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真実を観る眼力170 人類意識の進化 ~宇宙秩序に学ぶ認識革命~ 第5話 なぜ人間は現実を正しく認識できないのか ~脳と認知バイアスの世界~
前回の第169回では、「観察する」という行為と量子論の関係を通して、私たちが世界を見ているつもりでも、その「見方」そのものが問題になることを考えました。
今回は、その問いを量子の世界から、私たち自身の脳と心の世界へ移します。
【プロローグ】
私たちは、
毎日、
世界を見ています。
朝起きて、
窓の外を見ます。
ニュースを読み、
スマートフォンを開き、
家族と話し、
仕事をし、
さまざまな人と出会います。
そして、
自分の目で見たこと、
自分の耳で聞いたこと、
自分が経験したことをもとに、
「私は現実を見ている」
と思っています。
しかし、
ここで、
一つの素朴な疑問があります。
私たちは、本当に「現実そのもの」を見ているのでしょうか?
例えば、
同じニュースを見ても、
「これは大変な問題だ」
と感じる人もいれば、
「それほど大したことではない」
と感じる人もいます。
同じ人の言葉を聞いても、
「優しい人だ」
と思う人もいれば、
「冷たい人だ」
と感じる人もいます。
同じ出来事を経験しても、
「人生最悪の日だった」
と記憶する人もいれば、
「あの日があったから成長できた」
と振り返る人もいます。
では、
いったい、
どちらが「本当の現実」なのでしょうか。
もしかすると、
私たちは、
世界をそのまま見ているのではなく、
自分の脳を通して編集された世界を見ている
のかもしれません。
そして、
ここに、
人類が「真実を観る」ことの難しさがあります。
第一章 私たちは「現実そのもの」を見ているのか
少し、
身近な例から考えてみましょう。
あなたが、
初めて訪れた街を歩いているとします。
すると、
赤い車が一台、
目の前を通り過ぎました。
あなたは、
その車を見たことを覚えているでしょう。
しかし、
同じ場所にいた別の人は、
その車ではなく、
美しい花に目を向けていたかもしれません。
さらに別の人は、
スマートフォンを見ていて、
車にも花にも気づかなかったかもしれません。
同じ場所にいて、
同じ時間を過ごしているのに、
三人が見ている世界は、
すでに違っています。
これは、
誰かが嘘をついているわけではありません。
それぞれが、
自分の脳を通して、
異なる情報を受け取っているからです。
私たちの脳は、
目や耳から入ってくる膨大な情報を、
すべて同じように処理しているわけではありません。
重要だと思うものに注意を向け、
必要がないと判断したものを、
意識に上げないこともあります。
つまり、
私たちは、
世界に存在するすべてを見ているわけではありません。
世界の中から、脳が選んだものを見ている
のです。
ここに、
「現実を正しく認識する」
ことの難しさがあります。
第二章 脳は「カメラ」ではなく「予測する装置」
私たちは、
脳をカメラのようなものだと考えがちです。
外の世界を見て、
その映像を脳の中に保存している。
そんなイメージです。
しかし、
現代の脳科学では、
脳は単純に外界を写し取るだけの器官ではないと考えられています。
脳は、
過去の経験や記憶、
現在の状況、
そして自分が持っている知識などを使いながら、
「今、何が起きているのか」
を予測し、
理解しようとしています。
例えば、
暗い夜道を歩いていて、
遠くに人影のようなものが見えたとします。
あなたは、
「誰かが立っている」
と思うかもしれません。
しかし、
近づいてみると、
それは、
ただの木だった。
そんな経験はないでしょうか。
では、
最初に見えた「人影」は、
嘘だったのでしょうか。
そうではありません。
目から入った情報が少なかったため、
脳が、
過去の経験をもとに、
「人かもしれない」
と判断したのです。
