asa insight

2026-09-08 17:53:00

asa information 9月号⑤ 私たちは、なぜ現実をありのままに見ることが難しいのか? 「こころ」と「意識・認識」の違いから考える、真実を観る力

私たちは、

毎日、

さまざまな出来事を経験しています。

人と会う。

言葉を聞く。

景色を見る。

ニュースを読む。

そして、

その一つひとつに対して、

何かを感じ、

考え、

意味を与えています。

しかし、

ここで、

一つの大切な疑問が生まれます。

「私たちが見ている世界は、本当に "現実そのもの" なのでしょうか?」

それとも、

私たちは、

自分自身の内側を通して、

世界を見ているのでしょうか。

 

9月号④から、9月号⑤へ

9月号④では、

子どもたちの自殺や、

心の不調を通して、

現代社会が抱える問題について考えました。

そこでは、

強いストレス。

不安。

孤立。

人間関係。

情報環境。

そして、

自然とのつながりを失いつつある現代社会について触れました。

では、

そもそも、

私たちが「苦しい」と感じるとき、

その苦しさは、

どこで生まれているのでしょうか。

出来事そのものが、

私たちを苦しめているのでしょうか。

それとも、

その出来事を、

私たちがどのように受け取るかによって、

苦しさが生まれているのでしょうか。

ここで、

「こころ」と、

「意識・認識」という、

非常に重要なテーマが見えてきます。

 

第1章

「こころ」とは何だろう

私たちは、

日常的に、

「心が疲れた」

「心が傷ついた」

「心が落ち着く」

という言葉を使います。

しかし、

「こころとは何か」

と尋ねられると、

簡単には答えられません。

現代科学では、

「こころ」という、

一つの臓器が存在するわけではありません。

私たちが「こころ」と呼んでいるものには、

さまざまな働きが含まれています。

例えば、

感情。

思考。

記憶。

欲求。

意欲。

想像。

判断。

これらは、

脳のさまざまな働きと、

身体の状態、

そして、

人間関係や環境との相互作用の中で生まれます。

つまり、

「こころ」は、

一つの場所に存在するものというより、

 「感じ、考え、記憶し、反応する、私たちの内面的な働き全体」

として捉えることができます。

 

第2章

では、「意識」とは何か

では、

「意識」とは何でしょうか?

例えば、

今、

あなたは、

この記事を読んでいます。

文字が見えている。

文章の意味を理解している。

椅子に座っている感覚がある。

周囲の音が聞こえる。

これらの体験を、

「自分はいま経験している」と気づいている状態。

それが、

意識の一つの側面です。

簡単に言えば、

「意識とは、"今、自分が何かを経験している” と気づいている状態」

と考えることができます。

しかし、

意識には、

まだ多くの謎があります。

脳科学が大きく進歩した現在でも、

「なぜ脳の活動から主観的な体験が生まれるのか」という問題について、

完全な答えは見つかっていません。

 

第3章

「認識」とは何か

「認識」は、

意識とよく似た言葉ですが、

少し意味が異なります。

例えば、

一輪の花を見る。

まず、

目から、

色や形などの情報が入ります。

そして、

脳が、

「これは花だ」

と理解する。

さらに、

「きれいだ」

「春らしい」

「昔の思い出を思い出す」

など、

さまざまな意味づけが起こります。

このように、

外の世界から入ってきた情報を、

自分の経験や知識と結びつけ、

「何であるか」を理解する働き。

これが、

認識です。

 

つまり、

非常に簡単に整理すると、

こころ  感情・思考・欲求・記憶などを含む内面的な働き
意識  自分や周囲で起きていることに気づいている状態
認識  入ってきた情報を理解し、意味づけする働き

 

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もちろん、

実際には、

この三つを、

完全に分けることはできません。

それぞれは、

互いに深く関係しています。

 

第4章

「認識」は、こころの作用なのか

ここで、

最初の疑問に戻ります。

認識とは、こころの作用なのでしょうか?

広い意味では、

そう考えることができます。

私たちが、

何かを認識するとき、

単純に、

カメラのように、

現実を記録しているわけではありません。

そこには、

過去の記憶。

経験。

知識。

価値観。

感情。

期待。

恐怖。

願望。

など、

さまざまなものが影響しています。

つまり、

認識は、

「こころ」から完全に独立しているわけではありません。

例えば、

同じ言葉を聞いても、

人によって受け取り方は違います。

「大丈夫?」

という一言でも、

ある人は、

「心配してくれている」

と感じる。

しかし、

別の人は、

「自分は弱いと思われているのではないか」

と感じるかもしれません。

言葉は同じです。

しかし、

認識は違います。

なぜでしょうか?

