
第8章
「もっと欲しい」が終わらない理由
比較には、
一つ大きな特徴があります。
それは、
終わりがない
ということです。
年収が増えた。
しかし、
もっと収入が多い人がいる。
家を買った。
しかし、
もっと大きな家に住んでいる人がいる。
美しくなった。
しかし、
もっと美しい人がいる。
成功した。
しかし、
もっと成功している人がいる。
比較を基準に、
幸福を求め始めると、
私たちは、
いつまでも、
「自分より上の人」
を見つけることができます。
ある目標を達成しても、
次の比較対象が現れます。
そして、
再び、
「もっと」
が始まります。
「比較によって手に入れた満足は、
新しい比較によって失われることがある。」
第9章
「あの人」と比べて、疲れていませんか?
比較は、
激しい競争心から、
始まるとは限りません。
むしろ、
日常の、
何気ない場面から始まります。
朝、
鏡を見る。
「最近、少し老けたような気がする」
SNSを開く。
すると、
同年代なのに、
とても若々しく見える人がいる。
「私も、もっと頑張らなければ」
と思ってしまう。
友人と、
久しぶりに会う。
子どもの進学の話。
仕事の話。
旅行の話。
新しく買った家の話。
誰かが、
自慢しているわけではありません。
自分自身も、
何か失敗したわけではありません。
それでも、
家に帰る頃には、
なぜか少し疲れている。
そんな経験はないでしょうか。
心の中では、
いつの間にか、
こんな比較が始まっているのかもしれません。
「あの人は充実している」
「私は、何をしているのだろう」
「自分だけ遅れているのではないか」
比較は、
実は、
「負けたくない」
という気持ちだけではなく、
「私は、このままで大丈夫なのだろうか?」
という、
小さな不安から始まることもあります。
第10章
「みんなと同じ」が、本当に幸せとは限らない
友人が、
海外旅行へ行っている。
素敵な家に住んでいる。
高級なバッグを持っている。
仕事で成功している。
すると、
「自分も、あのようになりたい」
と思うことがあります。
しかし、
ここで、
一度だけ、
自分自身に問いかけてみることも大切です。
「私は、本当にそれが欲しいのだろうか?」
それとも、
「周囲の人が持っているから、自分も欲しいと思っているのだろうか?」
例えば、
友人が、
海外旅行の写真を投稿している。
それを見て、
「うらやましい」
と思う。
しかし、
よく考えてみると、
自分は、
遠くへ旅行するより、
静かな温泉で、
ゆっくり過ごす方が好きかもしれません。
誰かにとっての幸せが、
必ずしも、
自分にとっての幸せとは限りません。
第11章
比較から「自分自身」へ戻る
比較をしているとき、
私たちの意識は、
頭の中へ入り込みやすくなります。
過去の自分。
未来の自分。
誰かの人生。
まだ起きていない未来。
さまざまな思考が、
頭の中を巡ります。
そんなときは、
少しだけ、
身体へ意識を戻してみましょう。
ゆっくり、
息を吸う。
そして、
ゆっくり吐く。
足の裏が、
床に触れている感覚を感じる。
背中が、
椅子に触れている感覚を感じる。
窓を開け、
外の空気を感じる。
比較しているとき、
私たちは、
「頭の中の世界」に生きています。
しかし、
身体感覚に意識を戻すことで、
「今、この瞬間」へ戻りやすくなることがあります。
これは、
9月号③で紹介した、
「体感から直接感じる力」
ともつながっています。
第12章
自分の人生には、自分のペースがある
花を見ても、
私たちは、
「なぜ、この花は、あの花より早く咲かないのだろう」
とは思いません。
桜には、
桜の季節があります。
紫陽花には、
紫陽花の季節があります。
コスモスには、
コスモスの季節があります。
人間も、
同じではないでしょうか。
早く答えを見つける人もいます。
時間をかけて、
自分の道を見つける人もいます。
40代になって、
新しい仕事を始める人。
50代になって、
新しい趣味を見つける人。
子育てが一段落してから、
初めて、
自分自身の時間を持つ人。
人生には、
「正しい順番」はありません。
成長する時期。
休む時期。
挑戦する時期。
