Health and self-therapy information
「普通に生きられることは、当たり前?」
空気は「あるもの」、
水は「使うもの」、
食べ物は「手に入れるもの」。
地球から受け取り、
自然から受け取り、
社会から受け取り、
誰かの働きから受け取り、
それが当然のこととして、
「普通のこと」と呼ぶようになっていたけど、
普通という言葉の中に、どれほどたくさんの恵みが隠れているのだろう。
「与えられる」という
Take(受け取る)が人生の中心になると、
世界は「自分に何を与えてくれるのか」という視点から
もっと欲しい、
もっと便利に、
もっと豊かに、
もっと認められたい、
受け取ることに慣れるほど
「足りないもの」に目が向き、
与えられているものが見えなくなっていく。
「今日も、たくさんのものを受け取って生きている。」
今日も普通に目を覚ます、
空気を吸えること、
水を飲めること、
太陽の光を浴びられること、
食卓に食べ物があること、
歩けること、
誰かと笑えること、
そして、
今日という一日が与えられていること。
日々、
地球から受け取り、
自然から受け取り、
先人から受け取り、
誰かから受け取り
それらは「当たり前」ではなく、
「与えられている」ことに気づいたとき、
自然に、
「返したい」と思うようになる。
それが、
Take が
感謝 になり、
Give
という、
循環になる。
感謝は、
「自分は、決して一人だけで生きているのではない」という気づき。
一杯の水の向こうに、
雨があり、川があり、森があり、大地がある。
一粒の米の向こうに、
太陽があり、水があり、土があり、
それを育てた人の手がある。
一日を普通に生きられることの向こうに、
数え切れないほどの生命と、
人々の営みと、
地球という大きな生命圏の恩恵がある。
毎日、
想像もできないほど多くのものを
「受け取って」生きている。
その事実に気づいたとき、
「何をもらえるだろう」から、
「自分は何を返せるだろう」へと、
人生の向きが変わり始め、
その違いが、
人生の景色そのものを変えていく。
Takeが中心の景色は、
世界が「自分のためにあるもの」として見え、
Giveの意識は、
世界は「ともに生きるもの」として見え始める。
受け取ったものに気づき、
感謝し、
次の誰かへ、
次の生命へ、
次の未来へ、
受け取った生命の恩恵を、
そっと手渡していけるように。
その循環の中に、
人間が本当に豊かになるための、
もう一つの進化があるのかもしれない。