それは、

その人が、

過去に経験してきたことや、

現在の感情、

そして、

自分自身が持つ価値観によって、

受け取り方が変わるからです。

 

第5章

私たちは「現実」を見ているのか

ここからが、

今回の最も重要なテーマです。

私たちは、

世界を、

そのまま見ているのでしょうか?

例えば、

道を歩いているとします。

向こうから来た知人が、

こちらに気づいたように見えた。

しかし、

挨拶をしなかった。

このとき、

さまざまな解釈ができます。

「嫌われているのかもしれない」

「怒っているのだろうか」

「何か悪いことをしただろうか」

しかし、

実際には、

相手は、

考え事をしていて、

気づかなかっただけかもしれません。

ここで、

実際に起きた事実は、

 「相手が挨拶をしなかった。」

ということだけです。

しかし、

私たちの内側では、

その瞬間に、

さまざまな物語が作られます。

 「嫌われたのかもしれない」

 「自分は悪く思われている」

この、

「出来事」と、

「出来事について自分が作り出した意味」は、

同じではありません。

 

第6章

私たちは「フィルター」を通して世界を見る

人間は、

一度に、

すべての情報を処理することはできません。

そのため、

脳は、

必要と思われる情報を選び、

重要なものに注意を向けています。

さらに、

過去の経験や記憶を利用して、

次に何が起こるのかを予測します。

これは、

私たちが生きていくために必要な能力です。

しかし、

この働きによって、

私たちは、

現実を、

完全にそのまま見ているわけではありません。

私たちは、

ある意味で、

「自分自身の記憶や経験というフィルターを通して、世界を見ている」

のです。

例えば、

過去に人間関係で傷ついた経験がある人は、

他人の何気ない言葉に対しても、

警戒心を持つことがあります。

過去に失敗した経験が強ければ、

新しいことに挑戦するとき、

「また失敗するかもしれない」

と考えやすくなることがあります。

これは、

弱さではありません。

人間の脳が、

過去の経験から、

未来を予測しようとする、

自然な働きの一つなのです。

 

第7章

感情は、認識を変える

私たちは、

感情によっても、

世界の見え方が変わります。

悲しいとき。

不安なとき。

怒っているとき。

同じ出来事でも、

違った意味に見えることがあります。

例えば、

不安が強いときには、

小さな出来事でも、

大きな危険に感じることがあります。

反対に、

安心しているときには、

同じ出来事を、

それほど重大に感じないこともあります。

つまり、

「私たちは、世界を見ていると同時に、自分自身の心の状態を通して世界を見ている」

とも言えるのです。

 

第8章

「ありのままに見る」とは、どういうことか

では、

「現実をありのままに見る」とは、

一体、

どういうことでしょうか。

それは、

感情をなくすことではありません。

思考を止めることでもありません。

また、

「何も考えない」

ということでもありません。

むしろ、

大切なのは、

「今、自分が何を感じ、何を考え、どのように解釈しているのかに気づくこと」

です。

例えば、

「自分は嫌われている」

と思ったとします。

そのとき、

すぐに、

「これは事実だ」

と決めるのではなく、

少し立ち止まってみる。

そして、

自分自身に問いかけます。

「実際に起きたことは何だろう。」

「自分は、それをどのように解釈したのだろう。」

この二つを分けて考えてみる。

それだけでも、

私たちは、

自分の認識のフィルターに、

少しずつ気づくことができます。

 

第9章

「考える前に感じる」

ここで、

9月号③のテーマ、

身体感覚を感じる力

が、

再び重要になります。

私たちは、

不安になると、

考えます。

「どうしよう」

「なぜこんなことになったのだろう」

「これからどうなるのだろう」

しかし、

思考が強くなりすぎると、

私たちは、

自分自身の身体の状態を、

感じにくくなることがあります。

そんなとき、

少しだけ、

身体へ意識を戻してみます。

呼吸を感じる。

足の裏を感じる。

手の温度を感じる。

肩の緊張を感じる。

お腹の動きを感じる。

ここでは、

「良い」

「悪い」

と判断する必要はありません。

ただ、

「今、どのような感覚があるのか。」

それを、

そのまま感じます。

これは、

9月号③で紹介した、

自律訓練法ともつながっています。

 

第10章

「感じる」と「考える」の間にある「間」

ここで、

これまで取り上げてきた、

「間」という考え方が重要になります。

何かが起きる。

  ↓

すぐに反応する。

通常、

私たちは、

このような反応を繰り返しています。

 

しかし、

その間に、

少しだけ、

「間」をつくることができます。

何かが起きる。

 ↓

まず感じる。

 ↓

少し立ち止まる。

 ↓

考える。

 ↓

行動する。

この、

わずかな「間」が、

私たちに、

自分自身の心の動きを観察する時間を与えてくれます。

 