立ち止まる時期。
すべての人が、
同じ時期に、
同じように花を咲かせる必要はありません。
人には、それぞれの人生があります。
そして、それぞれの時間があります。
第13章
比較から少し自由になるための5つのヒント
① 「比べている自分」に気づく
まず、
比較してはいけない、
と自分を責める必要はありません。
「あ、今、私は、あの人と自分を比較している」
そう気づくだけで、
無意識に比較の中へ入り込んでいた自分から、
少し距離を取ることができます。
② 他人の「一場面」と、自分の「すべて」を比較しない
SNSに映っているのは、
多くの場合、
人生の一場面です。
しかし、
私たちは、
自分の人生については、
すべてを知っています。
疲れ。
失敗。
不安。
迷い。
そのため、
一度、
こう考えてみましょう。
私は、他人の人生の「表紙」と、
自分の人生の「すべて」を比較していないだろうか。
③ 身体の感覚へ戻る
比較が始まったら、
一度、
呼吸を感じます。
足の裏を感じます。
身体が、
椅子に触れている感覚を感じます。
頭の中の比較から離れ、
今、ここに存在する、
自分自身の身体へ戻る。
それだけでも、
思考との距離をつくることができます。
④ 「私は、本当は何を望んでいるのか」を問いかける
高収入。
有名になること。
大きな家。
高級な車。
多くのフォロワー。
それらが、
悪いわけではありません。
しかし、
一度、
静かに問いかけてみる。
「これは、本当に私が望んでいる人生なのだろうか?」
それとも、
「誰かの価値観を、自分の価値観だと思い込んでいるだけなのだろうか?」
この問いが、
自分自身の人生を取り戻す、
一つの入り口になるかもしれません。
⑤ 自然の中へ戻る
森を歩く。
空を見る。
海を見る。
山へ行く。
そこには、
偏差値もありません。
フォロワー数もありません。
大きな木。
小さな草。
鮮やかな花。
名も知らない植物。
すべてが、
それぞれの場所で、
それぞれの生命を生きています。
自然は、
私たちに、
静かに教えてくれるようにも思えます。
すべてが同じである必要はない。
すべてが一番になる必要もない。
最終章
「誰かになる」ことから、「自分を生きる」ことへ
私たちは、
幼い頃から、
比較の中で生きています。
「あの子より成績が良い」
「あの人より成功している」
「もっと美しくならなければ」
「もっと若く見えなければ」
「もっと幸せに見えなければ」
しかし、
人生とは、
本当に、
誰かとの競争なのでしょうか?
もちろん、
他人から学ぶことは大切です。
誰かに憧れることもあります。
競争が、
成長につながることもあります。
問題は、
「他人を見すぎるあまり、自分自身を見失うこと」
です。
9月号⑤では、
私たちは、
過去の記憶。
感情。
価値観。
思い込み。
こうした、
さまざまなフィルターを通して、
世界を認識していることを考えました。
そして、
今回の9月号⑥では、
さらに、一つの問いを加えます。
「私たちは、他人と比較することによって、
自分自身を見失ってはいないだろうか?」
誰かの人生を見て、
自分の人生の価値を決める。
誰かの評価によって、
自分の存在価値を決める。
数字によって、
自分の幸福を測る。
しかし、
人生は、
ランキングではありません。
あなたには、あなたの時間があります。
あなたには、あなたの季節があります。
そして、あなたには、あなたにしか歩めない人生があります。
比較することを、
完全にやめる必要はないのかもしれません。
比較することは、
人間に備わった、
自然な能力の一つだからです。
しかし、
比較の中に、自分の価値を預ける必要はありません。
大切なのは、
誰かより優れた自分になることではなく、
誰かの人生を追いかけ続けることでもありません。
「自分自身が、本当に大切にしたいものは何か。」
「自分自身は、どのように生きたいのか。」
その問いに、
少しずつ耳を傾けていくこと。
「誰かになる」ことから、
「自分を生きる」ことへ。
それが、
比較の多い現代社会の中で、
私たちが、
自分自身の人生を取り戻すための、
大切な一歩なのかもしれません。