つまり、
私たちは、
ただ見ているのではありません。
見えた情報と、過去の記憶や経験を組み合わせながら、世界を理解している
のです。
これは、
私たちが生きていくためには、
非常に便利な仕組みです。
危険かもしれないものを、
素早く判断できるからです。
しかし、
この便利な仕組みには、
一つの弱点があります。
脳は、
「正しいかどうか」よりも、
「素早く理解できるかどうか」
を優先することがあるのです。
ここから、
「認知バイアス」
という問題が生まれてきます。
第三章 認知バイアスとは何か
「認知バイアス」という言葉を、
難しく感じる人もいるかもしれません。
簡単に言えば、
私たちの判断や物事の見方に生じる、心の偏り
のことです。
もちろん、
人間がわざと間違えているわけではありません。
脳が、
できるだけ早く、
効率よく判断しようとすることで、
自然に生まれることがあります。
例えば、
一度、
嫌な経験をした相手がいるとします。
その人が、
次に何かをしても、
「また嫌なことをするのではないか」
と考えてしまうかもしれません。
逆に、
一度、
親切にしてもらった人に対しては、
その後も、
「きっと良い人だろう」
と考えるかもしれません。
どちらも、
過去の経験をもとにした判断です。
しかし、
人間は変化します。
状況も変わります。
相手の行動も変わります。
それでも私たちは、
過去の印象に引っ張られてしまうことがあります。
これが、
私たちの認識を狭くすることがあります。
「自分が正しい」と思うほど、見えなくなるもの
認知バイアスの中でも、
特に注意したいのは、
自分が信じている情報ばかりを集めてしまうこと
です。
例えば、
「最近の社会は悪くなった」
と思っている人は、
社会の悪いニュースを見つけると、
「やっぱりそうだ」
と感じます。
一方、
「社会は良くなっている」
と考えている人は、
新しい技術や社会の改善を見て、
「やっぱり良くなっている」
と感じるかもしれません。
同じ社会を見ているのに、
見えている世界が違います。
これは、
どちらか一方が、
必ずしも嘘をついているわけではありません。
それぞれが、
自分の考えに合う情報を、
より強く認識している可能性があるのです。
だからこそ、
「真実を観る眼力」を持つためには、
一つの重要な問いが必要になります。
「私は、自分が信じたいものだけを見ていないだろうか?」
この問いを持つことが、
認識革命の大切な出発点になります。
第四章 人間は「見たいもの」を見てしまう
私たちは、
自分が興味を持っているものを、
自然と見つけやすくなります。
例えば、
車を買おうと思った途端、
街中で同じ車種を、
急にたくさん見かけるようになった。
そんな経験はありませんか?
もちろん、
突然その車が増えたわけではありません。
以前から、
同じように走っていたはずです。
ただ、
「自分に関係がある」
と意識した瞬間、
脳がその情報を、
重要なものとして認識するようになったのです。
これは、
私たちの脳が、
無限に存在する情報の中から、
自分にとって重要なものを選び出していることを示しています。
そして、
この仕組みは、
現代の情報社会では、
さらに大きな意味を持ちます。
私たちは今、
インターネットやSNSを通して、
膨大な情報に囲まれています。
しかし、
情報が増えれば増えるほど、
私たちは、
「自分が見たい情報」
を選びやすくなります。
その結果、
自分と似た意見ばかりを見るようになり、
いつの間にか、
「世の中の人は、みんな自分と同じ考えだ」
と思ってしまうことがあります。
しかし、
それは、
世界そのものではありません。
自分の周囲に集まった情報の世界
なのかもしれません。
第五章 なぜ人間は「間違い」に気づきにくいのか
ここで、
少し厳しい問いを考えてみます。
もし、
自分の認識が間違っていたとしたら、
私たちは、
すぐに気づくことができるでしょうか?