怒りを感じた。

すぐに反応するのではなく、

まず、

「今、自分は怒っている」

と気づく。

不安になった。

すぐに、

未来を想像し続けるのではなく、

まず、

「今、自分は不安を感じている」

と気づく。

この、

自分自身を観る力は、

心理学でいう、

メタ認知

にもつながります。

 

第11章

東洋思想が考える「心」

東洋思想では、

「心」を、

単純に脳だけの働きとして考えません。

人間の身体。

呼吸。

感情。

精神。

そして、

自然環境。

これらを、

相互につながるものとして考えてきました。

 

アーユルヴェーダでは、

身体と精神は、

切り離されたものではなく、

互いに影響し合うものと考えられています。

 

また、

中国の伝統的な思想では、

季節。

自然。

身体。

感情。

これらの関係性が、

長い時間をかけて観察されてきました。

秋には、

空気が乾燥し、

気温が下がる。

日照時間も変化する。

こうした自然環境の変化の中で、

人間の心身も、

何らかの影響を受けます。

 

ここで重要なのは、

東洋思想が、

人間を、

「自然から切り離された存在ではなく、自然の循環の中で生きる存在」

として考えてきたことです。

 

第12章

ヴェーダの視点から見る「意識」

ヴェーダ哲学には、

「意識」について、

非常に深い探究があります。

ここでは、

現代科学とは異なる視点から、

人間の内面が考えられてきました。

ヴェーダーンタなどの思想では、

私たちが、

「自分自身だ」と思っているものについて、

さらに深く問いかけます。

身体。

感情。

思考。

記憶。

これらは、

すべて変化します。

しかし、

その変化を、

「自分は変化している」と気づいているものは、

何なのでしょうか。

例えば、

私たちは、

「私は悲しい」

と言います。

しかし、

「悲しみ」そのものは、

永遠に続くわけではありません。

悲しみが現れる。

そして、

変化していく。

その変化に、

気づいている存在がいる。

ヴェーダ哲学では、

この「気づいている」

という働きそのものについて、

深く探究してきました。

このような問いは、

現代の意識研究とも、

どこかで接点を持つ可能性があります。

 

 

第13章

真実を観るために、まず自分の認識を観る

私たちは、

社会問題について考えます。

地球環境について考えます。

政治。

経済。

科学。

人間関係。

しかし、

ここで、

一つの重要な問題があります。

「私たちは、それらを、どのような認識を通して見ているのでしょうか。」

どれほど情報を集めても、

自分自身の思い込みに気づかなければ、

都合のよい情報だけを、

集めてしまうかもしれません。

不安が強ければ、

危険な情報ばかりに、

注意が向くかもしれません。

自分の考えを守りたければ、

反対の意見を、

受け入れにくくなるかもしれません。

だから、

「真実を観る」ということは、

単に、

多くの情報を集めることではありません。

「自分自身が、どのようなフィルターを通して世界を見ているのかを知ること。」

それもまた、

「真実を観る力」の一つではないでしょうか。

 

最終章

現実を変える前に、現実の見え方に気づく

私たちは、

世界を変えようとします。

社会を変えようとします。

誰かを変えようとします。

しかし、

その前に、

一度、

自分自身に問いかけてみる。

「自分は、本当に現実をそのまま見ているのだろうか。」

「それとも、自分の記憶や経験、感情を通して見ているのだろうか。」

もちろん、

人間が、

完全にフィルターをなくすことは、

おそらくできません。

私たちは、

経験を持つ人間だからです。

しかし、

自分のフィルターの存在に気づくことはできます。

そして、

気づくことで、

私たちは、

少しだけ、

自分の思考から自由になれる

かもしれません。

 

自然を感じる。

身体を感じる。

感情を感じる。

思考を観る。

そして、

自分自身が、

どのように世界を見ているのかを観る。

それは、

すぐに答えを出すためではありません。

「ありのままを観るために、まず、自分自身の "観方” に気づく。」

これこそが、

「真実を観る眼力」へ向かう、

新しい第一歩なのかもしれません。

 

Feel the Autumn

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asa information 9月号⑤

私たちは、なぜ現実をありのままに見ることが難しいのか

― 「こころ」と「意識・認識」の違いから考える、真実を観る力 ―

9月号①から⑤までの流れ

特集 テーマ 視点
大雨・洪水・地球温暖化 地球と人類
季節の変化と身体を整える力 自然と身体
自然の力を感じる力 身体感覚
なぜ、子どもたちの心は追い詰められるのか こころと社会
私たちは、なぜ現実をありのままに見ることが難しいのか 意識と認識

9月号全体は、

単なる時事情報や健康情報ではなく、

「外側の世界を観ることから始まり、次第に人間の内面へと向かっていく旅」

になっています。

そして、

最終的に、

「世界を観ている自分自身とは何者なのか」

という、

より深い問いへと進んでいきます。