実は、
それは簡単ではありません。
なぜなら、
「自分の考えが間違っているかもしれない」
と認めることは、
心理的に負担がかかるからです。
人間には、
自分の考えと矛盾する情報を、
無意識に避けようとする傾向があります。
例えば、
長年信じてきた考えを、
否定する情報を見たとします。
そのとき、
「なるほど、私の考えを見直してみよう」
と思える人もいます。
しかし、
「その情報は間違っている」
「そんなことはあり得ない」
と、
最初から拒絶してしまうこともあります。
ここで大切なのは、
「自分の考えを持たないこと」
ではありません。
むしろ、
自分の考えを持つことは重要です。
しかし、
同時に、
「自分の考えも、間違っている可能性がある」
という余白(間)を持つこと。
それが、
知性の成熟ではないでしょうか。
第六章 「正しい認識」とは何か
では、
人間は、
どうすれば現実を正しく認識できるのでしょうか。
実は、
これは簡単な問題ではありません。
なぜなら、
人間は、
完全に偏りのない存在にはなれないからです。
私たちには、
それぞれの経験があります。
記憶があります。
感情があります。
価値観があります。
そして、
育った環境や文化も違います。
だから、
「完全に客観的な人間になる」
というのは、
現実的ではないでしょう。
大切なのは、
「自分には偏りがある」
と知ることです。
自分の認識を、
一歩引いて観察する。
「なぜ私は、そう思ったのだろう?」
「この情報を信じた理由は何だろう?」
「反対の意見を、私はなぜ嫌に感じるのだろう?」
と問いかける。
この一歩が、
非常に重要です。
これは、
脳科学的に言えば、
自分自身の思考や感情を、
客観的に見つめる力につながります。
そして、
心理学的には、
自分の認知の偏りに気づくことにもつながります。
つまり、
「世界を正しく観る」
ということは、
世界だけを見ることではありません。
世界を見ている自分自身も観察すること
なのです。
世界を見ている自分自身を観察する
第七章 「真実を観る眼力」は、疑うことから始まる
ここで、
「疑うこと」と、
「何でも否定すること」は、
違うという点を、
大切にしておきたいと思います。
認識革命とは、
すべてを疑って、
何も信じないことではありません。
また、
自分だけが真実を知っていると、
思い込むことでもありません。
むしろ、
その反対です。
一つの情報を見たら、
一度立ち止まる。
別の視点からも見てみる。
反対の意見にも耳を傾ける。
そして、
「本当にそうなのだろうか?」
と自分に問いかける。
その上で、
自分なりに考え、
判断する。
これが、
「真実を観る眼力」
につながっていくのではないでしょうか。
真実を観る眼力とは、
「絶対に間違わない力」
ではありません。
間違う可能性を自覚しながら、それでも真実に近づこうとする姿勢
なのです。
第八章 人類の集合意識も「認知バイアス」を持つ
ここで、
個人の認識から、
人類全体へ視野を広げてみましょう。
私たち一人ひとりが、
認知バイアスを持っているなら、
人間が集まった社会にも、
同じような偏りが生まれる可能性があります。
「みんながそう言っているから正しい」
「昔からそうだから正しい」
「有名な人が言っているから正しい」
「大多数が信じているから正しい」
このような考え方です。
しかし、
歴史を振り返れば、
かつて常識だったことが、
後になって間違いだったと分かった例は、
数多くあります。
つまり、
「多くの人が信じていること」と、
「真実であること」は、必ずしも同じではありません。
ここに、
集合意識の問題があります。
一人ひとりが、
同じ思い込みを持ち、
それが社会全体に広がると、
その思い込み自体が、
「当たり前の現実」
になってしまうことがあります。
だからこそ、
人類の認識革命には、
一人ひとりが、
自分の認識を見つめ直すことが必要なのです。
第九章 認識が変わると、世界の見え方が変わる
では、
認識が変わると、
本当に世界が変わるのでしょうか。
ここで、
慎重に考える必要があります。
私たちが、
「今日は良い日だ」
と思ったからといって、
外の世界そのものが、
魔法のように変化するわけではありません。
雨の日が、
突然晴れるわけでもありません。
しかし、
自分が何を見るのかは変わります。
例えば、
同じ雨の日でも、
「最悪の日だ」
と考える人と、
「植物にとっては恵みの雨だ」
と考える人では、
見えている世界が違います。
さらに、
見方が変われば、
行動も変わります。
行動が変われば、
人との関係も変わります。
人との関係が変われば、
その人を取り巻く環境も、
少しずつ変わっていきます。
つまり、
認識は、
現実そのものを自由自在に創造する魔法ではありません。
しかし、
認識は、
私たちの行動を変え、
その行動が、私たちが生きる現実を変えていく力を持っています。
ここに、
「認識の進化」の、
非常に重要な意味があります。
第十章 認識革命は「自分の脳を観察すること」から始まる
ここまで見てくると、
私たちが現実を正しく認識することが、
なぜ難しいのかが、
少し見えてきます。
私たちは、
世界をそのまま見ているわけではありません。
脳が、
膨大な情報を選び、
過去の経験と照らし合わせ、
予測し、
意味を与えています。
その過程で、
認知バイアスが生まれます。
そして、
自分が見たい情報だけを集めたり、
自分の信じたい考えを強化したりすることもあります。
だからこそ、
認識革命の第一歩は、
外の世界を変えることではないのかもしれません。
まず、
自分の中にある、
「世界を見るフィルター」に気づくことです。
私は、
何を見ているのか。
何を見落としているのか。
なぜ、
それを信じたのか。
なぜ、
反対の意見を嫌うのか。
自分の怒りは、
本当に目の前の出来事だけが原因なのか。
自分の恐怖は、
現実そのものなのか。
それとも、
過去の記憶が作り出しているのか。
こうした問いを持つことで、
私たちは初めて、
「自分の認識」を、
自分自身から少し離して観察できるようになります。
【エピローグ】
人間は、
現実を正しく認識することが、
得意な生き物ではないのかもしれません。
私たちの脳は、
世界をそのまま映し出すカメラではありません。
過去の経験、
記憶、
感情、
期待、
恐怖、
価値観。
そうしたものを使いながら、
目の前の世界に意味を与えています。
だから、
同じ現実を見ても、
人によって、
まったく違う世界が見えることがあります。
そして、
この問題は、
個人だけの問題ではありません。
一人ひとりの認識が集まれば、
それは社会の価値観となり、
やがて、
集合意識を形成していきます。
だからこそ、
人類が本当に認識革命を起こすためには、
まず、
一人ひとりが、
自分の認識を見つめる必要があります。
「私は、正しく見ているだろうか?」
「私は、見たいものだけを見ていないだろうか?」
「私は、自分と違う意見を、最初から否定していないだろうか?」
「もし、自分の考えが間違っていたら、私はそれを認められるだろうか?」
こうした問いを持つことは、
決して自分を否定することではありません。
むしろ、
自分の認識を、
より自由にするための行為です。
そして、
ここに、
「真実を観る眼力」の、
もう一つの意味があります。
真実を観るとは、
自分が正しいことを証明することではありません。
自分の認識さえも、一度静かに観察すること。
そこから、
本当の意味で、
「世界を観る力」が始まるのです。
人類は今、
科学技術によって、
かつてないほど多くの情報を手に入れました。
しかし、
情報が増えれば、
自動的に真実が見えるわけではありません。
むしろ、
情報が増えた今だからこそ、
「何を見るのか」
「何を信じるのか」
「何を疑うのか」
を選ぶ力が、
ますます重要になっています。
そして、
その選択の根底にあるのが、
私たち一人ひとりの「認識」なのです。
前回、
私たちは、
量子論を通して、
「観察するとは何か」
という問いを考えました。
今回は、
その問いを、
私たち自身の脳と心へ向けました。
では、
次に、
さらに深く考えてみましょう。
私たちの認識は、
本当に「自分だけのもの」なのでしょうか。
私たちの考え方、
価値観、
欲望、
恐怖、
そして、
「当たり前」だと思っていることは、
いったい、
どこから生まれたのでしょうか。
もしかすると、
私たちが「自分の考え」だと思っているものの中には、
家族、
教育、
社会、
文化、
メディア、
そして、
時代の価値観から、
知らないうちに影響を受けているものが、
数多くあるのかもしれません。
もしそうだとすれば、
人類の認識革命には、
もう一つ、
重要な問いが浮かび上がります。
「私たちの意識は、本当に自由なのだろうか?」
次回は、
この問いから、
「人間の意識は、どのようにしてつくられるのか」
という、
さらに深い世界へ入っていきたいと思います。
私たちの意識は、
脳だけが生み出しているのでしょうか。
それとも、
社会や文化、
他者との関係、
そして、
人類が長い歴史の中で築いてきた集合意識もまた、
私たち一人ひとりの意識を形づくっているのでしょうか。
「自分だと思っている意識は、いったい誰のものなのか?」
この問いの先に、
人類意識の進化と、
本当の意味での「認識革命」への、
新たな扉が開いていくのかもしれません。
